銀作局の幽霊馬蹄銀
『決まって20両の銀だった。記録がある』
その官僚は、何年間もの記録の紙を差し出した。万が一自分に嫌疑がかかったときのためのものだった。
記録を受け取った白露は、官僚の喉元から短刀を離し、鞘に収めた。
官僚はまだ声が震えていた。
『心臓がもたなかった。だから、長城の修繕の監督に異動を願い出た』
白露は、皇帝の命で動いていることを証明する腰佩を見せた。
『分かった。犯罪人を一掃するとき、其方の身は保証する』
「で、なんか分かったの?」
と香。
「洛に渡そうと思ったんだけどさ。会えなかった」
「ふーん」
「香、見て」
あまりに様々なことを見聞きした今、すでに師匠の言葉はおざなりになっている。
『何も聞くな、何も気づくな』
「ほい。これ」
万暦20年9月が始まりだった。20両の馬蹄銀、600両が金庫から消えた。そのままだった。
翌年、万暦21年11月、400両増え、足りない分は200両となった。
万暦22年10月、銀作局の刻印入り20両の馬蹄銀が5つ増えた。足りない分は100両。
その1ヶ月後11月、銀作局の馬蹄銀はなくなり、金額も増えていた。足りない分はない。
官僚は、これで終わったと胸をほっと撫で下ろたらしい。しかし、1年後、再び悪夢が始まった。
万暦23年9月、500両のが金庫から消えた。
官僚は、遠くにいる親族の面倒をみたいと適当に理由をつけ、異動を願い出た。
しかし、すぐには認めてもらえなかった。それは金庫から500両が消えていることが他に漏れてはいけないからだろう、と彼は認識していた。官僚は、3年単位で昇進や異動が考慮される。この翌年、万暦24年が彼にとっての6年目に当たる。そのときに異動する確約をもらった。
ところが、万暦24年は激動だった。乾清宮、交泰殿、坤寧宮が大火に見舞われた。そして、日本との戦い。戸部は臨時の部署を設けるなどして人をやりくりするほどの人手不足。異動は叶わなかった。
万暦24年10月、銀作局の刻印入り20両の馬蹄銀が5つ増えた。足りない分は400両。
その1ヶ月後、足りない金額は補填された。しかし、100両分の銀作局の馬蹄銀はそのままだった。
万暦25年9月。後任の者に引き継ぎをした。金額は帳簿と一致していた。だが、相変わらず、100両分の銀作局の馬蹄銀はそのまま。後任者は、金額は数えたが、刻印まで気づいていないようだった。
香は、毎日、どきどきしながら金庫を確認する官僚の姿を想像する。
──気の毒。
官僚は出世を目指す生き物。それが自ら左遷的なポストを希望するとは。
自分にはさして関係ない香は、お気楽発言をする。
「秋ってもりだくさんだね」
それに白露が反応。
「ん? 秋?」
「9、10、11月ばっかじゃん。異動まで」
「あ、ホントだ」
「そーいえば、なんでなんだろ」
考えてみれば、鍍金匠の工房でも、宝一介寺でも、馬蹄銀を造っていたのは秋だった。
香はじーっと記録を見つめる。
「がばっと減ったのは、2回で9月。100両、銀作局の馬蹄銀が増えたのは2回で10月。がばって増えたのは2回で11月。なんかあるのかな」
「ありそう」
「密輸って季節労働者なのかな。官僚みたいに人事が秋とか」
それに関しては、翌日分かった。墨竹が洛を宿舎へ連れてきた。
──またしても。泣きぼくろ様とチンギスと私のもふもふタイムを邪魔しに!
敵意のある目を向けても、洛は何も気にしない。
「香。久しぶり。新年になって初めてかな?」
「お久しぶり、洛」
既に1月は終わろうとしている。さすがに新年の挨拶は憚られる。
「季節風だよ」
洛の言葉は唐突すぎて、香は何のことか全く分からなかった。墨竹もきょとんとしている。
「「季節風?」」
「香が、密輸は季節労働者なのかって言ってたんだって? 貿易はさ、冬から春にかけて*月港を出発する。帆船だから、北東からの風をうけて南の方へいくんだよ」
──洛、賢かったぁぁぁ。
香は内心驚いた。洛は、相変わらずの眠そうな二重で飄々と続ける。
「灰吹銀は日本のもの。それをやりとりしているなら、マカオに行ってるんだろね。初夏に到着して、そこで商売して、帰ってくるじゃん。そうすると、月港に秋口。運河を北上するのに1ヶ月くらいかかるから、秋に北京に着くんじゃないかな」
それに墨竹がうんうんと納得する。
「だから、秋に集中して金の出入りがあったのか」
洛は加える。
「だけど、9、10、11月に別の動きがあるのは分かんないな」
──泣きぼくろ様と白露って同じ顔だけど、白露の方がキリッてしてるー。
「どう思う? 香」
墨竹に話しかけられ、香ははっと我に返る。
「えと」
ぼーっと墨竹に見惚れていた。
「香、9月はどーの、10月はどーのって、言ってたって?」
墨竹のおかげで、やっと何を考え、何を話していたのかが頭に戻った。
「あ、そしたら、9月にがばっと減るのは、出資じゃないかな。何年もあるのに2回だけってのは変だけど。ほら、商品を仕入れなきゃ。なんだっけ、生糸とか絹織物だっけ」
「それだよ!」
洛が嬉しそうに人指し指を立てる。
「貿易ってのは、0か100かなんだよ。嵐や遭難、海賊に遭うから。最初に大金が工部の金庫からなくなったのは、始めて出資したから。で、だいたい成功してた。2回目になくなったときは何かあって儲けが0だったのかも。もちろん毎年出資はしてる。でもそれは、大金を渡すんじゃなくて、儲けから差し引く形でできる」
0か100など博打だ、と香は思った。
「2回目に減ったとき、10、11月に増えてないな」
墨竹が「万暦23年9月」を指差す。
香は、実際あるはずの金額からいくら足りないかという丁寧な記録を、書き直してみた。
万暦20年9月 −600両 (出資)
万暦21年11月 +400両 (儲けの戻り)
万暦22年10月 +100両 (銀作局の刻印あり)
11月 +100両
万暦23年9月 −500両 (再出資)
万暦24年10月 +100両 (銀作局の刻印あり)
11月 +400両 (※この時、金庫の中には「銀作局の100両」がそのまま混じっている)
万暦25年9月 前任者から後任者へ引き継ぎ。金額は帳簿と一致。しかし、金庫の中に銀作局の100両は混じったまま。
万暦27年1月 −100両
「つい先日の万暦27年1月、-100両って、未だにそのままになってた、銀作局の馬蹄銀を抜いたんじゃない?」
香は大胆な仮説を立てた。
銀作局の刻印が入った馬蹄銀が工部にあるのはおかしい。いくら工部の金庫係の官僚が気づかずとも、宦官であれば「内庫にしかないはずの褒賞用の馬蹄銀が工部の金庫にあるのはおかしい」と分かるだろう。
*月港……明に1つだけ公式に貿易が認められていた港。




