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第七話 その魔物はどこの管轄ですか?(前編)

「いいか魔獣対策課! この巨大な害獣が踏み荒らしているのは、都市外周の泥炭地だ! 城壁の外側で起きた魔獣災害は、百パーセントお前たちの管轄だろうが! 我が都市警備隊の貴重な治安警備予算を、一銅貨たりともビタ一文出せるものか!」

「滅相もないことを仰らないでください隊長! ご覧ください、奴の鋭利な突進牙が、我がスコグハイムの誇る第一種防壁の基礎石をガリガリと削り取っているではありませんか! 都市防衛施設の直接侵害――すなわち都市内部の治安および防衛事案です! 警備隊の予算で専決処分してください!」

 夕闇が迫るスコグハイム南門の城壁直下。

 跳ね橋の袂に設えられた木製フェンスの前に、松明の赤い火の粉がパチパチと飛び散る中、お役所特有の醜悪な怒鳴り合いが響き渡っていた。

 怒声を張り上げているのは二人。

 一人は、銀色に磨き上げられた胸甲に青いマントを翻した、厳めしい口髭の壮年騎士――スコグハイム都市警備隊の現場指揮官、ガートルード隊長。

 そしてもう一人は、青ざめた顔で胃を押さえながらも、必死に公文書綴りを盾のように構えている、我が第七窓口の責任者・スヴェン主任である。

 午後五時零二分。

 定時退庁の鐘の余韻に浸り、愛用の鞄を抱きしめて庁舎の玄関を出ようとしたまさにその瞬間、息せき切って飛び込んできた警備隊の伝令兵に強制連行された結果が、この有様だった。

「……主任。寒風でインク壺の底が凍りつきそうです」

 アストリッド・リンドベリは、制服のコートの上から黒い事務用腕カバーをきっちりと締め直し、冷たい指先で木製の算盤を構えた。

「定時を過ぎてすでに三十分が経過しています。お互いの責任を擦り付け合って怒鳴り散らす時間は、王国公務員倫理規程において『非生産的超過勤務』として厳格に戒められています。……双方、静粛に願います」

「し、しかしアストリッド君! 警備隊の言い分を認めてうちの課の単独予算で処理したら、今期の害獣駆除枠は完全に赤字転落、次長から私のボーナス全額カットの処分が下るんだよぉぉ……!」

「我が隊とて同じだ!」

 ガートルード隊長が、腰のサーベルの鞘を苛立たしげに鳴らした。

「本庁舎の上層部から『治安維持費を二割削減せよ』と締め付けられているのだ! 城壁外の野良豚一匹に、騎士団の防衛予備費を使えるわけがなかろう!」

 二人の官吏が予算の責任逃れに血道を上げる、まさにその十メートル先。

「ブゴォォォォォッッ!!」

 大地を揺るがす地響きとともに、猛烈な突風が吹き抜けた。

 城壁の基礎石に激突し、火花を散らしているのは、体長三メートルを超える筋骨隆々の巨獣――大猪(ワイルドボア)である。

 剛毛に覆われた黒褐色の体躯は小型の荷馬車ほどもあり、左右に湾曲した白亜の牙は、成人の太ももよりも太い。

 興奮のあまり血走った瞳をギラギラと輝かせ、地面を鋭い蹄で激しく蹴り上げている。

 その大猪を取り囲むように、数本の長槍を構えた警備兵たちと、歴戦の冒険者たちが、抜刀したまま膠着状態を保っていた。

「おい役所ども! いい加減にしろ!」

 包囲網の最前線で、身の丈ほどもある大剣を構えた巨漢――ビョルンが、血管の浮き出た首筋を真っ赤にして怒鳴り返してきた。

「俺たちは城門前を通行止めにして、奴が市街地に突入しねえように必死で足止めしてんだぞ! さっさと討伐許可のサインを出せ! 誰の管轄だろうが、今すぐ俺が一刀両断にしてやる!」

「ダメです、ビョルンさん! 絶対に手を出さないでください!」

 アストリッドはカウンターから持ち出したメガホン代わりに、両手を口元に当てて叫んだ。

「行政庁の発注決裁と公金支出科目、および討伐契約の受託主体が確定しないまま私設武力を行使した場合、王国鳥獣保護取締法第三条『違法捕獲および密猟行為』に該当し、討伐部位の全量没収に加え、金貨二枚以下の科料が科されます!」

「なっ……!? 街を守るために魔物をぶった斬ろうとしてんのに、密猟で罰金だとぉっ!?」

「そうです! 法規は法規です! 契約書のない労働は、行政上存在しないものとみなされます!」

「相変わらず石頭の堅物小娘め……!」

 ビョルンが歯噛みしながら、突進を繰り返す大猪の鼻先に大剣の腹を叩きつけ、間一髪で弾き返した。

 現場の緊張感は限界寸前だった。

「アストリッドちゃん、寒いわね〜」

 アストリッドの背後から、優雅な毛皮のマフラーを巻いたヘルガが、温かい湯気を立てる素焼きの携帯水筒を差し出してきた。

「はい、乾燥生姜とハチミツのお茶。……で、どうするの? あの猪、あと五分も暴れ回ったら、南門の閂が跳ね飛んで市街地の大通りに雪崩れ込むわよ?」

「ありがとうございます、ヘルガ先輩」

 アストリッドはお茶を一口すすり、冷え切った頭を高速で回転させた。

 状況を整理する。

 問題の根源は、現場の誰もが「誰が討伐報酬を支払うのか」という財政責任を負いたがらないことだ。

 大猪の公定標準討伐基本報酬は【銀貨二十枚】。

 さらに、市街地直下という危険区域における緊急出動特別加算が【銀貨十枚】。

 合計【銀貨三十枚(金貨〇・三枚)】という、小口随意契約としては決して小さくない公金が動く。

 魔獣対策課の予算から出せば、スヴェン主任の管理責任が問われ、今期の害獣駆除枠が破綻する。

 警備隊の予算から出せば、ガートルード隊長が上層部の監査官から減俸処分を食らう。

「……ガートルード隊長、主任。現場の境界標を確認いたします」

 アストリッドは懐から真鍮製のメジャーを取り出し、泥と雪にまみれた地面に屈み込んだ。

 城門の敷石と、外周の湿地帯を分かつ境界線。

 そこには、風化した花崗岩の境界杭が埋め込まれていた。

「……杭の刻印を確認。『これより内、スコグハイム市街区警備管轄地』。……そして現在、あの大猪(ワイルドボア)の後肢二本は境界杭の外側十五センチ、前肢二本および頭部は境界杭の内側三十センチに位置しています」

「ほら見ろ!」

 ガートルード隊長が勝ち誇ったように叫んだ。

「足場は外側だ! 本体が外の大地に立っている以上、発生源は都市外の魔獣! 魔獣対策課の全額負担だ!」

「違います!」

 スヴェン主任が胃を押さえながら涙目で反論した。

「牙と頭部は完全に都市内に侵入しています! 現に城壁の石を削っているのは内側の牙です! 警備隊の全額負担です!」

「いいえ、お二人とも間違っています」

 アストリッドの冷徹な声が、二人の怒号をピシャリと遮った。

「双方が全額を押し付け合おうとするから、いつまで経っても計算が合わないのです。……これより、現行法規に基づく公正なる按分比率の算定に入ります」


(後編に続く)

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