第十一話:名義貸しは重大な規則違反です(前編)
「おい、受付嬢。さっさとこの討伐の完了印を押して、報酬の【銀貨五十枚】を出しな。こちとら次の用事があって急いでんだ」
スコグハイム地方行政庁・第七窓口のカウンターに、ドサリと乱暴に放り出されたのは、黒ずんだ血糊の染みついた麻袋と一枚の討伐完了申請書だった。
カウンターの前に立っているのは、顔の半分を黒いフードで深く覆い隠した、痩せ型の陰気な男だ。
その背中には刃こぼれだらけの長剣が斜めに背負われ、使い古された革鎧の隙間からは生々しい無数の古傷が覗いている。
男の胸元には、地方行政庁が発行した真鍮製の『個人事業主登録証(冒険者鑑札)』が揺れていた。
刻印された登録名は――『ハンス・クレーバー』。
「……おはようございます。第七窓口へようこそ」
新米書記官のアストリッド・リンドベリは、冷ややかに澄んだ瞳で男の胸元の真鍮鑑札を見据えた。
ハンス・クレーバー。
先日、百二十件の未提出報告書を一斉棚卸し処理していた際、アストリッドが発見した『魔力照合パターンの不自然な代理委任状』の常習提出者である。
「申請書を拝見いたします。受託番号〇四二一、北方山岳地帯における危険度ランクB岩裂き熊の討伐案件ですね。規定に基づき、討伐証明部位の検収、および本人確認を行います」
アストリッドは事務用手袋を嵌め、麻袋から鋼のように硬い巨大な爪を三本取り出し、金属製の検収トレイに並べた。
「部位の品質、切断面の保存状況ともに問題ございません。先ほど地下査定室のイーヴァルさんより、摘出された三等魔石の正規受領証も届いております。……では、鑑札の生体魔力照合を行いますので、そちらの魔力感知台に右手を密着させてください」
「……チッ、いちいち細かくて面倒な役所仕事だぜ」
男は忌々しそうに舌打ちしながら、カウンターの脇に設置された王国規格の青銅製魔力照合器に右の手のひらを置いた。
――キィィィン……。
魔力照合器が低く唸りを上げ、内部の精密な歯車が噛み合う微かな機械音が響く。
中央に埋め込まれた青い魔光石が、男の生体魔力に反応して淡い光を放ち始めた。
この感知器は、個人の魔力循環系から発せられる微細な波長を検知し、鑑札の芯材に封入された魔力波長原簿と直接照合する仕組みである。
だが、その光は三秒と持たずにプツリと途切れ、中央の警告ランプが激しい赤色で点滅した。
――ブブーッ!!
静まり返った執務室に、耳障りなエラー音がけたたましく鳴り響いた。
「……エラーコード四〇二。照合不一致です」
アストリッドは台帳から冷ややかに顔を上げ、男の目を真っ直ぐに見据えた。
「鑑札プレートの芯材に刻印されている登録魔力波長と、お客様ご自身の生体魔力波長が、まったく一致いたしません。……お客様、失礼ですが、本当に登録冒険者のハンス様ご本人ですか?」
「な……っ!? 何言やがる!」
男の頬がサッと青ざめ、目元が険しく釣り上がった。
「俺がハンスに決まってんだろ! 昨日の岩裂き熊との死闘で魔力を使い果たして、一時的に体内の波長が乱れてるだけだ! そんな骨董品の機械の故障に決まってんだろうが! つべこべ言わずに銀貨五十枚を出しやがれ!」
「機械の故障ではありません。王国規格の最新魔力感知器は、たとえ完全な魔力枯渇状態であっても、骨格と神経系に刻まれた固有の魔力波長を九九・八%の精度で識別します」
アストリッドの声の温度が、一気に氷点下へと下がった。
「お客様。フードをお取りになり、素顔をお見せいただけますか?」
「ふ、ざけんな! 受付風情が生意気な指図をするな! 金を払わねえ気なら、力づくで……!」
男がカウンターを激しく叩き、身を乗り出した。
その殺気立った怒号を聞きつけ、奥の机からスヴェン主任が「ひいっ……! ま、また荒くれ者だ……! アストリッド君、刺激しちゃダメだぁぁ!」と胃を押さえて縮こまった。
そこにヘルガが颯爽とカウンターを飛び越えて参上した。
「お客様の鑑札交付原簿を照会いたしました。本鑑札の正規名義人であるハンス殿は、二年前の登録時、身長百八十五センチ、右目の上に十文字の刀傷があると記録されています。……対して、お客様の身長は百七十センチ前後。刀傷も存在しません」
「ぐっ……そ、それは……!」
「貴方はハンス殿ではありませんね。……行政庁の公認鑑札を不正に借り受け、他人の名義で公金を受給しようとする無登録の『潜り冒険者』――すなわち、違法な【名義貸し受託者】です!」
ヘルガの鋭い一刀両断に、男の顔から完全に血の気が引いた。
(後編に続く)
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