暴かれ裁かれるべき
洛の作戦が功を奏したのだ。
万暦24年11月に工部の金庫は帳簿と数字が一致した。それは、100両分の銀作局の馬蹄銀を含んでいた。そのまま、偶然あるいは故意に、銀作局の馬蹄銀は工部の金庫に鎮座していた。そして、万暦27年1月、つい先日のこと、宦官から立て替えていた500両を返せと言われた。
帳簿によれば580両あるはずだった。しかし、480両しかなかった。
銀作局の馬蹄銀は皇帝への返却に使えないので、工部の官僚が急遽、抜き取ったのではないか、と香は考えたのだった。
「香、もっと考えてよ」
洛が香に期待の目を向ける。と、墨竹が「あのさ」と発言。
「銀作局の刻印が入った馬蹄銀は、鍍金匠の工房で造られたニセ物だったんじゃない?」
──それしか考えられないよね。
洛も墨竹や香と同じ意見だった。
「だよね」
香は質問する。
「よく知らないんだけど、密輸って、500両とか600両でできるの? もっと何千両、何万両ってイメージなんだけど」
もちろん、500両であっても大金である。しかし、香は、中間管理職の官僚がするものではなく、大商人や裏社会の大物が行う巨悪だと思っていた。
これに関しては墨竹が教えてくれた。
「軍で聞いたんだけどさ、共同出資するんだって。密輸はちょいちょい摘発されてる。たいてい、何人かで出資しあって船出してる」
「「へー」」
そこで香は接待のメンバーを思い出す。
「じゃあ、工部の官僚と戸部の官僚と宝一介寺の住職が出し合ってるのかな」
「そこは断定できない」
墨竹は冷静だった。純粋に、天井の仕事のためだけの接待という可能性があるからだった。
「あ!」
香の頭に、おばさんの顔が過る。
「私ね、この間、お風呂屋さんで歯が半分しかなくて、残りも黒いって人に頼まれごとされたの」
歯の黒い人が恐らくは鍍金匠であること、頼まれて訪れた屋敷が工部の劉氏邸であったことは、既に墨竹と洛に伝わっている。
「「ああ」」
「でね、劉氏邸の女の人に文を届けたの。その女の人がお腹大きかったときに、歯の黒い人が劉氏んとこに『住み込みで働くこと』頼んだんだって。代わりに歯の黒い人が、なんか仕事を受けたっておっしゃってた」
墨竹には、これがどれだけ奇妙なことなのか伝わった。身重=しばらく働けなくなる、と分かっている。そんな女性をわざわざ雇う者はいない。教養があれば乳母も考えられるが、蝗害による流民。
しかし、洛の価値観は一般市民とは大きく異なる。子供を産むことは非常に尊い行為なのである。
「子を授かるとは、なんてめでたい」
──めでたいのは洛の頭。
香は心の中で呆れていた。
墨竹はスルーして続ける。
「よほどの仕事を受けたんだろうな。例えば、ニセ金造りとか」
「私もそう思ったの。息子さん、あ、えーっと。ご正室が産んだことになってるらしいんだけどね、5歳だって」
3人でメモを見る。万暦27年1月、数えで5歳。生まれたのは、万暦23年。身重のときに劉氏の屋敷へ行ったなら、万暦22年。それは、初めて「銀作局」の刻印いりの馬蹄銀が工部の金庫に出現したときと重なる。
おばさんは乳母として息子の側で暮らしている。破格の待遇である。おばさんが言っていたように、正室の「奥様」がとてもいい人なのだろう。香を温かい場所へ通してくれたのだから。
──そんないい奥さんがいるのに、側室がいるとか、ありえない。
香にとっては、ニセ金造りを指南していることよりも、劉氏に側室がいることの方が信じられなかった。
10月に金庫に増えた馬蹄銀は100両。万暦21年、万暦24年の11月はがばっと400両増えている。万暦22年11月は100両しか増えていない。手元には100両以上あったが、100両だけを戻して帳簿と金庫の中身を一致させたと推測できる。
そして、11月に密輸の儲けが入ったのではないか、という結論に至る。
「じゃあ、宝一介寺では銀作局の馬蹄銀、造ってないんかな?」
香は、黒目を天井に向ける。最近、白露の癖が移ってしまった。
相変わらず、2箇所でニセ金造りをしている理由が分からない。
墨竹は気が早かった。
「洛、今、劉氏を調べれば、屋敷に銀作局の馬蹄銀がいっぱいあるかも」
「! そんなことしたら、家族の人たちが」
香はすぐに止めた。一度でも会うと情が湧く。健気に生きるおばさん、優しい奥様、おっさんとおばさんの息子。
「家に銀作局の馬蹄銀があっても、人から貰ったって言い訳できちゃうからなー」
洛の言葉に香はほっとする。
「今、宝一介寺を調べれば、ニセ金造りの証拠が出る」
墨竹は気が短そうである。白露もだが。
「んー。お寺。難しいんじゃないかな。仏像までひっくり返して調べられないよ。炉があるのは分かってるから証拠にならないし」
文化財や仏具などの調度品を修理するために、炉を持つことが許されている寺がある。宝一介寺はそれである。
その日は記録を眺めて終わった。
──また、チンギスが来なかった。
どうやらチンギスは、洛を好きではないらしい。
朝、香が起きると、2人は既にいなかった。
「くーん」
チンギスはいた。
「おはよ、チンギス。洛の落とし物ない?」
もはやお約束である。いったい今度は、どんな大切な物なのだろう。
「何これ」
それは、走り書きされ、折りたたまれた紙の束。以前、洛が落として行った紙も混じっている。そのとき香は、日本軍の状況を知り、おっさんに密かに伝えた。
今回、1番上にある紙が最新情報のようだった。そこには塩商の不正告発について記されている。
──そーいえば、前に紙を拾ったとき、洛が塩商がどーのって言ってた気がする。
それは*両淮という地域に派遣された税監、魯保が、孟養志たちを告発している。不正に塩を販売して、税を収めていなかった。
明において塩は、政府が専売制によって厳しく統制、管理するものであったが、実際の流通や販売は特権を与えられた民間商人が担っている。
続きには、蓄えられていた塩に関して取引を認め、税として毎年12万両を納めさせることが書かれていた。
──げー。税で12万両。ってことは儲けはどんだけあるんだろ。ってか、蓄えられてた塩に課税ってことは、今までの分はチャラ。うーん。売っちゃってなくなった塩に関しては追及できないもんね。どんだけ儲けてたわけ!?
塩商といえば、大富豪と相場が決まっている。しかし、香にとってはあまりに遠い存在。天文学的な金銭を想像して絶句した。
──万暦帝、良き。
更に、塩務を担当する官僚の丁偕が、魯保の命令に逆らったとして、官職を剥奪することも記されていた。
税監は宦官である。
──これって、宦官が官僚に勝ったってことじゃん。
香が抱いた感想は、あながち間違いではない。
一見すれば一地方官僚の人事に過ぎない。しかし、皇帝と官僚はバッチバチ。宦官とは皇帝の意志を代行する手足である。ニート皇帝万暦帝が朝議に出席せず、官僚国家と言われる昨今。これは、水面下で繰り広げられる権力闘争において、皇帝の権威が確かな一撃を与えたことを示す、意味のあることだった。
*『明神宗顕皇帝実録』巻330、万暦27年正月の条より。
两淮税监鲁保奏:有私贩匿课盐商孟养志等,乞重加罚治。两淮盐课正股之外,乞许行存积盐引,岁进银十二万两。从之。
日本語に訳すと、次のようになります。
「両淮の税監・魯保が上奏した。塩を不正に販売し、塩税を隠して納めない塩商の孟養志らがいるので、重い処罰を加えるよう求めた。また、両淮の正規の塩税に基づく塩引のほかに、存積塩引の発行を認め、毎年銀12万両を上納させるよう求めた。皇帝はこれを認めた。」
出典:『明神宗顕皇帝実録』巻330、万暦27年正月戊子条。……chatGPT使用




