第八話 年一回の備品一斉棚卸し(後編)
「……ありました〜」
捜索開始から一時間後。
保管庫の最奥、古い暖房器具や予備の机が乱雑に積み上げられた資材置き場の陰から、ヘルガののんびりとした声が響いた。
「ヘルガ先輩! 本当ですか!?」
アストリッドと主任が駆け寄ると、ヘルガは埃だらけの毛布をめくって見せた。
そこには、見事な螺旋を描く巨大な岩角羊の大角が転がっていた。
だが――その角の上には、なぜかスヴェン主任の私物である『胃薬草の乾燥干し網』が、丁寧に引っ掛けられていたのである。
「…………主任?」
アストリッドの冷ややかな視線が、床に這いつくばったままの上司を射抜いた。
「あ、いや……そのね……? 昨年の秋、収穫した胃薬草を陰干しするのに、この角のカーブが絶妙な角度でちょうど良くてね……? 一時的にここに掛けたまま、すっかり忘れて……」
「公用動産を個人の薬草干し場に私用流用するなど、公私混同も甚だしい重大な規律違反です!」
「す、すいませんでしたぁぁぁっ!」
主任が地下の冷たい石床に額を擦り付けて謝罪した。
「……何はともあれ、現物確認完了。重量十二・五キロ、破損なし」
アストリッドは深いため息をつきながら、台帳に受領確認の捺印を行った。
「これで大型素材の照合も完了です。……残るは最後の最重要棚、耐火金庫内の『高額差し押さえ保管物件』のみとなりました」
アストリッドたちは、イーヴァルの待つ耐火金庫の前へと戻った。
金庫の中には、過去の密猟事犯や不正取引で没収された、特に高純度の魔石や希少素材が厳重に封印されている。
「……イーヴァルさん、金庫内の最終確認をお願いします」
「……ん。金庫番号一から九、異常なし。だが……」
イーヴァルの無骨な手が、一つの真鍮製保管ケースの前でピタリと止まった。
「……これを見ろ」
差し出されたのは、半年前の違法採掘事件で差し押さえられた『特級風魔石』の保管ケースだった。
封印の封蝋は一見、無傷に見える。
だが、イーヴァルが天秤に魔石を乗せると、傾いた針が示し合わせた数字で止まらなかった。
「……重量、百八十二グラム」
「……え?」
アストリッドは手元の台帳の記録を目で追った。
「差し押さえ当時の公式計量台帳には……『全重量、二百二十グラム』と記載されています。……マイナス三十八グラム……?」
「馬鹿な!」
スヴェン主任が青ざめて叫んだ。
「金庫の鍵は私と次長しか持っていないんだぞ!? 封蝋だって破られていないのに、魔石が自然に三十八グラムも縮むわけがない!」
「……魔石は縮まない」
イーヴァルは手元の拡大鏡を外し、冷たい声で告げた。
「……すり替えだ。封蝋は、本物の印章を使って巧妙に再封印されている。だが中身は、純度八割の特級品から、純度五割の並品へと丸ごとすり替えられている。三十八グラムもの差をごまかす気すらなく、帳簿の数字と封蝋さえ無事なら、誰も中を開けて測り直さないと高を括っていたのさ」
「な……っ!?」
アストリッドは息を呑み、差し押さえ台帳の過去の記録を凝視した。
半年前の差し押さえ決裁欄。
そこには、魔石の『定期状態検査・異常なし』の点検確認欄の上に、微かに羊皮紙をナイフで削り落としたような薄い修正痕があった。
現物の検査など一度も行われていないにもかかわらず、過去の点検履歴を削って『保管状態良好・検査済み』と上書きされていたのだ。
そしてその横には、本庁舎上層部の監査承認印が押されていた。
――『ロルフ次長』。
「…………!」
アストリッドの背筋に、氷水を流し込まれたような寒気が走った。
以前、魔石の査定日にイーヴァルが漏らしていた言葉。
――『最近、市場から質の良い特級魔石がどこかへ吸い上げられている気がする』。
経費削減の直談判で見かけた、次長の机の上の『包括的民間委託契約草案』。
先日の経費精算で暴かれた、商工連合系列薬局による暴利ポーション。
行政庁の地下保管庫から、極秘裏に横流しされる高純度魔石。
そのすべてが、一本の見えない太いパイプで、本庁舎の暗部へと繋がっていた。
「アストリッド君……み、見なかったことに……見なかったことにしてくれ……!」
スヴェン主任が歯の根をガチガチと鳴らしながら、アストリッドの袖を掴んだ。
「これ以上踏み込んだら、私たち全員、本当に消される……! 台帳の数字は適当に『経年劣化による魔力揮発』とでも書いて処理しよう……!」
「できません、主任」
アストリッドは毅然として首を横に振った。
「不正の隠蔽に加担することは、私自身の公務員としての魂を売り渡すことです。……ただし」
アストリッドは冷静に息を吸い、手帳に鉛筆で精密なメモを走らせた。
「今ここで騒ぎ立てても、証拠不十分で握り潰され、私たちが処分されるだけです。本日の棚卸し報告書には、事実のみを淡々と記載します。『封印ケース現況重量、百八十二グラム。当初計量記録との差異三十八グラムにつき、要・詳細成分再鑑定』と」
「アストリッドちゃん、賢いわね〜」
ヘルガが目を細めて微笑んだ。
「敵を泳がせつつ、逃げられない外堀を着実に埋める。数字を扱う女の基本戦術ね」
「……ん。この魔石の成分分析表、俺が極秘裏に控えておく」
イーヴァルが力強く頷き、保管ケースを金庫の奥へと戻した。
「ゴーン、ゴーン――」
地上から、午後四時の鐘が微かに響いてきた。
予定通りの時間で、地下保管庫の全品目の棚卸しが完了した。
「……ふう」
地下から地上の一階執務室へ戻ると、夕方の柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。
埃まみれの制服を払い、アストリッドは棚卸し完了報告書に最終の受領印を押した。
「出納帳、現物在庫、保管台帳。すべての数字の突合を完了いたしました」
暗い陰謀の影を胸に秘めつつも、目の前の業務を完璧に完遂した達成感が満ちてくる。
「定時まで、あと五十分。……今日こそ、トラブルのない平穏な定時退社です!」
アストリッドは晴れやかな笑顔で、手提げ鞄に手を伸ばした。
今夜こそ、市場で買った香ばしい仔羊の肉をハーブと一緒にじっくり焼き上げ、蒸したての温かいライ麦パンと一緒に、誰にも邪魔されずに食べるのだ!
「アストリッドちゃ〜ん」
だが、その瞬間。
カウンターの向こう側から、市民課の職員が、大きな木箱を二つ抱えてやってきた。
「棚卸しお疲れ様〜! あ、これね、さっき本庁舎の備品倉庫の整理で出てきた、過去十年分の『破棄予定の不用印鑑と金属文具』の山なんだけど!」
「……はい?」
「金属の種別ごとにグラム単位で計量して、明朝の廃棄物回収業者に引き渡す書類、今日中に作らなきゃいけないんだって! 魔獣課の天秤のほうが正確だから、よろしくね〜!」
ドサリ! と机の上に置かれた木箱には、錆びついた金属の塊が数千個、山のように詰め込まれていた。
「…………」
壁の時計は、無情にも午後四時十五分を指している。
「……主任。明日じゃ、ダメですか?」
「あ、明朝七時半に業者の回収車が来るんだよぉぉ……! 本当にすまないぃぃ……!」
アストリッドは静かに鞄を置き、天秤の分銅を箱から取り出した。
「……計量を、始めます」
地下の陰謀を暴くその日まで、新米公務員アストリッドの地道な数字との戦いは、今夜も遅くまで続いていくのだった。
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