金欲坊主は慈悲坊主
エリート官僚の行き着く先が寺というところに、香は一抹の寂しさを感じた。官僚といえば、大邸宅に住んで側室がいて子孫がいっぱいというイメージである。人生の最終章を寺に捧げるなど、富裕層家族に見放された者だろう。
──ニセ金造らせてるくらいだもんね。すっごい汚職で政界から追放されたのかも。
香は、欲の皮がつっぱって脂ぎった僧を想像した。酒楼で接待を受けるような不届きな僧である。
「あ、れ?」
「ん? どした? 香」
「お坊さんって国家資格いるんじゃなかったっけ」
「うん」
「なのに天下りできんの?」
「天下るだけで、官僚はお坊さんにはなれない」
「じゃ、酒楼で接待されたのは別の人?」
「そ」
香は見ていないが、どうせ碌な人間ではないのだろう、と思った。
──王氏に手炉渡したんだよね?
どうも、その優しいエピソードが噛み合わないのだった。
しかし、己が恵まれている富んだ者はいい人が多い。庶民が損得で戸惑うことをさっとできるからである。
──ただお金持ちってだけかも。
おっさんが心に沁みた善行すら、ぶった斬る庶民派、香だった。
「あ、そーいえば、この間、『銀作局』の刻印、見たよ。洛が落っことした」
「またかよ」
「あれって、白露が洛に渡したの?」
「手に入れたのは王氏」
おっさんは洛から、鍍金匠の工房に火を点けるよう命じられた。しかし、工房で働く人々の命は助けたかった。おっさんは、工房に入り、鍍金匠に鋳型と刻印をよこせを脅した。刻印を手渡されたところで火矢が飛んできた。後をつけていた白露が放ったのだ。
「鋳型の元は手に入ってない。それを砂や土に型押しして鋳型にする。でもさ、刻印の方が重要」
おっさんは「逃げろ」と叫んだと言う。
「ただ生きてほしいってだけなんだろうね」
おっさんは日本人。本来なら逃亡兵として処刑される人間だった。アウトローに対する親近感があるのかもしれない。
墨竹はぽつりと零す。
「どーせ、長くはない。ずっと水銀吸ってきたんだから」
その冷たい言葉は、香の心を切るように凍てつかせた。
体だけでも温めようと、香は両腕を広げてチンギスを呼んだ。
「チンギス、おいで」
素直なチンギスは墨竹の胸から、ぱっと顔を上げ、小首を傾げる。そして、香の腕に飛び込んだ。
ゴン
墨竹がいた場所から2mのジャンプ。香は椅子ごとひっくり返った。
「ひっどーい、チンギスぅ」
寝転んだまま、香はチンギスを抱きしめる。が、いつもと、もふっと加減が違う。
墨竹は椅子ごと香を元通りに起こしてくれる。
「ありがと。ね、なんか、チンギスが痩せた」
「毛だろ」
確かに毛が少なくなっている。顔も体も別の狼のようにスリム。
墨竹は、ぱんぱんと香についた土を払ってくれた。髪についた土まで。白露という女兄弟がいるから、この程度のことはデフォルトで備わっているのだろう。が、分かっていても、乙女心は止まらない。
──触れられる髪が心臓になりそう。
香は訳のわからないことを思った。
◇
3日後。チンギスが鼻水をぼとぼと垂らしながらぼーっとしていた。
4日後。チンギスは帰ってこなかった。
7日後。チンギスはおっさんに連れられて宿舎へ帰ってきた。
「あら? こんにちは」
「香殿。お久しぶりです。どうやらチンギスは風邪を引いたようで、うちで療養していました」
「チンギスが?」
「元気になったので連れてきました。心配したのでは?」
「はい。どうしたんだろって白露や墨竹と話してたんです」
おっさんは言った。
「何があったのか、毛がすっかり減っていて。この寒さに耐えきれず風邪を引いたのでしょう」
香には思い当たる節があった。思い当たるどころではない。確信である。
──私がもふもふ取っちゃったから。
「えーっと。それ、私が」
「え?」
「チンギスを綺麗にしようと思って、櫛で梳きました」
「ああ、だからか。じゃよかった」
「よかった?」
「川にでも突き落とされたんじゃないかと心配したので」
「ごめんね。チンギス」
「くーん」
香は、冬はチンギスのもふもふを取らないことに決めた。
「大丈夫。もう戻ったよね、チンギス」
おっさんはチンギスの体をもふもふした。なんと、言われてみれば、すっかり毛が蘇っているではないか。素晴らしいもふもふ回復力である。
──1週間で戻るの? どんだけもふもふ産んでるんだろ。
何はともあれ、チンギスの看病に対してお礼をしつつ、香はお茶を淹れる。
弱ったときにおっさんを頼るとは。飼い主の面目を潰してくれる狼である。
「私の家は狭くて暖かいんです。だから来たんでしょう」
おっさんはフォローした。
おっさんの家は、玄関を開けるとその並びに竈があり、小さなテーブルと椅子。奥にベッドというコンパクトな造り。冬は竈の暖かさが部屋中に行き渡る。賢いチンギスは、自分の毛が体温保持に機能しなくなったことを考慮し、暖かい場所に避難したのだろう。
「しかし、私がいるのは街中。回復して出歩けるようになったら人目につくので、こちらに連れてきました」
「ありがとうございます」
おっさんは、お茶を飲み、ふーっと一息。
「実は、香殿にお話したいことがあります」
「はい」
「私の家は外城。手短に話します」
宿舎は内城にある。日の入りと共に城門が閉まってしまう。
「どうぞ」
「2人は、とっとと宝一介寺を摘発すればいいと考えています」
「でしょうね」
2人とは、白露と墨竹のことである。捕まえて拷問して知っていることを吐かせればいいと考えているだろう。
「宝一介寺はいいお寺です。いつも境内は掃き清められていて、参拝客に丁寧に接してくれます」
「手炉のことですか?」
「それだけではなく。香殿も行けば、参道が賑わっていることに納得すると思います。それに、あのお寺は何かがあると、真っ先に炊き出しをしたり、流民を受け入れたりするのだそうです」
「流民を」
「はい。露店をしていたときに知りました。10年ほど前、飢饉や旱魃があったとき、多くの流民が宝一介寺におしよせた。雨風をしのぐだけでもと境内を解放したそうです。ただ、そのときはそこで何人かが力尽きてしまった。数年前からは、流民らに寝るところだけじゃなく、食事や薬まで面倒をみていると聞きました」
「……」
それは、数年前から馬蹄銀の鋳造をして財があるからだろう、と香は思った。
「人を大勢受け入れるというのは、大変なことなんです。生死の境にいる者はマナーなど二の次。境内は荒れます。100人、200人の食事の用意など大仕事。それに、汚い話ですが、糞尿も膨大になります。10年前の話ではないが、そこで亡くなる方もいるかもしれません。お金があるからといって、できることではないのです」
「具体的に考えたことはありませんでした。そうなんですね」
「だから、私は、あのお寺に住む方々を、拷問して処刑するなど、してほしくないんです」




