第二話:その魔石、査定額が違います(前編)
スコグハイム地方行政庁・本館一階の最奥。
薄暗い廊下の突き当たりに掲げられた木製看板には、掠れた黒漆で『第七窓口:魔獣害対策・討伐管理課』と記されている。
かつては花形の開拓支援部署だったというその場所は、いまや庁舎内でも「危険・不潔・理不尽」の三拍子が揃った厄介部署の筆頭として忌み嫌われていた。
だが、そんな部署にも厳格な業務スケジュールというものが存在する。
「ふあぁ……っ、目が……目がかすみます……」
開庁の鐘が鳴る十五分前。カウンターの隅で、新米書記官のアストリッド・リンドベリは、目の下にうっすらと青い隈を浮かべながら、机に突っ伏しそうになっていた。
昨日の夕方、退庁直前の午後四時五十九分に、笑顔の先輩・ヘルガから押し付けられた『農林課持ち込み・果樹園における大猪被害対策の随意契約仕様書および予算積算書』――。
仕様書の過去判例を漁り、周辺の地価と果樹の損害想定額を算出し、深夜まで油煙の立ち込める執務室で羽ペンを走らせ続けた結果、睡眠時間はわずか三時間である。
「おはようアストリッドちゃん。ふふ、昨日渡した仕様書、完璧に仕上がってたわよ。農林課の担当者が『こんなに緻密な数字の裏付けがある積算書は見たことがない』って感心してたわ。今朝一番で掲示板に討伐告示も張り出せたし、さすが首席合格の新人ね!」
カウンターの隣の席では、ヘルガが艶やかな赤褐色の髪を揺らしながら、紙包みから取り出した焼き立てのシナモンロールを優雅にかじっていた。漂うバターと甘いスパイスの香りが、空腹のアストリッドの胃袋を無残に刺激する。
「……お褒めに預かり光栄です、ヘルガ先輩。おかげさまで昨夜は温かい豆スープを煮込む気力すら失せ、硬くなった干し肉を齧りながら白目を剥いて寝落ちしました。今日こそは……今日こそは何がなんでも定時で帰ります。絶対にです」
「あらあら、その意気よ。若い子は気合が一番ね。……でもねえ、アストリッドちゃん。今日が何曜日か、まさか忘れたわけじゃないわよね?」
「え……? 清流の日ですが……」
「そう、『清流の日の魔石査定日』よ」
ヘルガがシナモンロールを咥えたまま、窓口の外――ロビーへと続く鉄柵の扉を指さした。
開庁五分前だというのに、すでに扉の向こうからは、重苦しい革鎧の擦れ合う音、金属製のトランクが床に置かれる鈍い衝撃音、そして荒くれ者たちの低く濁った話し声が地鳴りのように響いてきていた。
スコグハイムの周辺に広がる深い針葉樹の森や切り立った岩山には、無数の魔獣が生息している。そして魔獣の体内に宿る魔石は、街の街灯、住居の暖房、防壁の結界、さらには軍用魔導具の燃料として不可欠な王国指定の『戦略備蓄物資』だ。
冒険者が命がけで切り取ってきた魔石を、行政庁が定めた公定価格で買い上げ、保管庫へと送る――。それが毎週清流の日に第七窓口で行われる、年間予算の数割を動かす一大事業『魔石定期検収買上業務』であった。
「ひいっ……! 始まった……また清流の日が来てしまった……!」
奥の執務机から、情けない悲鳴が上がった。
窓口主任のスヴェンが、額に脂汗を浮かべながら、特製の薬草茶を小さな陶器のカップに注いでいる。その手はかすかに震えていた。
「主任、おはようございます。今朝の胃の調子はいかがですか?」
「アストリッド君、聞かないでおくれ……。清流の日はね、持ち込まれる魔石の査定額を巡って、冒険者たちが一番暴れる魔の曜日なんだよ。査定を低くすれば冒険者が怒鳴り込み、甘くすれば領主府の監査官から『公金の過大支出である』と叱責の手紙が届く……! 私の胃袋は、公金と怒号の板挟みでとっくに穿孔寸前だよ……!」
「大丈夫ですよ主任。王国規定に則り、適正な数値と客観的なデータに基づいて厳格に査定を行えば、文句のつけようはありませんから」
「それが通じないから困ってるんじゃないかぁ……!」
ゴーン、ゴーン、ゴーン――。
午前八時半の開庁鐘が鳴り響くと同時に、鉄柵の扉が押し開けられた。
ドカドカと雪崩れ込んできたのは、革袋や布包み、厳重な鉄の小箱を抱えた冒険者たちだ。たちまち第七窓口のカウンター前には、殺気立った長蛇の列が形成された。
「よお役所! 一番乗りだ! 魔石の買い取りを頼むぜ!」
ドスン、とカウンターに大振りの革袋を叩きつけたのは、青いローブをまとった痩身の青年魔術師だった。胸元には、冒険者としての正規の身分を示す真鍮製の個人事業主登録証が誇らしげに輝いている。
「いらっしゃいませ。第七窓口へようこそ。ライセンスと受託番号の確認をいたします」
アストリッドは事務的な微笑みを浮かべ、書類を受け取った。
「登録番号二四四一、魔術師クヌート様ですね。討伐管理簿と照合いたします……ええと、昨日の開拓林北側における害獣駆除の受託実績がございます。本日持ち込まれた魔石はどちらでしょうか?」
「へっ、驚くなよ? これだ!」
クヌートは芝居がかった手つきで革袋の紐を解き、中から掌大の結晶を取り出した。
カウンターの上に置かれたそれは、鶏の卵よりも一回り大きく、青白い燐光を宿した見事な六角柱の結晶だった。表面には濁り一つなく、窓から差し込む朝の光を浴びて、まるで高価な宝石のように透き通った輝きを放っている。
「ほう……!」
並んでいた後ろの冒険者たちからも、思わず感嘆の声が漏れた。
「開拓林の奥深く、廃坑の手前で仕留めた大鬼の心臓魔石だ。見ての通りの極上品、純度九割以上の特級魔石だぜ! 行政庁の公定買取表によれば、大鬼の特級魔石は一律【金貨一枚(銀貨百枚)】のはずだ。さあ、さっさと出納帳を切って、満額支払ってもらおうか!」
金貨一枚。地方都市の一般家庭であれば、優に一ヶ月は贅沢に暮らせる大金である。
「大鬼の心臓魔石、ですね。承知いたしました。魔石の検収および等級査定は、専用の査定室にて行います。番号札をお持ちになって、少々お待ちください」
アストリッドはフェルトを敷いた木製の受領トレイに魔石を丁重に乗せ、カウンター奥の壁にある鉄格子の小窓へと運んだ。
そこは、第七窓口の奥に併設された『素材・魔石査定室』の窓口である。
部屋の中は薄暗く、壁一面に鉱物標本や薬品の小瓶が並び、中央の頑丈な石造りの作業台には天秤や拡大鏡、特殊な魔力計測器が整然と配置されていた。
「イーヴァルさん、おはようございます。本日の第一号案件です。大鬼の特級魔石としての持ち込み査定をお願いいたします」
小窓の奥から、のっそりと人影が現れた。
煤けた革のエプロンを身につけ、額に多重焦点ルーペを装着した痩せ型の男――主任査定官のイーヴァルである。
素材の目利きに関しては王都の中央鉱山局ですら一目置く凄腕の職人だが、極端なまでに無口で愛想がなく、発する言葉の九割が難解な鉱物学用語という変わり者だった。
「……ん」
イーヴァルは短く喉を鳴らすと、手袋をはめた指先でトレイの魔石をつまみ上げた。
ルーペを目元に下ろし、魔石を様々な角度から観察する。
次いで、魔石を精密天秤に乗せて重量を量り、さらに水槽に沈めて比重を計測した。
最後に、紫色の光を放つ魔力励起灯の光を結晶に照射した。
作業を見守るアストリッドの前で、イーヴァルの眉がピクリと不快そうに跳ね上がった。
「……チッ」
イーヴァルはルーペを額に跳ね上げ、魔石をゴトッと乱暴にトレイへと戻した。
「イーヴァルさん……? いかがでしょうか。大鬼の特級品としての規格を満たしていますか?」
イーヴァルは感情の籠もらない冷淡な声で、早口に告げた。
「……結晶格子の屈折率、一・三二。密度測定値、立方センチあたり二・一グラム。……低すぎる。励起光に対する残光スペクトルは波長四百ナノメートル以下。……表層のケイ酸塩皮膜に、アルカリ塩による強制置換および加熱焼結の明確な痕跡あり。……結論。内部空洞化を起こした死骸魔石の化学処理品。残存純度、一二%未満。最悪の規格外品だ」
「え……? 規格外……?」
「……公定買い取り区分、該当なし。有害偽装による【買い取り拒否】だ。査定額――ゼロ」
「ぜ、ゼロ……!? 買い取り拒否ですか!?」
アストリッドは我が耳を疑った。
金貨一枚(銀貨百枚)の満額請求に対して、査定額がまさかのゼロ。買い取り拒否である。
「あ、あの、イーヴァルさん! ですが外見はあんなに透明で、濁りも傷一つない美しい結晶ですよ? 何か他の測定誤差ということは……」
「……見た目など、硝子玉でも磨けば光る。測定値が全てだ。公金を投じてゴミと危険物質を買い取る制度など、王国のどこにも存在せん。……買い取り不可だ。さっさと持って帰らせろ」
バタン、と小窓が冷酷に閉ざされた。
「…………っ!」
アストリッドはトレイを抱え、冷や汗を流しながら窓口カウンターへと戻った。
カウンターの前では、青年魔術師クヌートが「へへっ、金貨一枚が入ったら、新しい特注の杖の頭金にして……」と仲間らしき男と上機嫌で皮算用を繰り広げている。
「……お待たせいたしました、クヌート様」
「おう! 早かったな。で、金貨は袋でくれるのか? それとも小切手か?」
アストリッドは居住まいを正し、胸に手を当てて告げた。
「ただいま査定官による精密検収が完了いたしました。……検収の結果、お持ち込みいただきました魔石は『規格外・有害偽装品』と判定されました。つきましては、公定規則に基づき【買い取り不可(査定額ゼロ)】となります」
一瞬、カウンター周辺の空気が完全に凍りついた。
次の瞬間。
「――は、あぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?」
鼓膜を劈くような怒声が、行政庁の天井を揺るがした。
「買い取り拒否だとぉぉぉっ!? ふざけるな、耳をほじって聞き直せ! 俺が持ち込んだのは大鬼の心臓魔石だぞ! こんなに澄み切って輝いている特級品が、ゼロ円なわけがあるか! 貴様ら、買い叩くどころかタダで獲物を巻き上げる気か!?」
(中編に続く)




