第十八話:消えた高純度魔石の伝票(後編)
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【後編】
「き、貴様ッ! 根拠のない出鱈目を吐いて、上司である私に罪を擦り付ける気か!」
ロルフ次長が真っ赤になって怒鳴り散らした。
「根拠なら、すべてここに揃っております」
アストリッドの合図とともに、ヘルガが一歩前に進み出た。
制服の袖をすっと正したヘルガの手には、二冊の厚い書類綴りが握られていた。
一冊は、庁舎総務課の奥深くに眠っていた『極秘備品再鑑定伺い書』。
そしてもう一冊は――青白い魔導印が静かに明滅する、分厚い羊皮紙の複写綴りであった。
「こちらをご覧ください、査察官殿」
アストリッドが愛用の木製算盤の珠をパチリと弾き、書類を開いた。
「今から二週間前、北方街道の魔石が窓口で受領された翌日の夜、総務部決裁として『王都中央鉱山局への臨時再鑑定委託』という名目の出庫伺いが処理されております。起案者はロルフ次長、決裁者もロルフ次長ご本人です」
「なっ……! そ、それは正当な再鑑定の手続きだ! 手続きに不備はない!」
「いいえ、大いに不備がございます」
アストリッドが冷徹に追及した。
「王都鉱山局への発送伝票が存在しません。庁舎勝手口の【運送馬車出入台帳】を照合したところ、荷物を引き取ったのは王都行きの公用便ではなく、商工連合の契約荷馬車――行き先は街道とは正反対の方向、スコグハイム下町にある『ノルデン商工連合・第七物資集積倉庫』でした」
ヘルガが一歩進み出て、青白く光る分厚い羊皮紙の束を、中央の検収作業台の上へとトンと滑らせた。
「……とある確かな筋から独自に入手した、極めて重要な内部資料。商工連合の『裏帳簿』の完全魔導複写よ。原本と寸分違わぬ改ざん不能の刻印付きのね」
「ば、馬鹿なッ!? なぜそんなものが……!」
ロルフ次長が目玉を飛び出さんばかりに見開いた。
「さらに決定的な証拠がございます。イーヴァルさん、お願いいたします」
「……おう」
主任査定官イーヴァルが、ポケットから一枚の羊皮紙を取り出した。
そこには、特殊な魔力計測器によって記録された、複雑な波形グラフが描かれていた。
「魔石内部の魔力結晶の微細亀裂パターンは、人間の指紋と同じで世界に二つと同じものはねえ。……これが、受領当日に俺が記録した特級魔石の固有魔力波形だ」
イーヴァルは、ヘルガが提出した裏帳簿の複写ページを開き、そこに挟まれていた密輸用の鑑定書と重ね合わせた。
「波形、純度、含有魔力量、すべての数値が完全に一致した。ロルフ次長、あんたが『再鑑定』と偽って金庫から持ち出した特級魔石は、商工連合の手を通じて、昨夜王都の軍需闇市場へ金貨五十枚で転売契約が結ばれている。……言い逃れはできんぞ」
「あ……あ、あ……っ!」
ロルフ次長は喉をかきむしり、全身をガタガタと震わせながら後ずさりした。
「すべてが一本の線で繋がりました」
アストリッドが算盤を胸に抱き、静かに語りかけた。
「偽装魔石の持ち込み、帳簿の不正書き換え、組織的な名義貸し、粗悪な食堂の押し付け、時給銅貨八枚の劣悪な民営化提案、そして今回の特級魔石の横領密輸。……あなた方は、現場の公金窓口を混乱させ、意図的に『非効率で腐敗した組織』という汚名を着せることで、魔石の利権を丸ごと商工連合へ私物化しようとしていたのですね」
「う、うわあああっ! ち、違う! 私は商工連合の頭取に頼まれて……!」
ロルフ次長が頭を抱えて床に崩れ落ちた。
「――そこまでだ」
パチン、と手帳を閉じる鋭い音が地下室に響いた。
特命査察官エリクソンが、純白の官吏外套を翻して歩み出た。
その手には、財務監察総局の金文字の封印が施された『緊急逮捕および告発令状』が握られていた。
「ロルフ次長。貴殿を、背任、公物横領、公文書偽造、および特定事業者への不正便宜供与の現行犯として、財務監察総局本庁へ強制連行する。……また、ノルデン商工連合の関連施設および幹部に対しても、警備隊による一斉家宅捜索を執行する」
エリクソンは冷酷な目で、床にへたり込む次長を一瞥した。
「なお、第七窓口の民間委託計画は、本日をもって永久に却下・破棄とする」
「ひいぃぃっ……! お、お許しをぉぉ……!」
駆けつけた警備兵たちによって、泣き叫ぶロルフ次長が引きずられていく。
悪徳次長と巨大商工勢力の陰謀は、幾重にも守り抜かれた正確な帳簿の数字の前に、完全に粉砕されたのであった。
「ふう……! 終わった……! 本当に終わったんだぁぁ……!」
スヴェン主任が床にへたり込み、安堵の涙を滝のように流した。
そして、令状を手帳に収めたエリクソンの背中を、恐る恐る見上げる。
「さ、査察官殿……。まさか貴方様は、最初からロルフ次長を……?」
エリクソンは足を止め、銀縁眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。
「王都財務監察総局を甘く見てもらっては困る。地方窓口を民営化で丸ごと乗っ取ろうとする商工連合の不穏な資金移動は、とうに本庁の監視対象だった。……だが、地方官吏の現職次長を確実に首にするには、言い逃れのきかない『現行犯の証拠』と『本人の自白』が不可欠だったのだ」
エリート査察官は静かに振り返り、アストリッドの前へ歩み寄った。
「……リンドベリ書記官」
「はい、査察官殿」
「一週間に及ぶ集中監査の結果、第七窓口の過去三年分の全公金支出台帳において、不正および不整合は【一件もなし】。……極めて優秀かつ厳格な管理体制であったと、本庁へ報告書を提出する」
氷のようだった査察官の唇に、微かな笑みが浮かんだ。
「君たちの寸分違わぬ帳簿の正確さが、ロルフの言い逃れを完全に封じた。……見事な計算だった。地方公僕の矜持、しかと見せてもらったぞ」
「……ありがとうございます!」
アストリッドは背筋をピンと伸ばし、誇らしげに深く一礼した。
――そして、数日後の昼休み。
秋風が心地よく吹き抜けるスコグハイム行政庁の地下に、明るい歓声と香ばしい湯気が満ち溢れていた。
本日、新しく正式オープンを迎えた『跳ね大猪亭・庁舎分店』――職員だけでなく、来庁した冒険者や一般市民にも開放された食堂だ。
広々とした清潔なフロアの中央円卓で、アストリッド、ヘルガ、スヴェン主任の三人が、湯気立つ大皿を囲んでいた。
「へいお待ち! 新装開店記念、下町職人特製の『具だくさんポトフと熱々ハーブパン定食』だ!」
厨房から満面の笑みで料理を運んできたのは、料理長エプロンを締めたハルヴァルだ。
その隣では、かつて店を失っていた下町の料理人たちが、生き生きとした表情で大鍋を振るっている。
「はいスヴェン主任、お代わりの野菜スープよ! たくさん食べて午後も頑張ってね!」
女将のビルギッタが、朗らかな笑顔で深鉢を並べる。
「あ、あの……アストリッドお姉ちゃん、パンのお代わりどうぞ!」
看板娘のヒルダが、焼きたてのハーブパンの籠を抱えて駆け寄ってきた。エプロンのポケットには、アストリッドとお揃いの小さな木製算盤が誇らしげに覗いている。
「ありがとう、ヒルダちゃん」
アストリッドは目を細め、熱々のスープを口に運んだ。
「……美味しい」
大地の甘みと肉の滋味が、疲れた五臓六腑にじんわりと染み渡っていく。
「う、美味い……! 胃が……私の胃が全く痛くない……! こんなに美味しくて温かい昼飯が毎日食べられるなんて、公務員を続けていて本当によかったぁぁ……!」
スヴェン主任が胃薬草を放り出し、スープを飲み干して大号泣している。
「ふふ、主任ったら大げさね。でも、本当に美味しいわ」
ヘルガが黒パンをちぎりながら微笑んだ。
「アストリッドちゃん、美味しいご飯をしっかり食べられたからこそ、頭が冴えてあの次長のペテンを見破れたんじゃない?」
「はい! 間違いありません!」
アストリッドは満面の笑みで頷き、愛用の木製算盤を優しく撫でた。
市場を荒らす巨大な影を退け、下町の職人たちの笑顔と、温かい食卓を取り戻した第七窓口。
だが――時計の針が正午の終わりを告げ、午後の一時を指そうとしていた。
「さて!」
アストリッドは勢いよく立ち上がり、黒い事務用腕カバーをシャキッと整えた。
「美味しいお昼ご飯でエネルギーは満タンです! 午後からの討伐申請書類も完璧に片付けて、今日こそ――今日こそ定時退社を成し遂げてみせます!」
「がはははっ! その意気だ、嬢ちゃん!」
隣の長机で山盛りの大皿飯をかき込んでいたビョルンたちの豪快な笑い声が、温かい食堂に高らかに響き渡った。
新米公務員アストリッド・リンドベリの、正義と数字を守る日常は、これからもずっと続いていく。
(第三章完)




