長〜いおっさんの話
『世知辛いのう』
一方がぼやく。
『死ぬの待つよりええ。逃げよう』
『1つくらい貰ってこう』
『あっちのやつか?』
『当たり前。あっちや』
『もっと貰ってけば、楽に暮らせるぞ』
『欲をかいたら、あかん。捕まったらどうなる』
『ニセ金ってバレて、殺される。……お?』
ぽろり。会話に登場した。ニセ金。
『なんや、どうした』
『ぎょうさん盗んでも、役所に届けられんぞ』
『そーや! お前、賢いな。あっちゃぁいかんもん盗んでも、盗まれたぁ言えんな』
明の時代に流通していた通貨は、銀錠と銀と銅銭である。紙幣も存在してはいたが、紙屑に等しく、ほぼ流通していなかった。
彼らが言うニセ金を造っているとして、銅銭を「1つくらい貰っていこう」とは思わないだろう。そして「楽に暮らせるぞ」という量は到底運べない重さになる。
銀、あるいは銀錠だろう、とそのときのおっさんは推測。
万暦帝の時代に、税を銀で納めることになった。それまでは小麦や米、絹織物など、物納が主流だったのだ。以来、国内では銀の需要が爆発的に増え続けている。
銀は、輸入が多かった。国内は、洛の提案で閉山されていた多くの鉱山が稼働し始め、増産に向け動き出した過渡期。
鍍金工房なので、おっさんは、鉛などの別の金属に銀をコーティングしているのだろうと考えた。
「アマルガム法を使って見せかけの馬蹄銀を造ってるのかと思いました。それか、街でたまに見かけるような、親指の先くらいの大きさの銀の塊のニセ物を」
馬蹄銀というのは、船のような形をした、あらかじめ重さが揃っている銀錠である。
香は、コーティングの可能性は低いと思った。なぜなら、庶民はそれを切断して使うのだ。塊では大金すぎる。例えば中身が銅だった場合、切ったときに中が赤く、ニセ物とバレる。
──じゃ、親指サイズのちっこい銀の塊の方かな。
そう考えるのが自然だろう。
「調べに行きました」
──怖っ。
「ヒュー。やるじゃん」
闇の工房に調べに行くなど、恐れ知らずである。香は身震いした。が、白露は嬉しそうに口笛。
おっさんは、口を覆う布を用意した。何日もかけ、事前に何人いるのか、工房からの出入りは多いのかを葦の中から調査。次に風上方向の土塀の上から観察。そしていよいよ、風向きを意識して工房の敷地へ忍び込んだ。
「私が窓から覗いたとき、窓が開いていて、暖かい空気が出てきていた。炉を使っていた」
おっさんは、水銀の蒸気を吸い込まないよう用心しながら、窓から中を覗いた。すると。
「そこで作業をしてた連中が、誰も口元を覆ってなかったのです」
日本人の常識ではあり得ないことだった。アマルガム法、水銀、毒のセットである。
「それはおかしい。私は何日も見てきたが、皆、口元を布で覆っていることが多かった。金属の表面をきれいにするのにも薬を使う。炉で熱するときは水銀を飛ばす。それが終わっても工房には水銀の蒸気が残る。再利用する水銀の回収もある」
見ていると、炉から取り出した真っ赤に溶けた金属を何かに流し込んでいた。そこには工房の主の男もおり、にやりと笑って半分残った黒い歯をのぞかせていた。
──歯が半分ないの?! 残ってるのも黒いの? 水銀のせい?
香は、水銀の恐ろしさが咳だけではないことに戦慄する。
真っ赤に溶けた金属は、2つの鋳型に流し込まれ、しばらくすると、中から砂に覆われたものが取り出された。どう見ても、聞いているアマルガム法での鍍金作業ではない。
『なんの因果か鍍金の家に生まれちまった。せめて鋳型に流し込むだけの稼業だったらな。こっちの方が簡単で安全。はは』
工房主は自嘲気味に息を吐き出した。それに周りの職人が返す。
『そしたらオレらが行くとこがなかった』
『そーや。感謝しとる』
『身入りもええ』
和やかに笑う7人の職人の中には、数日前に飯屋で見た2人が混じっていた。
鋳型から取り出された物は、船のような形をしていた。
「初めて見ました。馬蹄銀というものを。手のひらに乗りそうな砂に塗れた銀の船が出てきた」
話には聞いたことがあったので、これが紛うことなきニセ金の密造現場なのだと確信に変わった。
馬蹄銀の鋳造は、特定の工房や銀匠にしか許可を与えられていない。鍍金匠にそれが与えられることはない。大罪である。
本物の馬蹄銀は、純度の高い銀。ここで造っているのは、恐らく、鉛、銅、錫など他の金属を混ぜた合金だろう。
『よし、一回目は上出来や。おい、まだ炉の火を落とすな。もう1回材料を放り込んで、次の分を溶かすぞ』
『はいよ』
言われた職人が続けて炉に木炭をくべる。
一方で、まだ熱そうな小さな船に、飯屋で見かけた1人が刻印を押そうとしていた。
『右側に短い方だ。左が長い方。左側はちょっと下げろ。まず右のだ』
刻印は2種類あるらしく、工房主が指示を出す。
『うっす』
2個目の船にも刻印を押そうとする。そのとき、向きが分からなくなったらしい。
『あれ? どっちが上だったっけな』
『おいおい。ちょっとその砂んとこに押してみろ。跡つくやろ。向きが分かる』
言われた男は、刻印を床にあった砂に押した。
『分かりやした』
『砂払ったか。印に砂、ついてないな』
『うっす』
そうして、2つの船に短い方の刻印が押された。
長い方の刻印を押すとき、今度は1個目で向きがわからなくなり、砂に刻印を押していた。
2つの船に2種類の刻印が押された。
そして、再び鋳型に溶けた金属が流し込まれ、同じ作業がなされる。
『よっしゃ。2つできたな』
『『『おおーっ』』』
『これの方が、よっぽど楽に造れるな』
『おいおい。それを言うなって』
『だな。オレらが大金稼げるのは、鍍金をするからや』
これらの会話の合い間には、咳がごほごほと入っていた。
そのうち、とっぷりと日が暮れた。おっさんは、夜、鋳型を盗むことを思いつく。
「ええええっ」
「それはちょっと。」
香はびっくり仰天。大胆さ加減がハンパない。さすがの白露も、引き気味。
「証拠があった方がいいと思いまして」
おっさんがここまで行動できるのは、剣の腕に自信があるからだろう。
「入ってみたんです。ですが、まあ、当然のことながら、全て片付けられていました」
「「ですよね」」
「だが、床に積まれた砂に刻印が残っていた。短い方が『銀作局』長い方が『花銀二十両』でした」
「「うっわー」」
鋳造していたのは、20両の馬蹄銀のニセ物だった。
20両貯めるのに、香だったら何年かかるだろう。
「すごいですね」
「さすがです」
香と白露は拍手喝采。
あっちの仕事とは、ニセの二十両の馬蹄銀を造ることだったのだ。
香は興奮して手をねえねえとパタパタ動かす。
「その仕事を持ってくるのは、天井造ってる親方。だったら、親方が接待してた立派な人らって、お坊さんとか、これに絡んでるじゃん」
「香殿、それは分かりません。接待に関しては、天井の仕事を取るためだけかもしれません」




