↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泣きぼくろ様が守るニート皇帝の秘密  作者: summer_afternoon
混沌とした情報が日常を侵食していく

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/42

気になることがある

「香(シャン)、その名前、どこで」


 墨竹(モージュ)のただならぬ様子に、香は、乾清宮(けんせいきゅう)で洛(ラク)に口を塞がれたことを思い出す。


「えーっと。どこだったっけ」


 咄嗟にごまかそうとする。が、いい嘘が浮かばない。


「皇帝陛下に洛を皇太子として立太子すべきだって意見して、2年前に失職した人」

「失職」

「官僚だったけど、皇帝陛下に辞めさせられて、南部へ帰った」


 今度は香が両目を見開く番だった。


「皇帝がじきじきに官僚を辞めさせたの? 大臣とか偉い人?」

「違う。吏部(人事部)の文選司郎中って役職。上の方だけど、大臣じゃない。ただ、現場のトップって感じ。その上はハンコ押すだけ」

「ふーん」


 ──よー分からん。


「皇帝陛下からも与党からも煙たがられて、退場」


 皇帝が一官僚を名指しで辞めさせるのは、特別なことである。北京だけでも官僚は1000人以上。皇帝が直接会う官僚は数少ないトップ層。吏部文選司郎中はトップ層ではない。それほどまでに彼の主張は激しかった。


 香の頭の中で、万暦帝ポイントはかなり加算されている。「万暦帝=いい人」である。それに準ずると「万暦帝が嫌う人=悪い人」になる。その人がなぜ、万暦帝お墨付きの洛と文通しているのだろうか。


 ──えーっと、洛の立太子を訴えたから万暦帝とバチバチ。


 洛は政治的なことを偽名でやり取りしている。


 香は考えかけたが、自分には全く関係のないことなので、墨竹の横顔を楽しむことに集中した。


「香、あのさ」

「なに?」

「香って、結婚するの?」

「は?」

「いい歳じゃん」


 世が世ならセクハラ発言である。


「乾清宮に牡丹彫るから。その間はムリ」

「ふーん」


 墨竹はにこにこし始め、串に刺さっている最後の肉を、自分の代わりに食べろと言う。


「え、いーの? 食べちゃって」

「どーぞどーぞ。他にもなんか食べる?」

「どーしたの」

「いや。なんか」

「?」

「しばらくは、宿舎で遊べるなって」


 ──なんだろ。この感じ。嬉しいんだけど。5歳児同士みたいな。


「だね」


 香は、恋愛成分不足を感じたが、深く考えないことにした。


 ◇


 現時点の最大の課題は、牡丹をどう彫るかである。


 他に気になることは……。


・乾清宮に入り墨竹に斬られた不審者は何者なのか。

・宮廷は火事がよく起こるのか。


・鍍金工房と宝一介寺の2箇所で馬蹄銀を造っているのはなぜか。


・日本軍は撤退し、明軍は朝鮮から引き上げてきている。気になっていたが、解決。


・洛が顧憲成と文通している。顧憲成は、洛の立太子を主張して2年前に官僚を辞めさせられた。


・白露の結婚は墨竹に責任がある。

・墨竹は、香が結婚せず、自分と遊べることを喜んだ。


 思えば、牡丹を彫るために乾清宮へ来たのは、昨年10月のこと。たった数ヶ月で、香の耳には様々な話が飛び込んだ。皇帝やその周辺がいかに大変かをひしひしと感じる日々である。


 香は、手すりの全てに彫る牡丹の図案を考える。


 初めて乾清宮に来たとき、風を彫ろうと思った。その気持ちは変わっていない。


 天橋を上ると彫刻の空中庭園。手すりの牡丹が延々、乾清宮の光の中に広がる。穏やかな風がそよぎ、花が揺れ、花弁が舞う。その花弁はふわふわと昇り、光に溶ける。


 風、光、コントラスト、遠近。


 手すりの横を何度も歩く。進むときに視界の隅で流れる牡丹を想像し、2階の暖閣から眺めたときの高さ、大きさを考える。


 ──心ってどうやって彫るんだろ。


 そこは分からないままだった。


 乾清宮は、市井の民を考える、しかし市井から最も遠い世界。乾清宮の住人の心は、民のこと、国のことを考えている。ただ、全ての民ではない。不都合な人間は切り捨てる。


 そう考えると、香の中の牡丹は、血を吸ったかのごとく真っ赤に染まる。ここへ来るまで、香の想像する牡丹は白から淡いピンク色だった。今はときどき、赤を帯びる。


 血を滴らせる真紅の牡丹は、そのまま黒で覆われた墨竹に重なるのだった。


 ◇


 年が明けてしばらくのこと、工部の官僚が捕縛された。


 嫌疑は横領。


 予算を扱い、国庫の金庫を持つのは戸部である。だが、各部にも必要経費を賄うための金庫が存在する。捕縛されたのは、工部の金庫の鍵を預かる中堅官僚だった。しかし、彼は無実を訴えながら獄中死した。ある朝牢獄で、首を吊っている死体が発見された。


「へー。そんなことがあったんだ」


 白露に報告されても、香には別世界の話だった。


「洛から、香に伝えるように言われてさ」

「はい?」

「去年、天井の匠グループの親方が接待してた官僚いたの、覚えてる?」

「え、その人なの?」

「違う」

「じゃ、なんで私に?」

「洛は、工部からつつこうと考えた。接待されてた官僚のいる部署に、内庫で建て替えてる宮殿の工事費を『早く返せ』と宦官から要求させた。500両。それは、記録では工部の某金庫にあるはずの金額。なのに、なかった」

「へー」


 香にとってはどうでもいいこと。


「某金庫の鍵を持っているのは2人。2人のうち下っ端の方が捕まって牢に入れられて自殺」

「あれ? 上の人は疑われないの?」

「『知らん』って言った」

「は? それだけ?」

「官僚って、そーゆーとこなわけ。知らんって言ったのが、接待された工部の官僚」

「……。それは、洛が失敗したってこと?」

「そうとも言う。ただ、あるはずの金がなかったってことは分かったんだよね」

「某金庫って。工部って言っちゃってるのに」

「工部の金庫は1個だけじゃないから。いろんな部署に分かれてる。洛はピンポイントでその官僚を狙ったの」

「……」


 洛のやり方は賢いとは思う。しかし、賢いからこそ、どのような犠牲が出るのかも分かっていたはずだ、と香は推測する。犠牲者が出ることを承知で行ったのだ。


 その金庫には、20両の馬蹄銀が580両分あるはずだった。しかし、記録とは違い、480両分しかなかった。


「銀がなくなってたことは分かったんだよね。事情聴取する前に首吊っちゃったけど」


 白露は何でもないことのように言い、鶏もも肉に齧り付く。護衛は軍人。敵と戦う人間である。いちいち「死」に反応していては、心がもたない。しかし、香りにとってみれば、人が死ぬのはすっごいことである。自殺した官僚は、恐らく罪を犯していない。なのに汚名を着せられ、一族ごと侮蔑の目を注がれることになる。家族は悲しみを味わうだけでなく、大黒柱を失い惨憺たる未来になるだろう。


「なんか。悲惨だね」


 香は、それだけしか言わなかった。


「戸部の金庫には50両の馬蹄銀があるけどさ。あれ、重いんだよね。でかいし。でも20両の馬蹄銀は袖口や懐に入れられる。首を吊った官僚もさ、やってなくても、絶対知ってたと思う。出し入れする時に、いちいち残りを全部数えないなんて言ってたらしい。でもさ、気づくって」


 50両の馬蹄銀は約1.8kgの重さである。その点、20両ならば、750g。盗むのにいい感じの大きさ&重さである。


「そっか」

「可哀想に。配属されて、1年しか経ってないのに」

「え」

「じゃ、前の人は?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。