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第六話:そのポーションは経費ですか?(後編)

 パチパチパチパチパチパチッ!

 執務室の奥で、アストリッドの算盤が嵐のような勢いで弾かれていた。

 机の上には、過去三年間に第七窓口で処理された全経費伝票、王立医師会発行の『標準薬価公定基準表』、スコグハイム市街の全薬舗の販売価格台帳、そして『王国公金支出適正化令』の分厚い条文集が整然と並べられている。

「……見えてきました」

 アストリッドは羽ペンを置き、眼鏡の位置を直してカウンターへと戻った。

 待合ロビーで睨み合っていた戦士と神官、そしてざわめく冒険者たちの前に立ち、凛とした声で告げた。

「お待たせいたしました。これより、各件の経費精算に関する正式な裁定結果をお伝えいたします」

 アストリッドはまず、包帯を巻いたベテラン戦士の領収書を指先で弾いた。

「戦士さん。あなたが提出されたこの『特級竜血配合超活性回復ポーション(金貨三枚)』……購入されたのは、中央大通りにある『黄金の雫薬局』ですね?」

「あ? そうだ。市内で一番デカくて豪勢な店だ。あそこなら間違いのない特級品が置いてあるからな。それが何か問題あるのか?」

「大いに問題があります」

 アストリッドは『標準薬価公定基準表』をバンとカウンターに広げた。

「王立医師会の定めた基準によれば、飛龍(ワイバーン)の裂傷を治療するために必要な特級回復ポーションの公定基準薬価は【銀貨三十枚(金貨〇・三枚)】です。あなたの領収書の金貨三枚(銀貨三百枚)は、適正相場の【実に十倍】という異常極まりない暴利価格です」

「じ、十倍……!?」

「ええ。この街では、医師による薬価独占を防ぐために『医薬分業』が制度化されています。治癒院の医師は診察と処方箋の発行のみを行い、薬の調剤と販売は独立した薬局が行う仕組みです。……そして、あなたの領収書の発行元である『黄金の雫薬局』をはじめ、街の主要な公認調剤薬局の多くは、あの『ノルデン商工連合』の傘下にあります」

 アストリッドの指摘に、戦士は慌ててカウンターに身を乗り出した。

「で、でもよ! 薬屋の店員が『公認の討伐任務で負った傷なら、役所の窓口で全額経費として戻ってくるから一番効く特級薬にしなさい』って強く勧めてきたんだぞ!?」

「……なるほど。冒険者に『役所が全額補填する』と誤認させて法外な価格の商品を売りつけ、冒険者の手を通じて行政の公金を過剰に吸い上げる構図、というわけですね」

 アストリッドの冷徹な分析に、ロビーの冒険者たちがどよめいた。

「な、なんだと……!? 俺は商工連合のカモにされてたってのか!?」

「ええ。王国財務規則第四十条『過剰・不適正価格による公金支出の制限』に基づき、この十倍に吊り上げられた金貨三枚の領収書を満額経費として認めることは、断じてできません」

「じゃ、じゃあ……俺の金貨三枚は、全額自腹ってことかよ!?」

 戦士が絶望に顔を歪めた。

「全額自腹にはいたしません」

 アストリッドは首を横に振った。

「公認任務における不可避の受傷であることは確認できました。したがって、行政庁としては公定基準薬価に基づく適正実費【銀貨三十枚】を『公務災害救護経費』として公金から支給いたします。差額の金貨二枚七十銀貨につきましては、不適正な暴利薬舗を選択された個人的な過失として自己負担となります。……ただし、行政庁から商工連合の薬局に対し、不当薬価販売の差額返還調停を申し立てるための告発用紙をお渡しします」

「う、うぐっ……! 三十銀貨出るだけでも御の字か……! あの強欲薬局め、後で文句言ってやる!」

 戦士は悔しがりながらも、筋の通った裁定に納得して減額承認書にサインした。

 アストリッドは間髪を入れず、今度は神官の冒険者に向き直った。

「次に、神官さま」

「は、はいっ!?」

「あなたの請求された治療魔法ですが、魔法による治癒は『無形役務』であり、物品の消耗を前提とする『消耗品経費』としての領収書精算は法的に不可能です」

「そ、そんな……! やはり神の奇跡はタダ働きですか!?」

「いいえ、タダ働きにはいたしません」

 アストリッドは別の公文書――『公認討伐作戦救護支援手当支給要綱』を提示した。

「討伐隊に随行した治癒術士が、自己の魔力を消費して仲間の生命を救助した場合、消耗品費ではなく【特殊専門技能手当(一作戦につき銀貨五枚)】を公金から直接支給する規定が存在します。経費精算ではなく、こちらの『救護活動実績申告書』をご提出いただければ、即座に五銀貨を満額支給いたします」

「お、おおっ……! 手当として正規に五銀貨が支払われるのですか!? 素晴らしい! 領収書など最初から不要だったのですね!」

 神官は満面の笑みで申告書を受け取り、サラサラと署名を行った。

 さらにアストリッドは、待合ロビーの冒険者たちを一喝した。

「なお! 武器の研ぎ直し代は『基本報酬に含まれる日常維持費』のため却下! 宴会の酒代は論外の私的遊興費のため即座に却下! 寝袋の損耗費も私有財産の減価償却のため却下! 破れた下着代など論外中の論外です!」

 凛としたアストリッドの一刀両断に、無理難題を言っていた冒険者たちはぐうの音も出ず、苦笑しながら領収書を引っ込めた。

「参ったな……あのお嬢ちゃんには一本も通らねえや」「だが、薬代の手当も神官の手当も、理由がハッキリしてて納得できるぜ」「役所の窓口が、急にマトモになったな」

 ロビーの空気は清々しい納得感に包まれ、怒号の嵐は完全に鎮火した。


「ふう……っ」

 アストリッドは深く息を吐き出し、乱れた出納帳を整えた。

 そして、手帳の余白に小さくペンを走らせる。

『無登録の潜り冒険者の増加』

『消えた特級魔石と闇ルート』

『経費削減を利用した民間外注化計画』

『ライセンスの名義貸しによる公金詐取』

『公認調剤薬局による薬価吊り上げと公金還流』

(……すべてが、一本の線で繋がっている)

 ノルデン商工連合という巨大な怪物が、スコグハイムの冒険者制度と公金利権を食い破ろうとしている。その巨大な陰謀の輪郭が、アストリッドの頭の中で鮮明に浮かび上がっていた。

 だが――。

 カチ、コチ、と壁の時計が進み、午後四時五十九分。

「……あと一分」

 アストリッドは息を呑んだ。

 本日の受付件数、全経費伝票の修正額、出納帳の数字、金庫の残高。

 すべて一致。一銅貨の狂いもない。

 そして――ゴーン、ゴーン、ゴーン……!

 高らかに午後五時の終業鐘が鳴り響いた。

「定時です……!」

 アストリッドは両手を高く突き上げた。

「やりました……! ついに、ついに成し遂げました! 配属以来初めての、完全なる定時退社です!」

 鞄を抱え、満面の笑顔で出口へと向かうアストリッド。

 今夜こそ、肉屋の特製ハーブソーセージをパキッと焼き、とろとろの溶かしチーズを絡めて、微発泡の林檎酒と一緒に味わうのだ!

「おめでとう、アストリッド君! 今日は真っ直ぐ帰ってゆっくり休むといい!」

 スヴェン主任も笑顔で見送り、ヘルガも優雅に手を振ってくれている。

 完璧な一日の終わり。完璧な第一章の幕引き。

 ――そう思った、まさにその瞬間だった。

 バタン! と玄関の扉が開き、血相を変えた都市警備隊の伝令兵が飛び込んできた。

「魔獣対策課長はおられるか!? 緊急事態だ! 街の城壁直下に大猪(ワイルドボア)が出現した! 警備隊の管轄か、魔獣課の管轄かを巡って隊長と市民課が城壁前で大揉めになっている! 至急、現場裁定に来られたし!」

「……え?」

 アストリッドの足が、出口の一歩手前でピタリと止まった。

 スヴェン主任が「ひいっ……! 管轄争い……! 胃がぁぁ……!」と倒れ込み、ヘルガが「アストリッドちゃん、お仕事よ〜」と笑顔で腕カバーを差し出してくる。

「…………」

 アストリッドは、静かに時計を見上げた。

 午後五時零二分。

「……先輩。明日じゃ、ダメですか?」

「ダメに決まってるじゃない。市民の安全が最優先よ!」

 アストリッドは深いため息をつき、鞄を置いて算盤を握り直した。

 新米公務員アストリッドの戦いは、明日も、明後日も続いていくのだった。


(第一章完)

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