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第十三話:中央査察官がやってきた(前編)

「……では、これより王国財務監察総局の令状に基づき、スコグハイム地方行政庁・第七窓口の集中監査を開始する」

 本庁舎二階の特設査察室。

 純白の官吏外套を羽織り、銀縁眼鏡の奥から怜悧な氷の眼差しを放つ青年官吏――中央特命査察官エリクソンが、冷徹な声で宣告した。

 その隣には、黒い仕立ての良いスーツを着たロルフ次長が、獲物を狙う鷹のように嗜虐的な薄笑いを浮かべて腕を組んでいる。

 長机の上にドサリと積み上げられたのは、過去三年分に及ぶ第七窓口の全公金支出台帳、討伐契約書原本、そして数千枚にのぼる証憑書類の山だった。

「ひいっ……! な、何卒お手柔らかにお願いいたします、査察官殿……!」

 机の端で小さく縮こまり、早くも胃薬草の包み紙を握りしめているのはスヴェン主任である。

 今回の集中査察の狙いは明白だった。

 地方窓口の杜撰な事務処理や計算ミスを暴き出し、「魔獣対策課は非効率で公金の無駄遣いである」という口実を作り上げ、ノルデン商工連合への包括的民間委託――すなわち窓口民営化を一気に推し進めるための政治的査察であった。

「手加減などあり得ない。我ら監察総局の職務は、一銅貨の公金の歪みをも逃さず摘発することだ」

 エリクソンは手袋を嵌めた指先で、最初の一冊の台帳を無造作に開いた。

「……まず、昨年度第二四半期における消耗品費。第七窓口における事務用羊皮紙および黒インクの消費量が、前年同期比で三二%急増している。さらに、同時期の少額随意契約における討伐報酬の支払伝票において、源泉徴収控除額と地方税納付額に【三銀貨】の計算不一致が記録されているな。これについて、即答を求める」

 エリクソンの冷ややかな声が、査察室の空気をピシリと凍りつかせた。

「ひ、三銀貨……!? そ、それはですね……その、昨年の害獣駆除の端数処理規定の改定に伴う、ええと……!」

 主任の目が泳ぎ、額から冷や汗が滝のように吹き出す。

「答えられないか。公金支出の根拠不備、および会計帳簿の虚偽記載の疑いとして記録――」

「失礼いたします。その件につきましては、私がご説明申し上げます」

 凛とした澄んだ声が、査察官のペンを止めた。

 背筋をピンと伸ばして進み出たのは、真新しい黒い事務用腕カバーを身につけた新米書記官(レセプショニスト)、アストリッド・リンドベリである。

 アストリッドは手元の木製算盤(アバカス)をコトンと机に置き、背後に控えていた台車から、鮮やかな青い付箋が几帳面に貼られた一冊の別冊綴りを引き抜いた。

「昨年度第二四半期の消耗品費の増加につきましては、当時多発した小鬼(ゴブリン)の大量発生に伴い、従来の手書き契約書から『定型少額随意契約書式(第二号様式)』へと移行するための初期印刷費用でございます。こちらの『消耗品受払簿原本』と、査定室イーヴァル氏による受領検収印をご確認ください。翌四半期以降、用紙消費量は四五%削減されており、通年では約二十銀貨の事務コスト削減を達成しております」

「……なに?」

 エリクソンの銀縁眼鏡の奥が、わずかに細められた。

「さらに、ご指摘の三銀貨の不一致に関してですが」

 パチ、パチパチパチ……!

 アストリッドの指先が、目にも留まらぬ速さで算盤の珠を弾いた。

「当該案件は、王国地方自治法第百八条第三項の『端数切捨て規定』と、地方税法第四十五条の『源泉控除優先原則』の適用条文の解釈不一致により生じた一時的な仮受金処理でございます。翌月十日、追加補正伝票番号四〇八号に基づき、過納金として正規冒険者ビョルン殿へ還付精算済みでございます。こちらが当時の還付受領書、および王国中央銀行スコグハイム支店の公金振込照合票原本です」

 バサリ、と寸分の狂いもなく示された三枚の証拠原本。

 日付、金額、魔力印、そして担当者の割り印に至るまで、完璧な整合性を保っていた。

「…………」

 エリクソンは無言で眼鏡のブリッジを押し上げ、アストリッドが差し出した書類を鋭い視線で精査した。

 隣のロルフ次長が、忌々しそうに眉をひそめる。

「……なるほど。では、北方山岳地帯における岩裂き熊(ロックベア)の討伐案件、受託番号〇四二一。名義貸し疑惑による支払差し止めと、拾得物資としての公定買い取り処理。名義人ハンスへの報酬全額を差し止めながら、なぜ無登録の潜り冒険者エーリックに対し、行政庁の公金から三十五銀貨もの買い取り金を即時支出したのか? これは違法な公金の目的外支出ではないのか?」

「目的外支出ではございません」

 アストリッドは間髪を容れずに、分厚い法令集の該当ページを指先で示した。

「王国地方自治法第百八条『不法原因労務における公正救済条項』に基づき、行政庁が直接買い入れた素材および三等魔石(マナステイン)は、即座に庁舎地下の防衛備蓄庫へと正規入庫されております。こちらが地下倉庫の入庫現物受領証、およびイーヴァル氏による正規魔力査定書です。さらに、買い取り金額から正規登録手数料三銀貨を相殺控除し、適正な鑑札を新規交付したことで、当庁は将来にわたる健全な納税者と討伐戦力を確保いたしました。公金の逸失利益はゼロ、むしろ行政上のリスク回避として極めて適法な専決処分でございます」

 淀みない条文の引用。一切の感情を挟まない、冷徹な数字と事実の提示。

 パチ、パチパチ……!

 アストリッドが算盤(アバカス)を払う乾いた音が、静まり返った査察室に小気味よく響き渡った。

「…………」

 エリクソン査察官は羽ペンを置き、じっとアストリッドの顔を見つめた。

 その氷のように無機質だった瞳に、かすかな驚愕の光が宿る。

「……地方都市のしがない一窓口にしては、異常なほど帳簿が整理されているな。付箋の色分け、証憑の相互参照インデックス、端数処理の法的根拠の添付……。王都の本省エリート官吏でも、ここまで完璧な証憑綴りを作れる者はそうおらんぞ」

「過分なお言葉、恐縮でございます」

 アストリッドは営業用スマイルを崩さず、深々と一礼した。

「定時に帰るためには、後日の査察で一分たりとも無駄な質疑応答を発生させないことが、最も効率的な業務管理でございますので」

「……ふっ。定時退社か」

 エリクソンは微かに口元を緩めたが、すぐに元の冷徹な表情に戻った。

「午前中の査察はここまでとする。だが午後からは、開拓村への出張窓口における現金輸送記録、および地下保管庫の現物魔石との照合を行う。……覚悟しておくことだな」


(後編に続く)


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