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第十五話:始めての大規模入札(後編)

「――北方街道の入札手続きを、そのまま応用するのです!」

 午後の光が差し込むスコグハイム行政庁・正面玄関ロビー。

 アストリッドは真新しい羊皮紙の公告文を、庁舎の正面公金入札掲示板の中央へ、木槌でトントンと威勢よく貼り出した。

 そこには、墨痕鮮やかな大文字でこう記されている。

『庁舎職員互助会・地下食堂運営事業者 公募型競争入札の実施について』。

「へえ〜! 本当に食堂の入札をやるんだ!」

「一食あたり銅貨三十枚以内、地元産の肉と野菜を主材料とすること……!? すごい、これが実現したら夢のようじゃないか!」

 通りかかった他部署の職員たちが足を止め、掲示板の前に人だかりを作った。

「でもさ……現行の業者はあのノルデン商工連合の息がかかってるんだろ?」

「そうだよ。商工連合を敵に回して、この街で名乗りを上げてくれる民間業者なんているわけないよ……」

 期待と諦めが入り混じった囁き声がロビーに漏れ聞こえてくる。

 スヴェン主任が胃薬草の包みを握りしめながら、おろおろとアストリッドの隣で身を縮めた。

「アストリッド君……本当に応募者は来てくれるんだろうか……? もし誰も手を挙げてくれなかったら、来月から庁舎の全員が昼飯抜きの兵糧攻めになって、私の責任問題で胃に穴が……!」

「大丈夫です、主任。この街には、商工連合の横暴に屈していない、本物の誇りを持った方々が必ずいらっしゃいます!」

 アストリッドが力強く胸を張った、その時――。

「――おう! その言葉、信じていいんだな、嬢ちゃん!」

 ドスン! と床を揺らすような重厚な足音が、ロビーの玄関から響き渡った。

 振り返ったアストリッドたちの目に飛び込んできたのは、見上げるような大柄な体躯に清潔な白い前掛けを締めた巨漢――老舗酒場『跳ね大猪亭(ヴィルドスヴィン)』の店主、ハルヴァルだった。

 その隣には、仕込み籠を手に明るい笑みをたたえる女将(おかみ)のビルギッタ。

 そして二人の背後には、まだ体の丈に合わない大きめのエプロンをきゅっと結んだ、おさげ髪の少女――娘のヒルダの姿があった。

「ハルヴァルさん! ビルギッタさんに、ヒルダちゃんまで……!?」

 アストリッドが目を丸くした。

「ビョルンのおっちゃんから聞いたぜ」

 ハルヴァルが腕を組み、豪快に笑った。

「役所の若い娘さんたちが、不味い飯と商工連合の脅しに屈せず、真っ向から入札の喧嘩を買ったってな!」

「ちょっとハルヴァル、『喧嘩』だなんて人聞きが悪いじゃないの」

 ビルギッタが夫の脇腹を軽く小突き、気風のいい笑顔をアストリッドたちに向けた。

「こんにちは、スヴェン主任、アストリッドちゃん。先日の慰労会ではご馳走様でしたね。……実はね、その掲示板の公告を見て、居ても立ってもいられなくて飛んできたのよ」

「えっ、ということは……入札に参加してくださるのですか!?」

 スヴェン主任がすがるように叫んだ。

「ああ、そのつもりだ!」

 ハルヴァルが真剣な眼差しになり、ロビーの窓の外――下町の街並みを見つめた。

「近頃、商工連合の連中が下町に格安チェーン店を乱立させて、食材の流通を独占しやがった。そのせいで、長年下町で愛されてきた頑固なスープ屋の親父も、毎朝薪窯で香ばしいパンを焼いてた職人も、煮込み自慢の食堂のおばちゃんも……みんな店を畳まざるを得なくなっちまったんだ」

 ハルヴァルの太い拳が、ギリッと強く握りしめられた。

「あいつらの腕は、本物だ。客の健康を気遣い、素材の味を最大限に引き出す、長年培った下町の宝なんだよ! それを、商工連合の冷凍屑肉と保存料まみれの粗悪な飯に駆逐されてたまるかってんだ! ……だから俺は、職を失ったあいつらを全員雇い入れて、うちの店に新しく『跳ね大猪亭・仕出し部門』を立ち上げようと思う!」

「仕出し部門……!」

 アストリッドの瞳が輝いた。

「ビョルンたち地元の腕利き冒険者が狩ってきた新鮮な肉を直接買い付け、近郊の開拓村から市場に出回らない規格外の美味い根菜を丸ごと仕入れる。仲介業者を通さねえ分、無駄な中間マージンは一切ゼロだ! 職人たちの知恵と工夫を結集すりゃ、一食銅貨三十枚以内で、腰が抜けるほど美味くて温かい昼飯を、毎日庁舎に届けてみせるぜ!」

「す、素晴らしい……! 地元の直接仕入れルートと、熟練職人のネットワーク……!」

 アストリッドは感動に胸を震わせた。

「これも職員食堂の入札なんて案件があったからさ。奴らを雇っても採算が取れそうだからな」

 だが、ハルヴァルは頭を掻き、困ったように眉を八の字に曲げた。

「……ただよ、嬢ちゃん。俺たちゃ料理の腕には自信があるが、役所の書類ってやつがさっぱりでな。掲示板を見たら『参加資格申請書』だの『衛生管理計画書』だの『積算内訳書』だの……小難しい文字が並んでて、読んでいるだけで頭から湯気が出そうなんだ」

「ううむ、確かに公金の競争入札ですから、法令に基づく厳格な書類審査が必須となりますね……」

 スヴェン主任が腕を組む。

 その時――。

「あ、あの……!」

 ハルヴァルとビルギッタの背後から、おずおずと、だが凛とした声が響いた。

 一歩前に進み出たのは、十四歳の看板娘、ヒルダだった。

 ヒルダは大きなエプロンのポケットから、使い込まれた小さな木製の算盤(アバカス)を、両手でぎゅっと抱きしめて差し出した。

「アストリッドお姉ちゃん!」

「ヒルダちゃん……?」

「私……お父さんやお母さん、そして下町のおじちゃんやおばちゃんたちが作るご飯が大好きなんです! お店を奪われて、悔しそうに泣いていたみんなを、なんとか助けたいんです……!」

 ヒルダの大きな瞳に、溢れんばかりの涙と、決して揺るがない決意の光が宿っていた。

「私、お父さんたちみたいにお肉を焼いたり、大きな鍋を振ったりはまだ上手にできないけれど……算盤(アバカス)と文字の読み書きなら、毎日お店の帳簿をつけて一生懸命勉強しています! だから……この入札の書類の書き方を、私に教えてください! 私が、下町のみんなの書類を全部書いてみせます!」

「ヒルダ……」

 ビルギッタが目元を潤ませ、愛娘の肩に優しく手を置いた。

 ハルヴァルも鼻をすすり、太い腕で涙を拭っている。

「…………!」

 アストリッドの胸の奥底で、熱い誇りの火花が激しく弾けた。

 行政と民間が裏で結託し、価格を吊り上げるのは許されざる『談合』。

 しかし、志ある民間の挑戦者に対し、法規と手続きの正当なルールを懇切丁寧に教え、公正な競争の土俵に立たせることは――公僕として最も尊い【正当な行政指導と市民支援】である!

「喜んで、お教えいたします!」

 アストリッドは一歩踏み出し、ヒルダの小さな手と算盤(アバカス)を、両手でしっかりと包み込んだ。

「書類の書き方から、端数処理の規則、原価積算の根拠のまとめ方に至るまで、私の持てるすべての知識をお伝えします! 完璧な書類を作り上げ、堂々と入札の土俵に上がりましょう!」

「は、はいっ……! ありがとうございます、アストリッドお姉ちゃん!」

 ヒルダの顔に、満開の向日葵のような笑顔が咲き誇った。

「よーし! 私も男を見せるぞぉぉ!」

 スヴェン主任が胃薬草を懐にしまい、拳を突き上げた。

「公正な入札のためなら、私も互助会役員として徹夜で書類審査の手続きを整えてやる! 美味しいご飯のためなら、胃薬が三倍になろうが耐え抜いてみせるぞぉぉ!」

「ふふ、主任ったら現金ね。でも、私も総務や上層部が不当な圧力をかけてこないよう、裏からしっかり睨みを利かせてあげるわ」

 ヘルガが頼もしくウインクした。

 夕暮れのスコグハイム地方行政庁・第七窓口。

 冷たい秋風を吹き飛ばすように、二つの算盤(アバカス)――アストリッドの愛用の算盤(アバカス)と、ヒルダの小さな算盤(アバカス)が、心地よい連帯のリズムを刻み始めた。

 商工連合の寡占を打ち破り、下町の誇りと温かい食卓を取り戻すための、本当の戦いが幕を開けようとしていた。

「……さあ、ヒルダちゃん。計算を、始めましょう!」


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