四爪龍は皇子の意匠
香は、『一緒にここに泊まるの?』などと、とんでもなくはしたないことを口に出してしまい、カッと赤面。両手で顔を覆う。
「ここで寝る。離れたところで寝るから。ヨダレも姿も暗くて見えねーし」
「私、まだ、着替えてない」
「着替えれば?」
「は?」
「仕事がら、女の裸も着替えも見慣れてる。気にするな」
「はぁぁああ?」
「じゃなきゃ、守れない」
「覗き?!」
「そこまではない。声は聞く」
プライベートの声まで聞かれてしまう皇帝や妃達を、香は気の毒に思ってしまった。
それはそれ、これはこれである。たとえ墨竹が恥ずかしくなくても、香は恥ずかしい。
「……着替えるから……恥ずいの。せめて、あっち向いてて」
「向くけどさ。こっちは国中から選び抜かれた女の裸を見慣れてるってのに、香が恥ずかしがる意味あるっけ?」
芸術と同じく、女心も全く解さない墨竹だった。
──泣きぼくろ様って、絶対、カノジョいない。
と香は確信した。
食事、着替え、歯を磨きを終了し、そそくさと布団を敷く。どれだけ何もないと分かっていても、心臓がどきどきしてしまうのは仕方のないことだった。
──やーん。こんな状況、眠れなーい♡
朝起きると、ベッドの上に寝ていたはずなのに、冷たい地面に転がっていた。しかも、掛け布団が掛けてあった。熟睡したため、ベッドから落ちたことすら気づかなかったようだった。
──恥っず。
墨竹はいなかった。
「くーん」
チンギスはいた。
買い置きしておいた饅頭を昨晩チンギスに食べられてしまったので、朝食は墨竹からもらったちまき。
もちもちしたちまきを頬張りながら、香は、自分が何か重大なことを見落としているような気がしてならなかった。
◇
宮廷の城門で要件を告げると、中へ入る許可を得る。城門をくぐると前日、前々日と同じ宦官が待っていて、香は彼の2歩後ろについていく。彫刻を施す手すりに到着。持参した布を広げ、前日の作業の続きを行う。
香が牡丹の花を彫るようになったのは12歳のころだった。小さなころ、彫刻家の師匠の妻に拾われた。そのことは香の記憶にない。気づけば、師匠や弟子達に混じって木を削っていた。花が好きで、桜や椿を好んで彫っていた。しかし、まだ子供。とても仕事を引き受ける力量はなかった。
転機は14歳のころ。木屑の掃除や小間使いで豪華な屋敷の仕事に連れて行かれた。その屋敷の庭で牡丹の花に出会った。優美さに感動し、その日から、牡丹を彫ることに没頭した。牡丹の花が咲く季節になると、牡丹が咲いていると噂の屋敷の仕事についていき、絵を描いた。家に帰ると、鮮明な記憶のまま、一心不乱にノミを木槌で叩いた。
師匠は龍を得意とする。
『龍ってのはな、特別なんだ。五爪龍と言ってな、5本爪の龍は皇帝しか使えない。他の者が使うと国家反逆とみなされる。四爪龍は皇帝の息子。皇子や皇帝の弟が使う。厳密には龍じゃなくて、蟒って別の生き物なんだ』
香は師匠の言葉を思い出す。うっかり本数を間違えれば、国家反逆罪で死罪を免れない。
──4本。
香は、4本の蝋燭を思い出した。その記憶は幸運なバックハグの感触とセット。偽宦官が落とした腰佩に彫られていた。
──龍じゃなくて蝋燭だもん。あは。珍しい模様。
香は、手を止め汗を拭う。その際、ノミを左手で握りしめたままだった。4本の指が並行に並び、爪が並ぶ。そのとき気づいた。
──蝋燭じゃない。逆さの四爪龍。
蝋燭と炎だと思っていた。よく見ていなかった。火の点いた蝋燭だと思ったのは龍の指と爪、炎に見えたのは、龍のたてがみか、あるいはその身体に寄り添う瑞雲だろう。
師匠は龍の手、爪を彫る場合、本数を見間違うことのないよう、放射状に開く形にする。そのため、腰佩に彫られた並んだものを、香は火の灯った蝋燭と思ってしまったのだった。
重大な見落としは、これだった。
──え、皇子?!
香は畏れ多さに身震いした。
──じゃ、どーして宦官の服着てたんだろ。しかも下っ端の。
疑問と共に「どうしよう」と心の中で右往左往する。皇子にタメ口でいいのか。見張りの宦官に無礼を見られてしまった。しかも、桂花糕をもらう約束をしてしまった。
「桂花糕持ってきたぞ」
考えている暇もなく、当人が登場。歳から考えて、皇子なのだろう。前皇帝は26年前に崩御している。遊びに来た偽宦官はどう見てもティーン。
下っ端宦官のグレーのよれっとした服に身を包み、帽子を被ったまま回廊の手すりの前に座り込む。
「ありがとう」
香がおずおずと受け取ると、偽宦官はすぐ傍に控えていた見張りの宦官の名を呼び、同じく桂花糕を差し出した。
「もったいのうございます」
「こらっ、堅苦しいって」
丁寧な言葉を諌められ、見張りの宦官は「いただく」と丁寧なんだか雑なんだか分からない言葉で言い直す。
「美味しい」
「だろだろ? 母に伝えておくよ。喜ぶ」
「よろしくお伝えして」
「なんて名? オレは……洛」
「香」
「香か。とても柔らかで優しくて匂い立つような牡丹だって聞いてる。名前通りだな」
「そんなに素晴らしい言葉で褒めてもらえるなんて。ありがとう」
「オレじゃないけどさ」
「そっか。でも嬉しい」
「オレは、宮廷から出られないから」
「……」
──やっぱ、皇子だから。
「ほら、宦官じゃん」
「そうなの?」
「そうそう。だよね?」
洛はいきなり、見張りの宦官に話を振る。
「宦官は宮廷の内情に通じているので、情報漏洩を避けるために、宮廷を出ることを禁じられています。特例はあります。宿舎への案内や公文書を運ぶなど」
その言葉に、洛は目を輝かせる。
「え、出られる仕事があるって?」
すぐさま見張りの宦官はNGを出した。
「特例です。特例。城外は危険に満ちています。スリ、誘拐、詐欺、殺人」
洛はきらきらした目を香に向ける。
「そーなの? 香、スリに遭ったことある?」
「ううん、ないよ。お金持ってるように見えないから、私」
「誘拐は?」
「ぜんぜん。誘拐する価値ないし」
「詐欺は?」
「お金持ってない人を騙さないよ」
「殺人、、、生きてるか。ないな」
物騒なことを尋ねているのに、楽しそうな洛だった。
「宮廷の外にいる人達は、宮廷の中に憧れてるよ。威風堂々、豪華絢爛な世界に」
香が実感を込めて言うと、洛の瞳から光が消えた。
「そう見せてるだけ。それが望まれてるし、逃れられない」
「……」
洛は努めて明るく振る舞おうとしている。けれど、傍にいた見張りの宦官は、俯いて小さな声を零した。
「殿下……」
香はそれを聞き逃さなかった。答え合わせが終了した。洛は皇子。
ただ、哀しげな宦官の様子から、そして、前日の墨竹の言葉から、万暦帝は世間で噂されている暗君ではないのかもしれない、と香は感じた。




