甘くはない結婚祈願
チンギスは川沿いを船を追いかけて走り、白露がやっと追いつくと、川に飛び込んでしまった。しかし、そこそこの大きさの船。船べりから乗ることができず、諦めた。
「この寒いのに」
白露は半ば呆れている。
「どんだけ懐いてたんだよって」
つくづく、飼い主(白露)の面目を潰すオオカミである。
言われてみれば、ここ数日、チンギスは遠吠えをしている。あれは、おっさん恋しさの遠吠えだったのだ。
「住むのにいいとこ、見つかるといいね」
香は願う。
一方、白露は「帰ってくるよ」と一言。
「洛に好きにしていいって言われたのに?」
「あの人、義理堅いじゃん」
「確かに」
「とんでもない真相掴んで、帰ってくるんじゃない?」
「かも」
思い返せば、天井の職人の親方を張り込みし、鍍金匠の工房でニセ金を造っていることを突き止めた。僧を街で見かけて追いかけ、その寺でもニセ物の馬蹄銀を造っているところを目撃。更には親方が接待していた官僚が誰かまで分かったのも、おっさんのおかげである。
──日本の斥候、すげー。
香は舌を巻いた。
「ってことで、王氏の土産話に期待しつつ、うちらは年末年始」
ジャージャー麺を食べた白露は、長いベッドの段に寝っ転がる。護衛は1年で1番神経を使う期間。香は布団を敷き、ぐったりとした体を抱き上げて運ぶ。靴を脱がせ、そっと布団を掛けた。
「チンギスー」
呼ぶと、すぴすぴ鼻を鳴らしながら、暗闇からチンギスが現れる。暗がりのせいか、寂しそうにも見える。
「ほら、ご主人様、眠ったよ。あったかあったかしてあげて」
香がお願いすると、チンギスは、すたっとベッドの白露のところへジャンプし、横向きに寝ている白露の膝の裏側に背中を収め、白露の足首を枕にした。測ったようにピッタリである。
香も、眠りに就いた。
◇
新年、墨竹から寺参りに誘われた。牡丹の寺である。
♡_♡
宝一介寺なら、調査という目的があったかもしれない。しかし、別の寺。
──恋愛成就で有名なお寺!
期待値MAXである。
新年ということもあり、境内は混雑していた。人混みの中、香は「額枋にあるのが、私が彫った牡丹なんだよ」と墨竹の耳を引っ張って鼓膜に叩き込んだ。
一応、牡丹の感想は言ってくれた。
「きれー」
芸術オンチの精一杯の賛辞だろう。
小さな寺。はぐれるから手を繋ごうというイベントもなく、「来年も再来年も一緒に来ようね」と囁かれることもなく、速やかに参拝が終わった。グッズ販売エリアは人でごった返している。墨竹はそわそわと、そちらを気にしているではないか。
「なんか、欲しいものあるの?」
香は尋ねた。
──ひょっとして、初めてのデート記念とか。
香の頭の中では、墨竹との家庭で子供を抱っこしている妄想が繰り広げられている。
「あ。白露に」
「なんて姉思い」
──私の墨竹ったら。
「家からの文でさ、白露の結婚相手を見つけるのはオレの仕事だってプレッシャーがハンパなくて」
香はまぶたを重くし、目を細めた。
自分のことを想って寺参りに来たのではなかったのである。
「香、白露と仲いーじゃん。なんか、こう、好きな人がいるとか、聞いてない? タイプとか」
「白露はね、茶色くて」
「日焼けしてるってこと?」
「濃い」
「はっきりした顔立ち?」
「ジューシーな肉が好き」
「分かっとるわ」
「あはははは」
泣きぼくろ様は乙女心を踏み躙ってくれる。それでも、一緒に歩けたのだから、香は良しとした。
「ここ、恋愛成就の寺なんだろ?」
「そーだけど。どこでそんな情報仕入れるわけ」
「職場」
「ええっ。宦官が?」
「ちげーし。オレらは軍に所属してんだよ。だから、同僚から」
軍。墨竹と白露以外はむさ苦しい男ばかりに決まっている。無骨な男達が恋愛成就の寺を知っているというのは、意外過ぎる。
──ご利益なんてないけどね。セールスだから。でも、仕事のご縁は繋がったのかな。
「白露、綺麗だし優しいから、軍でモテるんじゃない?」
「強すぎる」
「それは、護衛だもん」
「漢のプライドが。」
「白露より強い人は?」
「そんなん、どっかの将軍だろ」
「そんな強いんだ」
「あと、食べすぎる」
「そんなんどーでもいいくらい、白露は素敵なの!」
「そんなことくらい分かってっし。でも、嫁向きじゃない」
嫁向きじゃない……。香は、自分のことを言われている気がした。乾清宮の牡丹を彫りおわったら、恐らくは19歳。
──ん? 墨竹だって19歳だったら結婚考えるころだよね。
この時代、男は16歳から20代前半くらいが適齢期であり、婚礼費用を稼いだら結婚するのが一般的である。墨竹は皇帝の護衛。高給取りだと以前洛が話していた。
隣に並ぶ墨竹は今日も光り輝くように美しい。家族のことを考える墨竹は、いい夫になりそうである。真面目。チンギスの可愛がり方からして、子供のことをとてつもなく大切にするだろう。父親として息子に武術を教える姿、娘を諭す姿、嫁の両親を大切にする姿。それは想像できる。
香は、以前、チンギスに自分を置き換えることができた。鼻血まで噴いた。しかし。
墨竹の人となりを知るにつれて、なぜか、恋人としての墨竹だけをすっぽり想像できなくなっている。墨竹が女の子に夢中になる、恋の病になるなど似合わなさすぎる。かといって、女遊びをするタイプでは断じてない。
──あれ? なんで???
「香じゃないか、新年好」
グッズコーナーに、牡丹寺の住職がいる。若い見習い僧と共にグッズ販売をしている。
「「新年好」」
墨竹も一緒に挨拶をしてくれた。
「君達は美人になる護符は必要ないね。恋愛成就のはどう?」
住職は墨竹を香のカレシだと勘違いしている模様。そういったことに無頓着な墨竹は堂々と言った。
「結婚成就の護符はありますか?」
周りにいる人達が一斉に墨竹と香に注目する。手を叩いて祝福する者までいる。
「漢らしい若者じゃないか! はい、2つ」
住職はちゃっかり2つを墨竹の手に載せ、料金をせしめる。結婚は1組。護符は1枚しか必要ないのではないか、と香は思う。でもまあ、墨竹は白露の結婚成就の護符が欲しいのだから、これでいいのかもしれない。
では、もう1つはいったい誰のものなのだろうか。墨竹は自分も結婚したいのだろうか。
「はい、香にも」
「……ありがとう」
渡されてしまった。神仏を信じている人から。これはもう、墨竹の眼中に香がまったくないということである。が、香にはかなりの耐性ができていた。恐らく、こういうところが、墨竹の恋愛モードを想像できない原因だろう。
大勢の人が歩き、すっかり雪がなくなった道に出店がある。*さんざし飴1本と串焼き1本を買い、2人で分け合って食べた。
「あ、そーだ。墨竹、顧憲成って知ってる?」
香は何気なく尋ねる。
墨竹が、さんざし飴を1つ、地面に落としてしまった。両目が見開かれ、固まっている。
*さんざし飴……みたらし団子のように、小さなリンゴのようなさんざしの実が串にささっていて、リンゴ飴のように飴のお菓子になっているもの




