95%チンギス考察
別の日、官庁街で轎子を担ぐふりをしたおっさんが張り込み、轎子を特定。宦官が家まで追跡した。官僚は大きな屋敷に住んでおり、立派な表札が門にある。ここから、誰だったのかが判明した。
1人は工部の官僚、1人は戸部の官僚だった。
それを聞いたとき、香は、土木建設事業を司る工部には納得できた。宮殿建て直しに関してお世話になっている。しかし、戸部は、国家財政を扱う機関。ほんの少し、疑問に思った。
──関係ないけど。
庶民の香にとって、官僚など雲の上。悪いことをしていようが、どうでもいいのである。そして、庶民の感覚としては、官僚や役人は不正をしているのがスタンダードだった。
◇
既に、洛には落とし物である文を渡した。
これは、数日前のこと。
「はい。これ?」
「うわぁ。ありがと」
「これ、洛?」
「分かった?」
「牛と人で朱」
「はは」
「なんで偽名なの? ってか、そこらへんの人の名前借りればいいじゃん。宮廷にいる」
「これは別ルート」
その文は、洛が文華殿で帝王学を学ぶ師を通して内密にやり取りしているものだった。
「なんで?」
「まあ、どんな国であるべきかって話を文通してる」
思想的なことを含むので、宮廷のチェックが入るのは困るのだそう。
「顧憲成って……」
その名前を出した途端、洛は正面から手を伸ばし、香の口を塞ぐ。あまりの素早さに香は、洛が機敏に動けることに驚いた。
「コほっ、ケほっ」
洛はわざとらしく咳を被せる。
その様子から、香は、文の相手が本名であり、その人物とやり取りすることは芳しくないことだとと悟った。
そのように隠されると知りたくなるものである。香はじーっと洛を睨んでみたが、今回は教えてもらえなかった。
香には、知識人の名前を知っているような知り合いはいない。諦めるしかない。
「今回は落とし物、しないでね」
「大丈夫」
洛は立ち上がる。
コン
その拍子に、金属製の何かが転がった。「銀作局」とミラー反転した刻印が落ちたのだった。
刻印は持つ部分が箸の長さほど。刻印の長方形が底辺となり、そのまま長い直方体の形になっている。横の部分は、下の方は磨かれているのかツルツルしているが、上の方は気泡やらざらざらで表面を処理していないように見えた。
香は見た目より重いそれを拾い上げ、洛に手渡す。
「大事な物、持って歩くのやめたら?」
香の口から、つい、そんな言葉が出たのだった。
◇
ぽわぽわぽわ ぽわぽわぽわぽわ
宿舎にチンギスの毛が舞う。
「ねぇ、まず、生まれてくる毛をなんとかしてからにしよう」
枝を集めて紐で括っただけの、おっさんお手製の箒を持ち、香はチンギスの前で仁王立ちした。掃いても掃いても、チンギスが毛を産むのである。
「チンギース。はい、ここに寝て。ねんね」
ごろん
チンギスは賢い。香の言葉をほぼ分かってくれる。
香は、ちょっと嫌だなとは思いつつ、自分の櫛でチンギスの毛を梳いてみた。ごっそり抜けるではないか。
「やーん楽しー」
お腹やお尻はやらせてもらえなかったが、そんな場所に自分の櫛を使うのも嫌だったので、香は快く遠慮した。面白いように毛が抜けた。表面にある雨を弾くような毛も抜けたし、その下にあるふかふかの柔らかい毛もぽこぽこ抜けた。
香は知らないが、今は真冬。換毛期ではない。
「ねえねえ、ほら、もう1頭くらいチンギスができそうだよ」
掃除をして毛をまとめると、なんと、チンギスがまず1頭できた。そして、もう1頭、子チンギス。
「ほら、100%チンギス」
「わん」
「こっちが、95%チンギス」
「……。」
「このちっこいのが、50%チンギス」
「……。」
チンギスを3頭並ばせて遊ぶ。
「ははは。なんか変なことしてる人がいる」
──その声は、泣きぼくろ様!
墨竹が宿舎の奥から音もなく現れた。いったいどこから入って、いつからいたのだろう。
「見てたの?」
「楽しそうだね」
あまりアホなことをするのはやめよう、と香は思った。
墨竹に喜んだチンギスは、ぐーぐーと墨竹に体を擦り付け、墨竹がベッドになっている段に腰掛けると墨竹を押し倒して戯れる。いつもながら濃密である。
「まったく。95%とか50%とか、銀の含有量じゃないんだから」
チンギスを撫でながら、墨竹がくすくす笑う。
「銀の含有量って」
墨竹の言葉を反芻して笑いながら、香は、ふと、鍍金匠の工房と宝一介寺で造っている馬蹄銀の銀の含有量はどれくらいなのだろうと思った。
そして気づく。馬蹄銀は銀匠が造ることしか認められていない。なので、他の者が造ればニセ金である。しかし、ニセ金という響きから、香は別の金属を混ぜ込んで純度の低い粗悪品を造っていると思い込んでいた。
──粗悪品とは限らなくない?
馬蹄銀の純度が低いとは、一概に言えないのではないだろうか。
──95%チンギスだったりして。
目的はマネーロンダリングである。
密輸した銀をバレないようにして世に出す。銀をちょろまかしてその分で私服を肥やすことは真の目的ではない。そもそも、そんなことすらされていないのかもしれない。
銀作局で造られていないことから、それは100%チンギスではない。既にニセ金である。しかし、95%チンギスかもしれない。95%であれば、巷で流通している本物の銀である。刻印があるかないかの違いしかない。
「ね、ね、墨竹」
「ん?」
「王氏って、ニセ金造り見たんでしょ?」
「おぅ」
「他の金属、どれくらい入れてたのかな」
「自分も造ろうとしてね?」
「してません」
「そこまでは聞いてない。ってか、王氏は見たこと全部報告してくれたから、見てないんじゃないかな。だいたい、寺の方は夜だったし。あ、そーだ」
「ん?」
「寺。宝一介寺、官僚の天下り先だった」
「天下り?」
──ナニそれ、おいしーの?
「5年前に引退した官僚がその寺へ行ってる」
「ふーん」
墨竹に言われても、それが何を意味しているのかさっぱり分からない。
「そのあたりからなぜか、宝一介寺が長生庫を始めたらしい。香が言ってたみたいな大口の」
「それって、その引退した天下り官僚が始めたってこと?」
「うん。ただ、宝一介寺は官僚が天下りするような寺じゃないらしい」
「ちょっと何言ってるか分かんないんっすけど」
官僚が天下りする寺は、お金持ちの由緒正しい寺と相場が決まっている。官僚は寄付をしてくれる人脈を寺にもたらしつつ、寺から贅沢な安定した暮らしを享受するのである。しかし、5年前の宝一介寺はただの貧乏寺だった。北京から近く参拝客はいたが、決して天下り向きではなかった。
「って感じ。洛が言うには、宝一介寺の炉に目をつけたんじゃないかって話」
「炉?」
「寺って、申告すれば炉を持てる。だから、最初から天下り官僚は、炉でニセ金造りをさせようとしてたんじゃないかって」
「わっるー」




