宮廷通過パスの偽造
乾清宮の手すりで仕事をしていたとき、落とし物皇子、洛が紙の束を取りに来た。香は無言でそれを手渡す。暇だったのか、洛は作業をする香の背後でくっちゃべっている。
「11月にさ、きっと来るんだよ。北京に。今年は、ちょっと遅かったような気がする。でもまあ工房の1ヶ月後に寺」
不自然に「灰吹銀」「馬蹄銀」を省く洛。
コンコンコンコン
香は、洛の言葉をBGMにノミを木槌で打つ。
「しっかし、大変だね。こんな長いとこに牡丹彫るって。あ”ー。オレ、仕事の邪魔かな?」
「……」
コンコンコンコン
「焼餅(おやき)食べる?」
「うん」
「そこは返事するんだ」
「……」
「お金を使うって、難しいんだね」
「え?」
洛の唐突な言葉に、香は首を傾げる。
「墨竹に注意されちゃったよ」
「それは、戦費とか報酬?」
「とは違うけど」
「????」
墨竹に注意されたと言う割には、洛は嬉しそうに口元を綻ばせている。
コンコンコンコンコン
「んとさ、これ、ここに置いてく」
木槌を止めて振り向いたときには、手すりに沿った回廊に洛の後ろ姿があり、見張りの宦官が焼餅を頬張っていた。そして、道具箱の上にもう1つ焼餅が置かれている。
香も焼餅に齧りつく。
──へー。宮中でも、意外に庶民的なもん食べるんだ?
そんな感想を持ちながら、もぐもぐしていると、落とし物を発見。宮廷から香の宿舎までの途中にある屋台で焼餅を包んでいる紙ではないか。役所の近くで売っていることもあり、屋台では、役所で出た書き損じの紙を4つに破って使っているのである。
先ほどの会話は、初めてのお買い物に関する報告だったのだろう。香は、洛が、屋台で銀の塊を出して焼餅を買う姿を想像する。そんなことをされたら、屋台の店主がおつりに困る。墨竹の苦労が窺える。
──どーしてこんなに不注意なんだろ。
香は焼餅の紙を拾って丸め、道具箱に入れた。
見張りの宦官は、少しにやにやしながら香に視線を送る。
「覚えがめでたいですね。詳しく申し上げることはできませんが、とても良いご縁です。素晴らしきこと」
──げーーーーー。やめてぇぇぇえええ! 側室スタンダードの皇族とか、あり得ないから!!! その前に、洛とか、想像もできないから!!!
ぶん
ごん!
あまりの拒絶に、うっかり、木槌が宦官の足から1cmの場所に落ちてしまった。
「す、すみません。手が滑りました」
香は即座に謝ったが、見張りの宦官は、姿勢を正して顔を青くしたのだった。本当に偶然である。
◇
何も動いていないと思っていたのは香だけだった。
有能な宦官は税監だけではない。
極寒の2月。母代わりの師匠の妻からの羽織が重宝した。ほどよくチンギスの毛も追加され、見た目は毛だらけだが、暖かさはアップされている気がしている。
そんなとき、墨竹から聞かされた。
「香、銀のこと」
「ああ、なんか忘れてた」
香の頭の中は牡丹でいっぱいだった。手すりのどこに咲かせるのか。何メートルおきに大きな花をあしらうのか。風に舞う花びらをどうするのか。香にとっては一生に一度の大仕事。そうでなくても全力を注ぎたい。
「そろそろ王氏が月港へ着いたころなんだ」
「王さん、お元気かな」
「それは分かんない。この後さ、密輸船がマカオ行って帰って、運河で灰吹銀が北京に来るじゃん。そのときに捕縛できればって、洛は考えてる」
香は、悪いことをした人間は裁かれるべきだとは思う。しかし、おっさんは宝一介寺を裁いて欲しくないと言った。庶民として、とても気持ちは分かる。行く当てのない人々を一時的に受け入れる寺。
「それはどの段階で? 灰吹銀が船に積んであったとこに乗り込んだら、確実に密輸って分かるね。でも、馬蹄銀になっちゃったら、密輸やってた人らじゃなくて、宝一介寺が捕まって終わり?」
香がここで何か言ったところで、変わることではない。
「そこは、どう考えてんだろ。洛。分らん」
「10月に造られてた馬蹄銀、どうなるんだろ。鍍金工房がなくなっちゃってるじゃん」
「だな」
「刻印もないし。炉もないし。造れないね」
「灰吹銀を砕いて使えるようにするんかもな」
馬蹄銀の形にしなくても、灰吹銀と分からない形状にすればいい。
3月。
坤寧宮の外側にある額枋の隅から、木札が見つかった。宮廷に入る際、身分証を見せた引き換えに渡される、宮廷内での通過パス証明である。もともと、ちょこちょこと欠番があった。木札が割れるなどした場合に捨てられたのだという。番号が異なっていればいいため、欠番はそのまま放置されている。
「香、どー思う? 入り口で木札を渡す者が怪しいのかな。ほら、これ、見つかったやつ」
宿舎。墨竹は香に見つかった木札を放り投げる。それをキャッチした香は、違和感を感じた。程よく使い込まれた風の木札。ぱっと見は、宮廷の入り口で渡されるものと同じである。
「番号はあったのとは重なってないんだ」
「ふーん」
香は、木札を何度も握り直すなどする。
「どした?」
「なんか、気のせいか、いつも入り口でもらうのと、違うよーな。やっぱ違わないよーな」
次の日に比べることになった。
比べた。
その日に香が渡された木札より、0.4mmほど厚かった。
木札は、宮廷の保管場所に番号順に並んでいる。宮廷を訪れた人に欠番があっても番号順に渡される。つまり、朝、大工職人たちがするように、身分証をまとめて見せ、匠グループの人数分の木札をもらうので、欠番に気づく。
「これ、偽造かも」
香は墨竹に告げた。
「偽造?」
「使い込まれた、似たような厚さの板から切ったんだよ。ほら、横と下んとこ、色が変」
板の厚みとなる側面。左と下側は、よく見ると塗料で色をつけてある。使い込んだ色合いに近づく処理がされている。
「言われてみれば」
しかし、汚れただけに見えなくもない。
厚さが異なることに関しては僅か。別の物とも比較する必要がある。
「他のとも比べたいんだけど」
数日後、大工職人たちに休暇が与えられた。
「洛、私も休暇欲しい」
「いーからいーから」
厚みを調べるだけなら、他の者でもできる。香は貴重な休暇が潰れることに文句を言ったが、クッキーでごまかされた。
「おいしー♪」
香がこれまで食べたどんなお菓子よりも、気に入った。
結論。木札は偽造。
厚みがほんの僅かに違うことよりも、木目が合わないことが決め手となった。細長く整形した板から短く切り出して木札を作ったらしく、近い番号のものを繋げると、木目が綺麗に連続する。しかし、坤寧宮の額枋から見つかったものは木目が異なっていた。
古い板の表面をそのまま利用したため、木の厚みまでは揃わなかったのだろう。側面の厚さは7~8mm。その部分をわざわざ見る者はいない。しかし、木の厚みを揃えるために、数字や木札の裏といった掌よりも大きな部分を削ってしまえば、塗料によって経年劣化を真似ても、不自然になる。




