第二十二話:裏帳簿を暴く数字の糸(後編)
「な、何を馬鹿な妄言を……! 証拠でもあるというのか!」
クローグ理事長が顔を歪めて怒鳴り散らした。
アストリッドは眉一つ動かさず、愛用の木製算盤の珠を、パチパチパチッ! と凍てつく空気の中で弾き鳴らした。
「証拠なら、ここにすべて揃っております」
アストリッドは一枚の分厚い総括調書を開き、冷徹な声で読み上げ始めた。
「本作戦にあたり、私は過去に第七窓口へ提出された数万件の伝票、ならびに査定記録をすべて再監査いたしました。……クローグ理事長。貴方方は、点として散らばっていた小さな不正を、行政の怠慢につけ込んで一本の線に繋げようと企んでおられましたね」
パチッ! と算盤の珠が一筋跳ねる。
「第一に! 春先、窓口に持ち込まれた毒トゲ蛙の体液による『偽装魔石』事件! 持ち込んだ冒険者は単独犯を装っていましたが、その魔石の仕入れ元台帳を辿ると、貴商工連合の直営倉庫から『廃棄予定品』として不正出庫された個体識別番号と完全に一致いたしました!」
「な、なに……!?」
「第二に! 初夏の一斉棚卸しにおいて発見された、魔獣討伐備品の帳簿書き換え痕! 削り取られた台帳の裏面に残る特殊筆圧痕を鑑定した結果、横領された防衛資材はすべて、貴殿の専属クラン『黒曜石の誓約』へ横流しされていたことが判明しております!」
パチパチッ! と鋭い弾音が裏通りに反響する。
「第三に! 初秋に発覚した、新米冒険者に対する『名義貸し』の強要! 中間搾取された討伐報酬のマージンは、商工連合のダミー口座へと環流されていました!」
「そ、それは現場の者が勝手にやったことで……!」
「言い逃れはできません! 第四に、先月貴方方が提出した窓口民営化提案における『時給銅貨八枚』の不当積算書! 現場の経費を極限まで買い叩く一方で、本庁上層部への巨額の裏リベートを捻出するための粉飾決算計画書が、すでに押収されております!」
アストリッドは書類の最終頁をめくり、鋭い切っ先のような視線でクローグを射抜いた。
「そして決定打は――先週、地下金庫から忽然と姿を消した【北方街道事業・特級魔石一個(公定評価額・金貨三十枚)】の行方です!」
アストリッドが馬車の荷台を真っ直ぐに指差した。
「その荷台の第三木箱! 中に積まれているのは、ロルフ元次長と結託して横流しさせた、庁舎金庫の封印印章が焼き付けられたままの特級魔石ですね!? これらすべての取引伝票、領収書、そして筆跡鑑定――【過去全件の包括決算監査調書】により、計画的な公金横領および組織的詐欺の事実を、完全に立証いたしました!」
「ひ、ひぃぃ……っ!」
完璧すぎる数字の包囲網に、クローグは全身の血の気を失い、ガタガタと震え出した。
だが――次の瞬間、クローグの顔に追い詰められた野獣の凶暴な光が宿った。
「ええい、黙れッ! 小娘が、帳簿の数字を捏ねくり回して勝ち誇るな! おい、バルトロ! 何を突っ立っている! その小娘どもを斬り殺せ! 死人に口なしだ、証拠書類ごと雪の中に埋めてしまえッ!!」
「承知!」
前線放棄したクラン隊長バルトロが、凶悪な笑みを浮かべて長剣を抜き放ち、アストリッドへ向かって跳躍した。
「アストリッド君ッ!!」
スヴェン主任が叫び、身を挺して割り込もうとした――その刹那。
ヒュンッ――カギィィィィンッッ!!
甲高い金属火花が闇夜を照らし、バルトロの長剣が宙を舞った。
「ぐああっ!?」
弾き飛ばされた長剣の切っ先が雪に突き刺さり、バルトロが手首を押さえて転倒する。
吹雪の闇の奥から、純白の官吏外套を颯爽と翻し、細身のレイピアを抜いた銀髪の男が静かに歩み出てきた。
「――相変わらず、鮮やかな監査調書だな。リンドベリ書記官」
冷徹で透き通るような声。
「エ、エリクソン査察官殿……!?」
スヴェン主任が目を見張った。
王都財務監察総局・特命査察官エリクソン。王都へ帰任したはずの男が、なぜこのスコグハイムの裏通りにいるのか。
「王都へ帰任したと見せかけて、貴様ら商工連合の資金逃亡ルートをマークしていたのだ」
エリクソンは冷笑を浮かべ、懐から金色の獅子紋章が刻まれた令状を掲げた。
周囲の民家の屋根や路地の物陰から、漆黒の甲冑に身を包んだ治安警備隊の精鋭たちが音もなく現れ、四台の馬車を完全に包囲した。
「ひ、ひぃっ……! 財務監察総局の強制捜査班……!?」
クローグ理事長が泡を吹いてへたり込む。
エリクソンは冷酷な宣告を下した。
「王国刑法第二百十八条『包括的公金横領罪』。ならびに、魔獣大侵攻という外患の危急に際し、都市防衛の義務を故意に放棄して公金を強奪・逃亡を図った『非常時重背任および外患誘致未遂罪』! 貴様ら商工連合幹部、ならびに『黒曜石の誓約』の全員を、王室監査権限に基づき現行犯逮捕する!」
「う、うわあああっ!!」
悲鳴を上げる商工連合の連中へ、警備兵たちが次々と魔力封じの枷を嵌めていく。
エリクソンは荷台の木箱を検分すると、満足そうに頷き、アストリッドへと向き直った。
「馬車内の全積載物――金貨四千枚、不正流出した特級魔石、そして……今朝貴様らが持ち去った【公定高純度解毒薬】三十本を、直ちに差し押さえ、第七窓口へ還付する」
「解毒薬……!」
アストリッドの胸が跳ねた。
「これがあれば……傷ついた兵士たちも救えます!」
ヘルガが駆け寄り、木箱から青く輝く高純度ポーションの小瓶を胸に抱きしめた。
エリクソンはアストリッドの差し出した監査調書を丁寧に受け取り、胸ポケットへと収めた。
「見事な仕事だ、アストリッド・リンドベリ。不正を許さぬ貴様の算盤が、この街の過去と未来を救った。……行け。前線で戦う者たちへ、この薬を届けるのだ」
「はいッ!!」
アストリッドとヘルガは木製算盤と解毒薬を抱きしめ、激戦が続く北門へ向かって、猛吹雪の中を全力で駆け出した。




