第十二話:年に一度の慰労酒会と愚痴大会(後編)
「……だがな、役所の連中」
ふいに、ビョルンの重く低い声が、和やかな円卓の空気をピンと引き締めた。
大ジョッキをテーブルにドンと置き、歴戦の古傷が刻まれた顔を険しく歪める。
「浮かれてばかりもいられねえぞ。……最近、街の裏通りで妙な噂が流れてる」
「妙な噂、ですか?」
アストリッドが背筋を正し、ビョルンを見つめた。
「ああ。あの『ノルデン商工連合』の連中だ」
ビョルンは周囲の席に鋭い視線を走らせ、声を一段低く落とした。
「あいつら、王都の中央貴族や本庁舎の上層部と裏で手を組んで……このスコグハイムの『魔獣対策窓口』を丸ごと民間に買い取る計画を進めてるらしい」
「……っ!?」
スヴェン主任の手から、エールのグラスが滑り落ちそうになった。
「ま、窓口の買い取り……!? 『民間外注』の噂は本当だったのか……!?」
「ああ。噂どころじゃねえ、かなり本気だ」
ビョルンが吐き捨てるように言った。
「商工連合の幹部どもが、酒場でこう吹聴してやがった。『役所のトロい手続きを廃止して、うちが一括委託を受ければ、討伐公金の事務コストは半減する』とさ。……だが裏を返せば、潜りの冒険者を安く使い潰し、魔石の利権を独占して私腹を肥やすための企みだ。そんなことになりゃ、真っ当な冒険者はみんな干からびちまう」
「さらに言えば、魔石の軍需横流しですね」
アストリッドが冷静な口調で言葉を継いだ。
「王都では現在、大型魔導具の開発や国防強化に伴い、高純度の特級魔石の取引価格が高騰を続けています。行政が管理していれば、適正な品質査定と公定価格により、魔石は公共の防衛備蓄に充てられます。ですが民間委託になれば、査定基準を都合よく改竄し、特級魔石を並品として安く買い叩いて王都の闇市場へ流すことが可能になります。……表向きの『行政経費半減』の裏で、何十倍もの巨額の公金と国富が特定の商工勢力に吸い上げられる仕組みです」
「…………」
アストリッドの鋭利な分析に、ビョルンが感心したように唸った。
「まったく、恐れ入ったぜ。そこまで見抜いてやがったのか」
「この半年間の出来事が、すべて一本の線で繋がりましたから」
アストリッドの瞳に、静かな怒りと決意の炎が宿った。
「市場から消えた高品質な特級魔石。系列薬舗による高額ポーションの公金吸い上げ。吹雪の開拓村における、情報弱者を狙った安値買い叩き。そして、生活困窮者を利用した組織的な名義貸し。彼らは単に目先の利益を貪っていただけではありません。意図的に現場を混乱させ、魔獣対策課の運営コストを肥大化させて『非効率な行政』というレッテルを貼り、民営化という名目で公金と魔石利権を丸ごと乗っ取ろうとしているのです」
「その通りよ」
ヘルガがジョッキを置き、冷徹な視線を向けた。
「そして次に来る手は決まってるわ。本庁舎の上層部が、いよいよ本腰を入れて私たちを潰しにかかるはずよ。……来週、月が替わると同時に始まる『下半期制度改革』と、中央からの監査官の派遣。……ここからが本当の正念場ね」
「ひいぃぃっ……! 監査官……! 中央の冷酷なエリート監査官が来るのかぁぁ……! ただでさえ胃が痛いのに、もう一つ、とんでもない厄介事まで引き受けてしまったというのに……!」
「もう一つの厄介事、ですか?」
アストリッドが首を傾げると、スヴェン主任はさらに深く項垂れた。
「……今年度の『庁舎職員互助会』の幹事役員の順番が、うちの課に回ってきてしまったんだよ……」
「職員互助会ですか? 新人の私にはあまり馴染みがありませんが、具体的にはどのようなお仕事なのですか?」
「全庁の職員から会費を集めて、親睦行事や慶弔見舞金を管理する組織だよ。……それに、庁舎内の地下売店や職員食堂の運営委託の窓口も互助会なんだ。先日の役員会で『誰が引き受けるか』って重苦しい沈黙になってね……。結局クジ引きになったんだけど、なんというクジ運の悪さ。役員のひとりに当選してしまったんだよぉ」
「まあ、主任ったら相変わらずのクジ運の悪さですね」
「ふふ、本当にクジ運だけの問題かしらね〜? 完全に貧乏籤を押し付けられたわね」
ヘルガがクスクスと意味深に笑いながら黒ビールをあおった。
「あそこの地下食堂、最近本当に不味くて高くて職員の不満が爆発してるのよ。一番厄介な火中の栗を拾わされたわね」
「ううっ、胃が……胃薬草が足りない……!」
主任が再び机に突っ伏した。
だが、アストリッドは恐れるどころか、愛用の木製算盤をぎゅっと胸に抱きしめた。
「受けて立ちます」
その声には、配属当初の怯えは微塵もなかった。
「どれほど巨大な組織が圧力をかけてこようと、帳簿の数字に嘘はつけません。監査官の査察も、互助会の業務も、すべて厳格な法規と計算で片付けてみせます。……一銅貨の不正も、決して見逃しはいたしません」
「がははっ! 頼もしいじゃねえか、嬢ちゃん!」
ビョルンが豪快にアストリッドの背中を叩いた。
「さあさあ、湿っぽい話はおしまい!」
ヘルガがパンパンと手を叩き、厨房へ向かって朗らかに声を張った。
「おかみさーん! エールもう三つと、あの美味しいハーブソーセージ追加でお願い!」
「はいよ、喜んでー!」
厨房の奥からビルギッタの張りのある声と、ハルヴァルの豪快な笑い声が返ってくる。
「わ、私の財布が……今月の小遣いが完全に消し飛ぶぅぅ……!」
頭を抱える主任を囲み、深夜のスコグハイムの酒場に、四人の笑い声が心地よく響き渡った。
――そして、翌週、月が替わった月光の日の朝。
秋風が冷たく吹き抜けるスコグハイム地方行政庁・第七窓口。
きっかり午前八時十五分。
真新しい黒い事務用腕カバーを腕に通し、アストリッドは背筋をピンと伸ばして窓口の席に着いた。
「おはようございます、ヘルガ先輩、スヴェン主任」
「おはよう、アストリッドちゃん。二日酔いは大丈夫だった?」
「万全です。今週こそ、今週こそ毎日定時退社を成し遂げてみせます」
力強く胸を張るアストリッド。
だが――その瞬間。
バタン! と執務室のスイングドアが跳ね上がり、冷たい足音が響いた。
現れたのは、黒い高級スーツに身を包んだ庁舎のロルフ次長。
そしてその背後には、見慣れない純白の官吏外套をまとい、銀縁眼鏡の奥から氷のような視線を放つ冷酷そうな青年官吏の姿があった。
「スヴェン主任。本日より、王都の王国財務監察総局より派遣された特命査察官、エリクソン殿が着任された」
「ひいっ……! か、監査官殿……!?」
主任の顔から一瞬で血の気が引いた。
「これより、第七窓口の過去三年分の全公金支出台帳、および討伐契約書原本に対する【全面集中査察】を開始する。……一銀貨でも計算が合わぬ場合は、即座に窓口の業務停止および民間移管を執行する。……覚悟したまえ」
ドサリ!! とカウンターの上に叩きつけられたのは、財務監察総局の金文字の封印が施された、真っ赤な表紙の『集中監査執行令状』だった。
エリクソン査察官が銀縁眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、冷酷な光を放つ瞳でアストリッドを見下ろす。
「地方都市のしがない窓口職員に、本部の厳格な監査基準を耐え抜くことができるかな?」
「…………」
開庁を告げる午前八時半の鐘が、スコグハイムの街に重々しく鳴り響いた。
第七窓口の存続と、守り抜いてきた公金の正義を賭けた、本当の戦いが幕を開けようとしていた。
だが、アストリッド・リンドベリは怯むことなく、愛用の木製算盤を静かに構えた。
「……望むところです。計算を、始めます」
(第二章完)
お読みいただきありがとうございます!
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、
下部にある【ブックマーク登録】や【いいね】、ページ下部の【★★★★★】評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!
次回もよろしくお願いします。




