第十話:出張窓口は天候不良に付き(後編)
ビューオォォォォォッ!!
午後三時を回った頃、集会所の太い丸太の壁を、猛烈な吹雪が激しく叩きつけ始めた。
「おい、役所のお嬢ちゃんたち! 大変だ!」
御者の男が、全身雪まみれになって集会所の扉を跳ね開けた。
「峠道が猛吹雪で完全に塞がれちまった! 尾根道で雪崩の兆候もある! 今日の夕方に街へ引き返すのは不可能だ! 今夜はこの村で足止めだぞ!」
「……ええっ!?」
アストリッドが集会所の窓から外を見やると、視界は完全な白銀の猛吹雪と化していた。
一寸先も見えない吹雪の中、馬車を出すことなど完全な自殺行為だった。
「まあ〜、困ったわねえ」
ヘルガがパチンと指を鳴らし、のんびりと伸びをした。
「山道で遭難して凍死するより百倍マシよ。村長さん、今夜泊まれる宿か空き部屋はあるかしら?」
「おお、集会所の二階に、旅人用の宿泊部屋があるべ! 薪ストーブも分厚い羊毛毛布もあるから、暖まって泊まっていってくだされ!」
親切な村人たちが、すぐに部屋の暖炉に火を入れ、干し肉と根菜をコトコト煮込んだ温かい麦粥を差し入れてくれた。
「ありがとうございます、村長さん……」
アストリッドは温かい素焼きの器を受け取り、ホッと胸を撫で下ろした。
村人全員の換金清算は無事に終了し、金庫の残高と臨時出納帳の数字も、一銅貨の狂いもなく完璧に合致している。
都市の整った庁舎に座っているだけでは見えなかった行政の現実。どれほど公正な法規や公定価格があっても、窓口に足を運べない辺境の人々には届かない。……けれど今日、自分たちが吹雪を押してここまで来たことで、不当に買い叩かれそうだった村人たちの冬の生活を守ることができたのだ。
帳簿を閉じた指先に、じんわりと静かな公務員としての誇りが滲んでいた。
「……やれやれ。予期せぬ足止めを食らいましたが、本日の業務はこれで完全終了です」
パチパチと薪が爆ぜる心地よい音を聞きながら、アストリッドは集会所の二階のベッドに腰掛けた。
壁掛け時計は午後五時を指している。
「定時です……! たとえ猛吹雪で閉じ込められようと、本日の予定業務がすべて終わった以上、私の完全なる定時退社(?)です!」
アストリッドの顔に、ほのかな安堵の笑みが浮かんだ。
今夜は、親切な村長さんが振る舞ってくれた、薪火で皮目を香ばしく焼き上げた脂の乗った川鱒の塩焼きと、ホクホクに煮崩れた甘い焼きカブの温かいスープ、そして野イチゴを漬け込んだ素朴な地酒を味わい、フカフカの藁ベッドでぐっすり眠るのだ!
「トントン」
その瞬間、部屋の木製ドアが控えめにノックされた。
「……はい?」
アストリッドが扉を開けると、そこには申し訳なさそうに眉を八の字にする村長と、隣の部屋から興味津々に顔を出したヘルガの姿があった。
「役所のお嬢ちゃん……すまねえ、休んでるところに……」
「村長さん、どうされたのですか?」
「いやね……村の年寄り衆が『役所の立派な書記官様が泊まってるなら、ぜひ見てほしい』って言ってな……」
村長の後ろから、村の頑強な青年たちがドサリ、ドサリと巨大な杉の木箱を二つ運び込んできた。
蓋を開けると、中に入っていたのは――過去三十年間、村役場の奥の物置で埃と蜘蛛の巣をかぶって放置されていた『未処理の害獣被害届および防除交付金申請書』の羊皮紙の山だった。
「……え?」
「山奥だから書類の正式な書き方も分からねえし、歴代の村長が『そのうちまとめて役所に届けるべ』って木箱に溜め込んでたら、三十年分たまっちまってな……。今回の商工連合の件で焦って掘り起こしたんだが、過去三十年分の小鬼や角兎の頭数集計と、未払い交付金の再計算をしてくれねえべか……?」
「は……!? さ、三十年分の未処理被害届の時効計算……!? 公法上の債権消滅時効は原則五年です! 二十五年分はすでに法律上失効しています!」
「そこを何とか、開拓地特別救済条例の経過措置で少しでも計算してくれねえべか……! 当時の村長が役場に相談したって日記のメモも残ってるんだべ……!」
「さらに、二十年前の貨幣改鋳前の旧銅貨レートと新銅貨レートの換算照合も必要ね〜」
ヘルガが毛布にくるまりながら、楽しそうにウインクした。
「アストリッドちゃん、旧法と新法の時効特例計算と旧貨幣換算、大好物でしょ〜? 雪に閉ざされた冬の夜長には、過去三十年分の旧法規照合が一番の退屈しのぎよ。明日までに集計表を作ってあげれば、村の過去の財政が救われるわ。私は先に寝るから、頑張ってね〜!」
「ヘルガ先輩ぃぃっ!? 旧貨幣レート換算まで私に丸投げですか!?」
バタン、とヘルガの部屋の扉が無情にも閉ざされた。
「…………」
アストリッドの目の前に聳え立つ、高さ一メートルを超えるカビ臭い申請書の山と、解読不能な歴代村長の手書き日記。
外ではヒョオォォと吹雪が猛烈に吹き荒れ、逃げ場はどこにもない。
「……計算を、始めます」
へき地の雪山に閉じ込められた新米公務員の怒りの算盤の音が、今夜も吹雪の音をかき消すように、夜更けの集会所に延々と響き渡るのだった。
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