第二十一話:緊急随意契約を発動せよ(前編)
ヒョオオオオ――ッ!! ドガアアアンッ!!
猛烈な地吹雪の轟音を切り裂いて、北門外壁の防衛柵が魔獣の怪力によってへし折られる破壊音が、地鳴りのように響き渡った。
「防壁の上へ弓兵を上げろ! 魔狼の跳躍を許すな!」
「第二班、防護柵の破片でバリケードを組め! 大猪の突進を正面から受けるなよ!」
吹雪の吹き荒れる城壁の上では、ビョルン率いるスコグハイムの地元冒険者部隊と、北門警備隊の有志たちが、死に物狂いの防戦を繰り広げていた。
しかし、現場の熱気とは裏腹に、北門の管理詰所の中は、冷え切った怒号と罵声が飛び交っていた。
「な、何を血迷ったことを言っているのだ、スヴェン主任ッ!!」
唾を撒き散らしながら机をバンバンと叩いているのは、中央本庁から派遣された暫定着任の監理参事官であった。
「正規の競争入札も経ず、本庁の事前決裁も仰がず、一介の地方窓口が勝手に民間冒険者を集めて『公金全額保証』だと!? 違法だ! 明白な背任行為だぞ! そんな勝手な口約束、本庁財務局が認めるわけがないだろう!」
「参事官殿、外の状況が見えないのですか!」
スヴェン主任が青白い顔で反論した。
「商工連合の専属クラン『黒曜石の誓約』が前線を敵前放棄したのですよ! いま地元冒険者たちを動員しなければ、北門は数十分で突破され、避難民ごと市街地が蹂躙されます!」
「だからといって、公金支出の法規を無視していい理由にはならん! 本庁の規則では、金貨十枚を超える事業の発注には、最低三社以上の見積もり合わせと二週間の公告期間が必要なのだ! 正規の手続きを踏まない支出は、一銅貨たりとも認めん! 冒険者どもには即刻解散を命じろ!」
「二週間の公告期間だと……!? 二十分後にはこの詰所ごとペシャンコになるかもしれないというのに、何を寝言を言っているのですかッ!」
スヴェン主任の声が怒りで上擦る。
そこへ、外の偵察に出ていた先輩受付嬢のヘルガが、雪塗れの外套を脱ぎ捨てながら飛び込んできた。
「主任、アストリッド! 最悪の知らせよ!」
「ヘルガ先輩、何があったのですか!?」
「商工連合の幹部たちよ! 前線放棄したクランを護衛につけて、なにやら大切そうな木箱を複数、大型馬車に積み込んでいるわ! おそらく南門の裏ルートから、吹雪に紛れて王都へ高飛びする気よ!」
「な、なんだって……!?」
スヴェン主任が絶句した。
「防衛を放棄したあげく、街の資産を持ち出して逃亡する気か……!?」
「ええ! 参事官が時間を稼いでいる間に、街を見捨てて逃げ切る算段よ!」
「め、滅相もない! 私はただ、適正な法規を……!」
参事官が狼狽えて後退る。
その時であった。
パチパチパチパチッ――!!
凍りついた執務室の空気を切り裂くように、信じられないほどの超高速で弾かれる木製の硬質な音が響き渡った。
詰所の丸テーブルに書類の山を広げ、一心不乱に指先を躍らせていたのは、新米書記官のアストリッド・リンドベリであった。
黒い事務用腕カバーをはめた両手が、残像を結ぶほどの猛烈な速度で木製算盤の珠を弾いている。
「アストリッド君……? 何を計算しているんだい?」
スヴェン主任が呆気に取られて尋ねた。
「決まっています」
アストリッドは顔も上げず、冷徹に答えた。
「参事官様が仰る『法規』の範囲内で、この街を救うための『完全無欠な公金執行調書』を作成しているのです」
「な、何だと……!?」
参事官が目を見張った。
パチッ!! と最後の珠が弾かれ、アストリッドは猛然と立ち上がった。
手にした羊皮紙には、びっしりと狂いのない計算式と条文が記されていた。
「参事官様。貴方様は『規則に従って二週間待て』と仰いましたね。では、この条文をご存知ですか? 【王国地方自治法第九十八条・専決処分特例規定】!」
アストリッドは書類を参事官の鼻先に突きつけた。
「『天災、事変、その他非常の事態において、公共の安全を維持するため緊急の必要があると認められるときは、正規の入札および議会決裁を経ることなく、行政庁の主管責任者はその専権において、必要な契約および公金支出を即時執行することができる』! 違いますか!?」
「ぐっ……そ、それはそうだが……! 専決処分など、後日の会計監査で不認可となれば、執行責任者は背任罪で全額自己弁済、懲戒免職だぞ! 誰がそんな恐ろしい責任を取るというのだ!」
参事官が唾を飛ばして叫んだ。
誰もが息を呑んだ――その時。
バリボリボリッ!!
凄まじい音を立てて、スヴェン主任が懐の干し胃薬草を三束まとめて口に放り込み、奥歯で猛烈な勢いで噛み砕いた。
「主任……!?」
ヘルガが目を見張る。
スヴェン主任の青白かった顔に、かつて見たこともない凄まじい気迫が宿っていた。
「……取るよ」
低く、震える声であった。
「え……?」
「私が責任を取ると言っているんだ、参事官殿ッ!!」
スヴェン主任はデスクを両手で叩き、参事官を睨み据えた。
「私はね、しがない地方庁舎の中間管理職だ! 毎日上からの叱責に怯え、胃を痛め、定年まで無難に退職金を貰うことだけを夢見て生きてきた情けない男だよ! だがね……! 目の前で故郷を守るために命を張っている冒険者たちを見捨てて、大鍋を振るっている女将さんたちを見殺しにして……それで何の公務員だッ!!」
主任は懐から、朱肉にまみれた『第七窓口主管責任者印』を力強く握りしめた。
「アストリッド君! 契約書を出したまえ!」
「はい、主任!」
アストリッドは即座に三枚の複写羊皮紙を滑り込ませた。
「案件名:『北方吹雪緊急事象における都市防衛特命随意契約』! 王国地方自治法第九十八条、ならびに地方公金管理規則第二十一条に基づく、専決処分による即時随意契約です!」
アストリッドが算盤を指し示しながら、淀みなく積算の内訳を読み上げる。
「一、地元登録冒険者部隊五十名に対する緊急招集危険手当、一人一日あたり銀貨二十枚!
二、武器・防具損耗に対する公定補償枠、総額金貨三十枚!
三、兵站支援および炊き出し物資調達に対する実費全額保証枠、総額金貨二十枚!
四、ならびに、敵前逃亡した受託者『黒曜石の誓約』から没収する契約保証金金貨百枚を、本特命事業の財源として即時充当いたします!」
「な、なにぃ……!? 逃げたクランの保証金を財源に振り替えるだと!?」
参事官が泡を吹いた。
「一銅貨の赤字も出しません! 財政的にも、法規的にも、完全に帳尻は合っています!」
「見事だ、アストリッド君!」
スヴェン主任は咆哮とともに、朱肉を付けた公印を契約書の末尾へ叩きつけた!
ドスンッ!!
重厚な朱色の印影が、鮮やかに羊皮紙に刻まれた。
「専決処分、執行完了! ビョルン君たちの部隊を、正規の『スコグハイム臨時防衛公認部隊』として承認する! 全額、私が首を賭けて支払うぞッ!!」
(後編に続く)




