第十五話:始めての大規模入札(前編)
秋の冷たい北風が、スコグハイムの街路樹をカサカサと鳴らす清流の日。
地方行政庁の三階大会議室には、普段の窓口とは打って変わった、重苦しく張り詰めた空気が漂っていた。
長机の正面に陣取るのは、立会人を務めるロルフ次長。
そして進行役として音声を増幅する魔道具、拡声具の前に座らされているのは、顔色を土気色にした第七窓口のスヴェン主任である。拡声具で増幅された音声は、共鳴魔石が組み込まれた、共鳴器によって大会議室の隅々まで響き渡った。
本日は、冬の本格的な積雪期を前にして執行される、今年度最大規模の公共入札――『北方街道防衛伐採および魔獣一斉駆除業務』の指名競争入札の開札日であった。
北方街道は、王都とこのスコグハイムを繋ぐ唯一の生命線である。
雪が降れば視界が遮られ、森から現れる魔獣の襲撃リスクが跳ね上がる。
そのため、街道沿いの鬱蒼とした大樹を幅五十メートルにわたって大規模伐採し、潜む魔獣を徹底的に駆除・掃討する一大プロジェクトが、毎年この時期に公金によって執行されるのだ。
その予算規模は、地方庁舎としては破格の【予定価格・金貨二百枚】。
魔獣駆除が絡むため、仕様書の確認および積算照合の補佐として、第七窓口のアストリッドとヘルガも末席に控えていた。
「……それでは、ただいまより、北方街道防衛伐採業務の指名競争入札の開札を執り行います」
スヴェン主任が震える声で告げた。
会議室の対面に座るのは、スコグハイムを代表する大手冒険者クラン三社――『鉄の盾団』『銀狼の牙』、そして『黒曜石の誓約』の代表者たちだ。
いずれも屈強な歴戦の戦士や老練な魔術師を揃えた名門組織であり、同時に、街の経済を牛耳る『ノルデン商工連合』と極めて深いつながりを持つ大規模クランであった。
「厳封された入札書を開封いたします」
スヴェン主任がペーパーナイフで慎重に入札封筒を切り裂き、中から現れた数字を読み上げていく。
「一番札、『鉄の盾団』……【金貨百九十九枚と銀貨八枚】」
スヴェン主任が読み上げると、室内がざわめいた。
予定価格金貨二百枚に対し、落札率九九・九%。
ほぼ上限ギリギリの強気な価格提示である。
「続きまして、二番札、『銀狼の牙』……【金貨百九十九枚】」
さらにざわめきが広がる。落札率九九・五%。
「そして、三番札、『黒曜石の誓約』……【金貨百九十八枚と銀貨五枚】」
落札率九九・二五%。
スヴェン主任は大きく息を吐き、安堵の表情を浮かべて机の上の紙を揃えた。
「……以上により、予定価格の制限範囲内において、最低価格を提示されました『黒曜石の誓約』を、本案件の落札候補者として――」
「うむ、結構だ」
ロルフ次長が傲然と頷き、手元にあった重々しい朱肉と決裁印に手を伸ばした。
「三社とも予定価格の範囲に綺麗に収まっている。大規模な防衛事業だ、滞りなく『黒曜石の誓約』に決定し、速やかに契約締結の手続きへ進めなさい」
「はい、次長! それではこれにて――」
「――お待ちください」
凛とした鈴の音のような澄んだ声が、静まり返った大会議室にピシッと響き渡った。
末席からすっと立ち上がったのは、黒い事務用腕カバーを腕に通した新米書記官、アストリッド・リンドベリだった。
「な、なんだね、リンドベリ書記官! 開札の儀式の最中に、無礼ではないか!」
ロルフ次長が朱肉に伸ばした手を止め、忌々しそうに眉を吊り上げた。
「恐れ入ります、次長。……ですが、地方財務規程第百二十条に基づき、落札決定に先立ち、三社から提出された『積算内訳書』の妥当性を精査する義務がございます」
「妥当性だと? 予定価格を下回っているのだから、何の問題もないではないか!」
「問題、大いにございます」
アストリッドは机の上に並べられた三社の分厚い積算見積書を前に、愛用の木製算盤を構えた。
「第一に、入札金額の密集度が統計学的に極めて不自然です。樹林の伐採重機、作業員の動員数、使用する魔導具の調達ルートなど、各クランによって保有戦力や得意分野は全く異なるはずです。それにもかかわらず、提示された金額の差は、金貨二百枚という巨額の予算に対して、わずか金貨一枚と銀貨三枚――全体の【〇・七%】という極小の範囲に三社が密集しております」
「ふ、ふん! 大手同士、原価計算の精度が高いからこそ数字が似通っただけだろう!」
『黒曜石の誓約』の代表が鼻を鳴らした。
「いいえ、それだけではありません。決定的な証拠がございます」
アストリッドの冷徹な声が、会議室の空気をピンと凍りつかせた。
彼女は三枚の見積内訳書の『別紙第二・資材調達内訳』を並べ、指先で同じ箇所をトントンと叩いた。
「こちらの項目の表記をご覧ください。街道沿いに潜む害獣を誘引・無力化するための薬品――本来、公用文字で『毒餌』と綴るべき単語の綴りが、三社とも全く同じく、母音のルーンを一つ抜かして『無償の餌』と誤って綴られております。……公金の競争入札で、害獣を駆除するための薬品に“無償の餌”など、あまりにお粗末な代筆の痕跡です」
「なっ……!?」
「偶然の綴りミス、と主張されるかもしれません。ですが、こちらの『大型運搬台車の減価償却費』の計算式もご覧ください。地方行政の計算規則では『十銅貨未満四捨五入』と定められているにもかかわらず、三社とも全く同一の計算式で、端数を『十銅貨未満切り捨て』で処理しております。……異なる組織が別個に積算した書類において、同じ独自の端数処理ルールを用い、全く同じルーンの脱字・綴りミスが同時に発生する確率など、天文学的にもあり得ません!」
パチパチパチッ! とアストリッドの算盤の珠が小気味よい音を立てた。
「これは、入札に参加した三社が事前に集まり、あらかじめ落札者と金額を取り決め、同一の人間が三社分の書類を作成した明白な証拠――すなわち、刑法および公正入札規範に抵触する【入札談合】でございます!」
「ば、馬鹿なことを言うなッ! 侮辱する気か!」
クランの代表たちが一斉に立ち上がり、椅子を倒して怒鳴り散らした。
「言いがかりだ! 新米の分際で、名門クランの名誉を傷つける気か!」
「リンドベリ書記官! 貴様、いい加減にしないか!」
ロルフ次長が真っ赤になって怒号を浴びせる。
しかし――。
パチ、パチ、パチ。
部屋の最奥から、乾いた拍手の音が響いた。
腕を組み、会議の成り行きを終始無言で見つめていた特命査察官、エリクソンだった。
銀縁眼鏡の奥から放たれる凍てつくような眼光に、怒鳴っていたクランの代表たちが一瞬で口をつぐんだ。
「……素晴らしい着眼点だ、リンドベリ書記官」
エリクソンが静かに立ち上がった。純白の官吏外套がサッと翻る。
「三社間の見積価格密集度九九%超、積算端数処理ロジックの完全一致、そして同一の誤植の痕跡。……王都の財務監察総局が定める『談合兆候判定基準』の全項目に完全に合致しているな」
「さ、査察官殿……!?」
ロルフ次長の顔から血の気が引いた。
「ロルフ次長。この明白な証拠を無視して落札を強行するというのであれば、貴殿と特定事業者との癒着・官製談合の幇助として、本件を財務監察総局本庁へ即刻報告せねばならんが……よろしいかな?」
「ひ、ひいぃぃっ……! め、滅相もございません……! ち、調査です! 本入札は一旦『保留』とし、積算根拠の再調査を命じます……!」
次長は崩れ落ちるように椅子に倒れ込み、ハンカチで滝のような脂汗を拭った。
クランの代表たちは青ざめた顔でアストリッドを激しく睨みつけながら、逃げるように会議室を後にした。
「ふう……! 寿命が十年縮んだよぉぉ……!」
スヴェン主任が机に突っ伏して呻く。
「ふふ、見事だったわねアストリッドちゃん。悪徳クランの談合を木っ端微塵に粉砕しちゃったわね」
ヘルガが楽しそうに笑いながら、アストリッドの肩をポンと叩いた。
だが、アストリッドの表情は引き締まったままだった。
巨大な談合を暴いたこの経験は、彼女の頭脳に、ある確固たる閃きをもたらしていたのである。
(後編に続く)




