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泣きぼくろ様が守るニート皇帝の秘密  作者: summer_afternoon
混沌とした情報が日常を侵食していく

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楔

「その話、いろんなとこで喋ってよ。牡丹の寺で仕事運アップしましたって」

「じゃ、家に帰ったら、周りに言ってみます」

「頼んだよ」

「あの、さっきの話なんですが」


 香(シャン)は話を戻す。


「ん?」

「天下り寺って、そんなに儲かるんですか?」

「ぜんっぜん違う。こっちはお線香代とお札みたいなグッズぐらいじゃん。単価がさ。お布施で建物1つくらい建っちゃうから。今の皇后様はめっちゃ信仰心が厚いから。由緒あるとこはがっぽりだよ」


 ──グッズゆーな。それに、信仰心が厚い人は、ぽっと出の儲け主義のお寺に寄付しないし。


「そうなんですね」

「そ」

「たくさん寄付したら、なんかいいことあるんですか?」

「極楽浄土に行けると思えて、心が穏やかになる」

「御仏のご加護があるって言わないんですか?」

「もし、悪いことしてたら、それはどれだけお金積んでもダメでしょ」

「……」


 ──ちゃんとしたことも言うんだ。意外過ぎ。


「ま、ここは天下ってくれるような寺じゃないから」

「分かりませんよ。政治に疲れた官僚が、牡丹を眺めて余生を過ごしたいって思うかも」

「どうだろうね。結局は由緒あるお寺が強い」

「宝一介寺みたいにですか?」


 香は、頑張って名前を出してみた。いったい、件(くだん)の寺は、他の寺からどのように見られているのだろうか。


「んー。由緒ってより。……。住職がとても素晴らしい方なんだ。接すると心が洗われる。だから旧知の友が寺に入ったんだよ」

「え、旧知の友、ですか?」


 宝一介寺に天下りした官僚は、小さなころ、住職と机を並べて勉学に励んでいた者らしい。住職は20歳ごろに科挙の勉学をリタイアして官僚になることを諦め、国家資格を取得して仏門に入った。


「あの、質問です。官僚って、妻とか側室とか子供、いっぱいいますよね? そろってお寺に住むとは思えないんですけど」

「あははは。そーゆー人は寺に行かないって」


 その官僚は、北や南に異動されられつつも戸部で細々と中堅官僚として職務を全うした。キャリアアップのために転勤していた際、汚職の嫌疑がかけられた。それは晴れたのだが、嫌疑がかけられた段階で、妻の実家はその官僚を切り捨てた。離縁である。妻は実家に戻り、官僚は独り身となった。


「そーゆーときに友達んとこ行くって、いいよね。住職のお人柄だよ」

「そうですねぇ」


 ──でもニセ金造ってんだよね。


「戸部の官僚だったんですね」


 交泰殿の天井を請け負った親方が接待していた現官僚は、戸部と工部。香は引っかかった。


「バリバリエリートだから、宝一介寺を再生できたんだよ」

「宝一介寺は貧乏だったんですか?」

「今の住職も先代の住職も自分のものまで全て差し出す方だったから。この寺の前の住職から聞いたんだけど……」


 11年前、国の各地で旱魃(かんばつ)や蝗害(こうがい)(バッタの被害)、洪水が相次ぎ、多くの者が田畑を捨て、流民となって北京へ押し寄せた。京城への街道からすぐの場所にある宝一介寺にも大勢の流民が雪崩れ込んだ。寺は、全ての食糧を放出した。結果、自分達が食べる物すらなくなったのである。


 食べ物がなくなり、多くの流民が餓死し、動ける者は出て行った。人々が消えたとき、寺にいた僧達の多くも去っていた。


 そのときの住職は、無理が祟り、飲まず食わずで衰弱死した。


「ちょっと、それは……」


 香は言葉を失う。


 宝一介寺には、大量の骸(むくろ)が残った。


「そのときに宝一介寺に残ってた僧らに食糧を届けたのは、今いる人。天下った元官僚なんだって」


 友の窮地を知った官僚は、死体を回収するための荷車を調達し、そこに食糧を隠して宝一介寺を訪れた。官僚には到底見えない服装に草鞋を履き、力仕事などしたことのない手で樫木握り荷車を引いた。彼は友と残っていた僧に食べ物を与え、名も無き多くの人々と亡くなった住職を弔った。


「ブロマンスです!!」


 香の言葉に、住職はうんうんと頷いた。


 ──そんなことがあったら、住職は官僚の頼みを断れない。


 それは絆というよりも、深く打ち込まれた逃れられない楔(くさび)ではないだろうか、と香は思った。


 ◇


 別の日、宝一介寺へ参拝した。


 明け方降っていた雪が止み、街道は12、3cmほどのふかふかの雪で覆われていた。新年になるとき、或いはなってから寺へ参拝するのが通常である。香が予想した通り、寺へ向かう人の姿はない。


 高い青磚(せいせん)の新しい塀は要塞のようにそびえ立ち、両開きの厳(いかめ)しい山門は閉じていた。横にある側門だけが開け放たれている。参拝客が少ない時期であるのに、門までの道や階段は雪かきがされており、脇に植えられた木々に雀が鈴なりに止まっている。香が通りかかるとぱたぱたぱたっと飛び立った。


 新年を迎えるに当たり、門やお堂で梯子に上るなどして大掃除が行われている。広い境内は雪の純白。その中、やや異なる材質、石畳の白が浮かんでいる。人気のない寒々と澄んだ空気の中、幅の広い石畳には綺麗に箒の跡が残されていた。


 2つのお堂を通り抜け、香は、石畳の端を歩き、本堂の前まで行った。


 小さな寺と違い、宝一介寺の扉の上の額枋(がくぼう)は、青や緑のイスラム文化を思わせる精緻な彩画が施されている。しかし、それらは年月によって色褪せ、ところどころ割れ、欠け、といった状態。そのような箇所を見るのは、香が彫刻家だからだろう。ほとんどの者は細かく見ない。


 塀だけでなく、建物も建て直す必要がありそうである。しかし、内部でニセ金造りを行っているため、慎重になっているのだろうか。いや、天井の職人の親方に接待されていたのだから、遠からず工事をするのかもしれない。


 大きな香炉に線香を3本立てて火を灯し、本堂の正面で手を合わせる。神仏を信じていない香であるが、常識人なのである。


 さらに。一応、心で唱える。


 ──素敵な牡丹が完成しますように。墨竹(モージュ)といい感じになれますよーに。


 大きな寺。僧達の生活エリアである宿坊は高い塀に阻まれて見えない。


 香は、本堂前の白い空間を振り返る。広い。ここまで通ってきた、別の大きなお堂も2つあった。その広さに人が来たなら、100人200人どころではない。かつて宝一介寺へ押し寄せたのは、千人規模だったのではないだろうか。だったら、ここに何体の骸が転がったのだろう。香は寒さを忘れたまま身震いした。


 香は再びお堂を潜り、側門を出た。広い石段が3段。


 入るとき、一斉に雀が飛び立った場所に雀はいなかった。そこには、首と肩を毛皮で覆った美老人がいた。雪に似合う絹糸のような白髪に、香は目を奪われた。美老人は大きな岩に腰を下ろし、絵を描いているように見える。


「こんにちは。雪景色を描いていらっしゃるのですか?」


 顔を向けるとき、絹糸の髪がふわりと揺れる黒い毛皮を撫でる。


 ──美。


 目を細めて美老人が微笑む。


「ごきげんよう。牡丹を描いているのです」


 老人の前には雪化粧をした牡丹の木がある。今は冬。花はない。


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