乾清宮の27のベッド
2階には、天橋(階段)の左にも暖閣(部屋)が2つ。簾が上がりきっており、天橋から1つ目の暖閣にテーブルセット、2つ目にはベッド3つに施された蔦の彫刻が見えた。
天橋を下り、赤い敷物の上に足を置く。香がもう一度振り返ると、1階の暖閣の簾が全て上がっていた。遠くは見えない。しかし、天橋の後ろの暖閣に3つのベッドがあるのが見えた。天橋左にある暖閣の数は2階と同じ。しかし家具が違う。
2階は 左1つ目ベッド、左2つ目テーブルセット。
1階は 左1つ目テーブルセット、 2つ目ベッド。
右側も、
2階 右1つ目テーブルセット、右2つ目ベッド、中央テーブルセット。
1階 右1つ目ベッド、右2つ目テーブルセット、中央ベッドとなっている。
1階のその先は見えなかった。
「前だけを見て、真っ直ぐ歩きなさい」
いつもは物腰柔らかな宦官が、硬く張った声で香に命じる。
「はい」
香は顔を前に向け、今目撃した光景を脳裏に焼き付ける。
乾清宮の大空間に眩しいほどの光が満ち、2階の暖閣を繋ぐ手すりの金絲楠木が黄金色に輝いている。やがて建物から出、漢白玉の道を渡っていく。前を歩く宦官の影すら神々しく、静寂に満ちた光景は外界とは異質だった。
そんな美しい宮廷を歩きながらも、香は既に別のことに思いを巡らしていた。
──ぅふ。今日は宿舎に泣きぼくろ様が来るかも。墨竹。作業着じゃなくて着替えたいな。髪をまとめ直して、ちょっとだけお化粧して。爪も赤く染めたい。
紅牆黄瓦の中、嬉しさが溢れて足取りが弾んでしまう。
2日目のこの日、宦官の案内は宮廷の城門までだった。
香は宿舎へ戻ると、帰り道で調達したものを食べながら、扉の鍵に目を留めた。出入りの際は毎回鍵を使っている。
──あれ? 昨日、鍵をかけてたのに、白露とチンギスが入ってきたような。もともといたんだっけ?
頭の中をそんな疑問が過ったが、今はそれよりも大きな疑問があった。ベッド多過ぎ問題である。
乾清宮は皇帝が日常的に暮らすために建てられた。それは巷でも知られていること。しかし。
──今、彫刻してる後ろの暖閣に3つあるよね。でもって、1階の天橋の後ろにも。3つだった。1階にもあったよね。3つずつ。
野菜入りの饅頭をかじり、紙と筆を用意する。
一応、呼んでみた。
「チンギス。全部食べちゃっていーの?」
返事がない。いないらしい。
香は脳裏に刻んだ映像を呼び覚ます。大きな柱と柱の間に暖閣が造られていた。それは、正面側ではなく奥側。北側である。柱は10本。左から3本目と8本目の柱の傍に天橋があった。
| | | | | | | | | |
まず、2階を考え、ベッドが見えたところに○をつけた。
| |○| |○| |人|?|?|?|……2階
となる。「人」は、この日、数人が突っ立っていた場所である。見えなかった部分を「?」とした。前日は、3つ並ぶ真ん中の「?」のところに何人もの人がいた。
「これが2階で。んーっと、1階も全部見えなかったんだよね……」
見えた部分だけ描いてみた。1階も2階も柱は床から屋根まで続いているから同じである。
|○| |○| |○|?|?|?|?|……1階
今生の万暦帝は、何年も前からニートである。それは民衆すら知っている有名な話だった。お気に入りの妃の子を皇太子にしたいと言い出し、その意見を官僚達が認めなかったから政務を放棄して引きこもったとの噂。
香が通う乾清宮は皇帝の住まい。あの大空間のどこかに万暦帝がいたことになる。
1日目の昨日、金糸模様の服の宦官がいたのは2階。多くの人が控えていたのも2階。2日目の今日、多くの人が立っていたのはやはり2階だった。
「万暦帝って、もしかして、ずっと寝てんじゃない?」
もしも万暦帝が寝て過ごしているとすれば、昨日と今日、人が立っていた場所にベッドがあると考えられる。
| |○| |○| |○| |○| |……2階
左右対称になり、すっきりする。
1階も左右対称と仮定してみる。
「だったら、えーっと、1階と2階で交互になってる」
| |○| |○| |○| |○| |……2階
|○| |○| |○| |○| |○|……1階
見えてしまったベッドは全て同じ蔦の彫刻の枠で1つの暖閣に3つだった。「○」の部分にはベッドが3つずつ。3×9=27 となる。
「27個もベッドある。うっそー。お世話する人達の分かな?」
しかし、暖閣の外に人が立っていた。昼間すら、お世話をする人は暖閣に入れないのである。
香は一生懸命考えてみた。
「そーだ! いっぱい妃がいるじゃん。お気に入りのいろんなタイプの女の人が待ってて、万暦帝が『今夜はどれにしようかな』って選……」
スコーン!
どこからともなく何かが飛んできて、頭を直撃した。
「いったぁ」
痛い頭をさすりながら、何が飛んできたのかを油灯で照らして見た。鳥の脚の骨だった。
「はあ?」
香は骨を拾い上げ、首を傾げる。
「白露、白露、いるの?」
前日に白露は鳥の脚を食べていた。それがどこかから落ちてきたのかもしれない。そう思いつつ、香は推理を続行する。
「1つの暖閣にベッドが3つってことは、1度に2人を相手にするのかな。窓側のベッド大きいよね。ってことは1度に3人?! できるの? え、毎晩27人が待ってて、その中から3に……」
「やめろ。どんなエロい妄想だよ」
──このイケボは泣きぼくろ様!
聞き覚えのある声に香は組んでいた脚を解いて揃え、木屑や剥がした塗料がついた髪を整える。
香はベッド多すぎ問題に集中するあまり、髪を結い直すことも作業着を着替えることも忘れていた。しかも、心の声がダダ漏れてしまった。
「えーっと、香でっす」
香は首をこきっと斜めにし、小さく手を振って見せた。
「これは忘れろ。死ぬぞ」
そう言って、墨竹は紙を油灯の小さな火で燃やす。
「死って、そんな」
「マジな話」
「は? じゃ、ホントに27もベッドがあるの?!」
香は自分の推理が合っていたことに嬉々とする。
墨竹は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「手すりの傷、直してるじゃん」
ぼぉっと紙が燃え上がる。墨竹はそれを地面の上に投げ捨て、脚で踏んだ。
「牡丹を彫りに来たんだよ。傷、あったけどさ」
「だろ? 仲間だと思われる」
「仲間ってなんの」
「はっ。白々しい。気づいてるだろ? 血」
「ええー、血だったのぉ?」
香は両手をパーにして大袈裟に驚いて見せた。
「オレが斬った」
──斬ったって、それが仕事ってこと? つまり……皇帝の護衛。
「……」
「で、香だっけ?」
「うん」
「腹、減ってない?」
「食べながらやって、、、あ”ーっ」
いつの間にか、野菜入り饅頭が入っていた紙袋がなくなっている。
足元にいたチンギスは、口の周りに人参や椎茸の食べカスをくっつけて満足げ。
「食う?」
言いながら、墨竹はちまきをくれた。
「ありがと」
読んでくださってありがとうございます。
その時代の乾清宮に27のベッドがあったことは、嘉靖帝の時代(16世紀中頃)の官僚・張合が書いた著作「宙载(宙載)」に記載されています……chatGPTより




