巨悪の匂いに胸躍る
「すっごい悪いことしてそうな匂いがぷんぷんだね!」
国にとってとんでもない犯罪であるのに、香は、あろうことか、皇帝の護衛の前で嬉々として人差し指を立ててる。
当然、白露はまぶたを重くし目を細める。
「まあ、80両程度。国家を揺るがす大犯罪じゃないけど」
と、白露の視線に気づき、香はやや残念そうに人差し指を畳んだ。
優しい白露は、香の無神経を大目に見つつ、衝撃発言。
「それが、大犯罪だったんだよ」
思わず香は身を乗り出す。
「どんな?!」
香の瞳は、油灯の小さな炎など比にならないほど輝いた。
「馬蹄銀造ってた」
「ほぉぉぉおおお」
おっさんは、山門で露店を開く前に、しっかり寺へ参拝し、そこにいた僧に筆談で商売をすることの許可を取った。以来、参拝してから仕事をしていた。
3日目、参拝のとき、偶然件の僧に会った。挨拶の際、僧はおっさんが手を袖にしまっていることに気づいた。すると、自分の懐から小さな袋に入った手炉を出し、おっさんに差し出した。
『どこからいらっしゃったのか。寒いでしょうから差し上げます』
手炉とは携帯カイロである。
おっさんは、恐縮して手と首を振ったが、僧は、御仏のような笑顔でおっさんの手に手炉を握らせた。
「ってことがあったらしくてさ。王氏が、なかなか話しづらそうだったんだけど」
「お坊さん、やさしー」
白露は、おっさんの報告を続ける。
5日目、露店を早めに切り上げ、寺へ入った。そして、人目のない場所に潜んで夜を待った。日の入りと共に、寺の門は閉まる。
その寺は、本堂など中の建物が老朽化しているわりに、外の塀がピカピカで威圧的なほど高さがある。おっさんは、最初「先に塀を直して、これから本堂を建て直すのに天井の注文をしたのだろう」と考えた。
中の建物は老朽化していたので、隙間が多く、探りやすかった。
「そこら中で蝋燭を煌々と灯してたみたい」
「ぜーたくー」
蝋燭を使うことは贅沢である。清貧をモットーとする僧侶あるまじき行い。香は金と犯罪の匂いに胸が高鳴った。
おっさんは、大量の炭を見つけた。寺の大きさに合わない。人がどれだけいて何個火鉢があろうとも、全員が手炉を持っていたとしても。すぐに、鍍金匠の工房にあった大量の炭が浮かんだ。
絶対に何かあると確信し、おっさんは探した。すると、離れた小屋から暖かい空気が漏れ出ていた。
「馬蹄銀造ってたって。銀は灰吹銀」
そのとき、おっさんは建物よりも塀を優先してしっかりと造った意味を知った。中を見られては困る。入られても、盗まれても。
「すっご。どーやって逃げたの?」
「馬車の出入り口から出たって」
中から鍵を開けるのは簡単である。
おっさんは、とっとと街の方へ戻り、街の城壁の外にある宿に泊まった。翌朝、街を囲む外城の門が開いてから家へ帰った。
「ねえねえ、なんてお寺?」
「宝一介寺」
「ああ、長生庫じゃん」
香は、その寺の名を聞いたことがあった。大口客だけを扱うことで商人から重宝されている。
長生庫とは、金貸しを行う寺のことである。もともとは生活が立ち行かなくなった庶民が御仏を頼り、なんとか生活苦を乗り切るために金を貸りる、いわばセーフティネットだった。それが時代が下った今では質屋という形で金貸しになっているのである。
「寺が金貸しをして、儲けたり、田畑を多く所有していることは聞いてたけど。大口客?」
「らしーよ。雑魚には貸さないお寺。そっか。だから宮廷の藻井するとこと同じとこに頼めるんだね。おっ金持ちー」
香は納得した。そんじょそこらの貧乏寺は、たとえ中央に鎮座する仏像の上であっても、藻井など施せないだろう。酒楼で接待を受け、馬車で僧が行き来するなど、金持ち寺の証拠である。そして蝋燭。
「ね、香。どー思う?」
白露は、とっくに食べ終わったラムチョップの骨をチンギスに放り投げる。
「どーって?」
「宝一介寺で馬蹄銀造ってるなら、鍍金匠に頼まなくてよくない?」
「そーだよね」
「しかも、80両ぽっちのニセ金造りはショボ過ぎ」
「お寺じゃ、もっと何十万両、何百万両って造ってそうだもんね」
そこで、香は気づく。
「お寺で灰吹銀から馬蹄銀造ってたからって、鍍金匠にお坊さんが頼んでるかどうかは分かんないよね」
白露は首を傾げる。
「あ、れ? だっけ? 親方が『あっちの仕事』を鍍金匠に回してる。親方は僧を接待した。」
「ほら、接待されたのは僧だけじゃないよ」
「ああ、そっか。なんで結びつけちゃったんだろ」
「灰吹銀」
「それだ」
鍍金匠の工房でも宝一介寺でも、灰吹銀を使っていた。灰吹銀繋がり。密輸される特別な銀である。
「密輸の灰吹銀って秘密は共有してると思うけど」
白露は腕を組み、黒目だけを天井に向ける。
「洛は、全貌が明らかになってから捕まえたいって。灰吹銀が絡んでるってことは密輸。明で貿易をしてる港は南部の月港だけじゃん?」
「そーなの? 知らんかった」
庶民の香は、自分に関係のない国家の事情には疎かった。
「月港の密輸ってなると、まあ、一筋縄じゃ行かないとこなわけ。外国と大商人と地方役人ががっつりタッグを組んで利権を貪ってる。全貌が分かったところで手出しできないような闇なとこ」
おどろおどろしい話を聞き、香は疑問を持った。
「だったら、どーして、そーゆー怪しい場所で馬蹄銀、造らないんだろ」
「へ?」
白露が香の素朴な疑問に腕組みを解く。
「北京だったら見回りの兵もいるし、銀の鑑定する人もいるし、灰吹銀を運ぶのだってリスクあるのに。運ぶって運河だよね? だったら、検問いっぱいじゃなかったっけ?」
南方の月港から北京へ向かう荷物は、京杭大運河で運ばれる。そこには山のような検問所がある。最も厳重なチェックを行う場所だけで8つ、小さなものを含めれば50を超える。チェックを受けるだけではない。通行料や袖の下が必要である。
白露から検問所の説明を受け、香は目を回した。@_@
「うっわ。いっぱい運んでくれたら、役人はウハウハだね」
「そーね-。そーなるわ」
「じゃ、親方が接待した人、役人かも」
「役人?」
「仕事を取るために、役人を接待してるって話だったじゃん。役人って、そこらへんの街役人じゃなくて官僚でしょ?」
「だよね。だけど」
おっさんの似顔絵はド下手だった。もっとも、見えたのは、轎子に乗るまで一瞬。おっさんは、もう顔を覚えていないらしい。
いたのは2人。どちらも顎髭があったとのこと。官僚は、例外なく顎髭を生やしている。
「だったら、轎子やそれを運んでた人、覚えてないかな。乗る人は一瞬しか見えないけど、運ぶ人はずっと見えてるじゃん。その人達は、使用人だから家が分かるかも。でも、官僚の轎子で集まるところなんて、皇城だもんね。調べられないよね」
話しながら、香も黒目を天井へ向けた。
その言葉は、即実行された。




