聞くことくらいしか
そうは言っても。
「すみません。私、話を聞くことくらいしかできません」
香は、俯いて答えた。犯罪者に加担するなどできない。
世の中の悪をそのまま放置しては、社会が乱れてしまう。仮に善行を積み上げているとしても、悪行は悪行として裁かれるべきである。香はそう考える。但し、シャットアウトする最も大きな理由は「犯罪に関わりたくない」からである。
「そうですよね。すみませんでした。今では、馬蹄銀の偽造を洛殿に報告したことを悔やんでおります」
おっさんは、使命感と好奇心によって寺を調べた。調べたのは、手炉を手渡された後。結果を報告したのも、もちろん、手炉や流民の話を聞いた後のこと。
「報告するべきです。報告してよかったと思います」
香は思わずそう言った。
「鍍金匠の工房に、自分は逃げてくれと頼みに行きました。バカじゃないかと自分で思った。自分が報告しなかったら、あの工房は燃やされなかったんです。あそこにいた人達は今まで通り生活できた。宝一介寺だって同じです。私が報告しなければ……」
おっさんは項垂れる。
乾清宮へ来るまで、香は犯罪や不正とは無縁の人生だった。
例えば、おっさんは逃亡兵、日本軍にしてみれば罪人である。白露はおっさんを背中の荷物に入れて背負い、城門を潜った。不正である。洛はおっさんの戸籍を偽造した。これも犯罪。ニセ金造り、鍍金工房への放火。重罪。
最も最初に触れた犯罪は、乾清宮に不審者が忍び込んだこと。牡丹を彫る手すりの刃物の傷と血痕。
こうして考えると、皇帝の息子、皇帝の護衛が犯罪を犯しているのである。鍍金工房の放火に関しては、洛は、そこにいる人間ごと始末しようと考えていたのだろう。皇帝と共に「民が大切」というスタンスではあるけれど、それは国のために戦い働く民であり、国を乱す民など数に入っていない。
──国家権力ってエグ。
傲慢である。自分達で作った法を自ら犯す特権まで持ち、自由自在。
香は素朴な疑問が生じた。
──そーいえば、どーして貿易がダメなんだろ。商売したい人がいるならすればいいのに。朝貢貿易なんて古臭いこと守ってないで。もっと合理的に。そうすれば密輸なんて罪はなくなる。
朝貢貿易とは、周辺国が皇帝に特産品を貢ぐ(朝貢)ことで、皇帝からそれ以上の返礼品や利益を得る、外交とビジネスが一体となった公式貿易のことである。どう考えても、明が損をする。
疑問が生じようが、香にできることなどない。おっさんが絡んでいる話はでかすぎるのだ。
ただ、おっさんが話せる相手は香しかいない。そこは香も理解している。
話せない設定のおっさん、しかも内容が内容、白露や墨竹には口が裂けても吐露できない。
「何もできなくてごめんなさい。でも、聞きますから」
それだけ言うのが精一杯だった。
おっさんは一瞬眉を下げたまま笑い、直後項垂れ、チンギス用の壁の裂け目を通って帰った。
◇
年末年始の休みが与えられた。
「ひゃっほー」
白露と墨竹には年末年始などないらしい。いつもより増える皇帝への挨拶や贈答品や料理に、1年で最も神経を尖らせる期間だという。
仕事納めは12月20日。仕事始めは1月20日。
──泣きぼくろ様に1ヶ月も会えないなんて。それより白露とチンギス。
そして気づく。別に、師匠の家にずっと帰る必要などないのだと。帰れば家の手伝いをしなければならない。兄弟子達がごろごろしていようと、香は女なので、1日中、母代わりの師匠の妻と家事をする日々である。兄弟子達のほとんどは家庭があり、師匠の家にずっと屯することはないのだが。
──ちょっとだけ帰ろ。
牡丹の図案を考えるという大義名分があるではないか。女手が大変になりそうな期間だけ帰ることにした。
──お寺行こ。
神仏をまったく信じていないが、香には行きたいお寺が2つある。1つはもちろん宝一介寺。もう1つは、皇帝が見た香の牡丹の彫刻のある寺。こちらの寺は牡丹が有名な小さな寺である。本堂を改築するとき、本堂の扉の上、額枋に牡丹を彫った。
ニセ金造りなどしている宝一介寺にご利益などないだろうが、牡丹の寺も怪しい。潰れそうな小さな寺だった。しかし、住職が変わったとたん、牡丹栽培に精を出しブランディング。美人になる寺、恋愛成就の寺として売り出した。牡丹を材料にした薬まで売っている。
香は牡丹寺へ行った。地面にはうっすら雪。気をつけて歩かないと滑る。
人はいない。牡丹の季節ではないからだろう。ぽこぽこと歩いていると、住職が来た。
「おお、香」
「ご無沙汰しております」
やり手の住職はアラサー。なんでこの人が僧になったのかと不思議なほどの拝金主義。そしてミーハー。
「お茶でも飲んで行きなよ」
「はい」
「相談に乗ってほしいことがあるんだ」
お茶だけでなく、お茶菓子もふんだんに山のように積まれる。相当な相談だろう。全種類を食べるのにかなりの時間を要しそうである。
「牡丹だけじゃダメだ。花の季節しか儲からない」
オブラートに包まず、いけしゃあしゃあと「儲からない」と口にする、ざっくばらんな住職である。
「はあ」
「冷え性や更年期障害に効く牡丹の薬を、BBAが買いに来るくらい」
「……」
──BBAって言っちゃってるよ。
「香はさ、ほら、若い女の子じゃん。何が好き? 食べ物? お菓子だったら、この中のどれが女の子にウケる?」
お茶に誘われた理由は、マーケティングだった。
「若い女の子が好きなのは、昆曲です」
「ああ、イケメンが歌って踊るやつね」
「そんなの、お寺じゃできませんよね」
「まーねー。んー。でも、例えば、人気スターが舞台でこの寺を宣伝してくれるとか」
「なんのために」
「切り捨てない切り捨てない。ほら『行く』なんて言ってくれれば、それ目当ての子達が来るわけじゃん」
「昆曲スターは、冷え性の薬も更年期障害の薬も買いに来ませんって」
「牡丹の花が咲かないときの客寄せ」
「恋愛成就は若い女の子しか来ませんけど、金運だったら老若男女いっぱい来ますよ」
「もう美人と恋愛で有名になっちゃったからさ、今更金運、胡散臭くない?」
──美人も恋愛成就も胡散臭いわ!
「いつも、お寺が儲かることばっか考えてるんですね」
「当たり前だよ。死活問題。こんな小さな寺、天下り官僚がスポンサーになって寄付引っ張ってきてくんないじゃん。かかるんだよ。古いからさ。雨漏りもするし、階段の石も危ないし」
「じゃ『牡丹亭』造っちゃうとか」
「ああ、牡丹眺める東屋。って、お金ないんだって」
「そうでした」
「でも『牡丹亭』はいいかも」
「え?」
「『牡丹亭』の脚本を売る」
「本屋で買います」
「『牡丹亭』の絵を売る」
「いいかも」
「『牡丹亭』の芝居を呼ぶ……力はないな」
「あははは」
「でもさ、ここが飛躍の寺ってことは間違いないよね」
「飛躍ですか?」
「香の牡丹を皇帝陛下がご覧になった」
「そうですね。感謝しております」




