目指せ安楽椅子探偵
テーブルの上には長い白い紙。香は筆を握ったまま、ぼーっと幻想に耽っていた。墨の匂いが、墨竹の姿を運んできたのかもしれない。
香はぷるぷると首を横に振る。
「牡丹!」
誰もいないのに宣言し、長くはない別の紙に、雪化粧の牡丹、水灯籠と牡丹の絵を描いた。
筆先が紙を走る音だけが部屋に響く、静かな時間が流れた。
「香、香」「香」
いつの間に近くにいたのだろう。あまりに集中し、墨竹と洛が来ていたことに気づかなかった。
墨竹に肩を叩かれ、はっと顔を上げる。
「あ、墨竹」
「すっげー、集中力」
「ごめん」
「いいって」
2人で微笑み合うと、その間に顔が出てくる。
「あのぉ、オレもいるんだけど」
洛だった。
一応、香は立ってお辞儀をしようとしたけれど、洛は気にするなとでもいうように、それを手で制した。
「父から本物の20両、貰った?」
洛は嬉しそうにニコニコしながら空いた椅子に座る。
「うん。ひょっとして、洛がなんか言ってくれたの? 彫刻の仕事じゃなくて、釘みつけたことに関してだろーなーとは思ったんだけど」
「オレは報告しただけ。王氏も貰ってるはず」
「ありがとう。白露も?」
「え? なんで白露? あ、一緒に釘探したから?」
洛の後ろで、墨竹が「しーっ」と唇の前に人差し指を立てている。どうやら、おっさんがニセ金造りをしていた鍍金工房を燃やしたことになっているらしい。
「う、うん」
香は、目を泳がせる。しかし、洛は細かいことを気にしないタイプ。
「白露は父の命で動いてるんだから、管轄外。高給取りだから気にしなくていーんじゃね?」
──ってことは、墨竹も高給。$_$
さっきまで「怯む」と思いを巡らしていたというのに、香の中で墨竹ポイントた加算される。
同時に「実は仕事の依頼は、牡丹の彫刻のせいではなく、単なる洛の口利きでは?」と心が曇る。
「ひょっとして、手すりの全部に彫刻することになったのって、洛が皇帝陛下になんか言った?」
ところが、洛は、仕事の追加について何も知らされていなかった。
「え? マジで? あの手すり? うっわー。終わんなくね?」
「知らなかったの?」
「知らない。皇貴妃が、自分とこの部屋にも牡丹を彫らせるって噂しか」
「え」
皇貴妃といえば、皇帝の寵姫。香目線では、殺人鬼の容疑者である。
なんでも、乾清宮へ遊びに来た皇貴妃が牡丹を目にし、自分の部屋の透かし窓に彫らせたいと言っているらしい。
「でも、手すりに牡丹彫るなら、何年もかかるじゃん。そこまで皇貴妃は待てないよな」
そう言った洛に、香は尋ねた。
「今日は、なんかあるの?」
皇子が宮廷を抜け出すなど、とんでもないこと。相当の理由があるだろう。
「オレはさ、市井のことが分かんなくてさ。なのに、超極秘調査をしてるわけ。だから聞きに来た」
「何を」
「刻印作るのって、難しいんだっけ?」
「え?」
「鋳型に関しては、王氏が日本のやり方を教えてくれた。聞いてて、たぶん一緒だと思う」
馬蹄銀の鋳型は、土や砂。毎回作る。馬蹄銀の模型があり、それを土や砂に押し付けて型を作る。おっさんによれば、それも固まり方や気泡ができるできないの配合があるとのこと。
刻印の金属加工の難しさについては、おっさんは知らなかった。
「白露から刻印を渡されたんだよ。『銀作局』と『花銀二十両』の。刻印がそっくりなわけ。それって簡単に作れるんだっけ?」
「金属加工専門の職人じゃなきゃ、そっくりには作れないと思う。上手い人」
金属加工職人といっても様々である。鋳造を専門とする者、鉄を鍛える者、金銀の細工をする者、金属に文字や模様を彫る者。その中には、金属製品に文字を打ち込むための刻印を作る技に長けた者もいる。香は自分が知る限りの職人の違いを、洛に説明した。
「そっか。じゃ、文字や模様を彫る職人に絞られるってことか」
洛はふむふむと頷く。
香は銅銭にニセ物が多いことと銀を同じレベルで考えていた。
「銅銭っていかにもニセ物が多いじゃん。それと一緒?」
無邪気な質問をしただけのつもりだったが、洛の後ろで、墨竹が目を見開いて首を横に振っている。
──あ、なんか、訊いちゃダメだったみたい。
しかし後の祭り。
「違う。まったく性質が違う。まず、銅銭は社会問題ではある。だけど、実際、経済発展と共に銅銭は不足してきたから、実は、銅銭不足が補われて助かったって部分もある。一応、万暦4年に新しい銅銭を大量に発行はした。でもって、偽造した者は死罪」
銅銭でこれ。銀の説明はもっと長くなりそうだ、と香は身構える。
「馬蹄銀。銅銭とは金額が違。1両が1000文としたら、20両は2万文。それがぽこぽこ造られていたら、銀が値崩れする」
「確かに、銀って変動するって聞くもんね。うちら使うの銅銭だから、あんま、関係ないけど」
「銅銭を造ってるのは、朝廷。でも、銀を造ってるのは民間の銀匠。銀匠の刻印が信用できなくなる」
それを聞きながら、朝廷を信用したところで銅銭のニセ物が出回っているけれど、と香は思ったが、ツッコむことはしなかった。
洛は「ふー」と深呼吸してから続ける。
「しかも、今回は『銀作局』の偽造。皇帝陛下の工房を舐めてくれる。これは看過できないって。信用できる者に、銀作局の刻印を調べてもらった。流出なんてしていない。第一、刻印の台の形や長さが違った。精巧なレプリカってこと」
墨竹は、油灯を灯し、食べ物を用意してくれる。外はすっかり暗くなっていた。
香はその気遣いにお礼を言ってから、ふと疑問を口にした。
「あ、さっき洛、20両がぽこぽこできたら値崩れ起こすって言ってたじゃん?」
「ん」
「20両はぽこぽこじゃないよ。そん中に銀、いっぱい入ってるもん。たぶん。じゃないとさ、切って使えない」
香の言葉に墨竹も「ああ、そうだ」と共感。洛は驚いた。
「ええ、切る?!」
どう考えても、洛は支払いなどしたことがないだろう。
「うん。銀って重さ測るの。私は小っさくなった銀くらいしか使わないけど。切って重さ測るから、中身が銀に見えるために、ある程度は銀が混ざってると思う。配合は知らんけど」
配合など知っていたら、偽造犯罪予備軍である。
「だから、銀はいっぱい使ってるから、そんなにぽこぽこ造れない。ニセ物の銅銭だって、ある程度は銅が混ざってるって聞くし。造るための銀、どっから持ってきてるんだろね」
「「ん?」」
「私、焼け跡しか見てないけど、普通の工房だったよ。めっちゃお金持ってる感じじゃなかった。だから、たとえば20両の銀を4つ造ったの見てたってことだったら、80両なわけじゃん。それより少ないとしても、ニセ金造るのに、銀、いっぱい要るよ。先に受け取ってると思う」
洛は香に感心した。
「すげーじゃん。ここへ来たかいがあった。王氏も有能だけど、香もなかなか」
褒められて、香は両頬を両手に添えて照れる。
「すごいだなんて。もしも私がニセ金造りをするならって考えてみただけだよ。やだ。もう」
墨竹と洛は、瞼を重くし、目を細めた。




