工房のあっちの仕事
親方が通った永定門は、街を囲む城壁の南の正門。そこから南へ行けば、涼水河という風光明媚な場所がある。川辺に柳があり、水鳥が遊ぶ。
「デート? いかつい顔のオヤジなんでしょ?」
恋愛脳の香は思わず眉をひそめた。若い男女のデートスポットなのである。香は、恋愛は見目麗しい若者しかしないと思い込んでいる。
「いえ、あの辺りじゃなく、もっと川下の人気のない場所です。そこに鍍金匠の工房があった」
「あ、そっか。銀の話なんだった」
香は、最初におっさんが「ニセ物の銀の塊を作っているとこと繋がってる」と言ったことを思い出す。
鍍金とは、簪や仏具、建築の金具などの表面に金や銀を焼き付ける技術である。
川を背に、鍍金匠の看板がある土塀に囲まれた1軒。
その辺りには集落があったが、その端の端。枯れた葦がざわめく湿地帯の脇にひっそりと佇んでいた。荷車が通れる程度の道の横には湿地帯が広がっていた。その様子からも、個人の客が直接持ち込むのではなく、受注窓口は別にあると推測できた。
おっさんは、坤寧宮の天井に金色の釘ではなく、鉄釘が使われていた話を知っている。
「だから私は、本当は金色の釘を鍍金匠に発注してあったけれど、納期が間に合わなかったか、なんらかのトラブルで使えなかったのでは、と思った」
湿地帯の冷たい風に揺れる枯れた葦やすすきの中で、おっさんはじっと身を潜めて待った。
「ええっ。そんな場所で」
香は驚く。
白露はおっさんの頬や手に小さな線の傷を見る。
「そのときのですね?」
「はい。建物も何もない場所だったので」
集落の外れ、荷車がやっと通れる道、湿地帯。身を置く場所など、葦やすすきの間しかなかったのだ。
しばらくすると、親方が男と喋りながら工房から出てきた。男は首に涎掛けのように布をつけていた。シワのつき方から、ついさっきまで口を覆っていたことが窺えた。
『まあ、金かかるからな』
と男。
『まったくだ。宮廷の仕事にありつくには、*工部の接待やらなんやらモノ入りでかなわん』
と親方。
『釘もな』
男はモノ入りに、わざわざ「釘」を入れた。普通の鉄釘は二束三文。金などかからない。
『ははは。それはやめた。仕事回せずに、すまん』
『当然。いいって。金の釘は高くつく』
おっさんは、そのとき、坤寧宮の天井の釘の話だと察した。
『水銀も高いもんな。たかが釘が金色になると50倍の値段に跳ね上がる』
水銀。男の言葉を聞き、おっさんは合点がいった。男が口元を布で覆っていたのは、水銀の蒸気を吸い込まないためだったのだ。
『そりゃな。命を削る値段だ』
『だな。だったら、仕事を回さなくてよかった』
『あっちの仕事はよこせ』
『ははは。あっちか』
再び親方の笑いが加わる。
『ま、坤寧宮の天井は、何年か後にまた、メンテナンスで儲けられるな』
『ははは。そーゆーこと。じゃ、あっちの話はまた持ってくる』
親方は別れの挨拶をすると、そのまま来た道を戻って行った。
そのとき、まだ明るいころだった。おっさんは葦やすすきの間から出たかったのだが、見晴らしのいい場所。仕方なく、親方の背中が小さくなるまで待ち、日没の永定門が閉まるまでに、なんとか北京の街の城壁内に入ることができた。
「"あっちの仕事"を調べなければと思いました」
おっさんは、やる気まんまんだった。さすが斥候経験者である。いかにも危なそうな響きに、香は、自分だったらそこまでで報告して終わりだろうと思った。
──んー。葦の中で潜むのもムリかも。
ともあれ、おっさんはチャレンジャー。別の日に行商人になって、集落を訪れた。
「なるほど。何を売るんですか? 刀は?」
白露が尋ねる。山賊が出るような物騒な街道ならいざ知らず、普通の街中で刀など帯びていれば、危険視される。職質案件である。高価な日本刀は目立つ。
「櫛や簪や白粉、書画を。刀は書画の中に紛れ込ませました」
「「なるほど」」
しかし、簡単ではない。なにせ話せない設定。
おっさんは、その集落の中心である街道で、道端に真っ赤な布を敷き、商品を並べ、筆談用の木板を傍らに置いた。さまざまな客が足を留めた。
「3人組の女性が来た。簪を見て行った。が、安い櫛を買った」
『この簪、いいじゃない』
『似合う?』
『似合う似合うかわいい』
『探してるのは、金の簪だもん』
『じゃ、鍍金してもらえば?』
1人がそう言うと、他の2人は困ったような顔をして目配せし合った。
『『……』』
提案した女性も、すぐに失言に気づいた。気まずい沈黙のあと、彼女は慌てて愛想笑いでごまかした。
『ああ。……だよね。あそこは近寄らない方がいいよね』
「結局、木の櫛が売れた」
おっさんは、すぐ傍にあった飯屋で昼間から酒を飲んで長居してみた。以前、白露が話していたOUTな男そのものである。
何人もの客が訪れた。やがて、店に咳き込む男が2人入ってきた。2人は咳をしながら、おっさんと通路を挟んで隣のテーブルに座った。他の客のオーダーを取っていたのは女性の店員だったが、その2人のテーブルには、いかにも料理中だった男性の店員が来た。そのとき、おっさんは、特別な待遇を「咳のせい」だと思った。
2人の男は黒っぽい服を着ていたが、それでも黒い染みや焦げた小さな穴があり、薄汚れていた。そして、喉を抑え咳をする。おっさんだって悪い風邪になど罹りたくない。そろそろ店を出ようとすると、妙な単語が聞こえた。
「『水銀』と言った。アマルガム法のことです」
「「アマルガム法?」」
「鍍金の方法です。水銀に金を混ぜて、合金のアマルガム金にする。それを例えば金色にしたい金属の簪に塗る。それを焼き付けると、水銀が蒸気になって簪に金が残ります」
おっさんは物知りだった。
「すっごーい。知ってたんですか?」
香は小さく手を叩く。
「日本でも使われているので」
咳をする男達は川辺にある鍍金匠の職人に違いない、とおっさんは考えた。水銀は毒。蒸発するときに喉を傷め、目も傷め、体の中を蝕み、命を縮める。咳が職業病であることもおっさんは知っていた。
2人の男は、逃げる相談をしていた。
『喉、もたんぞ』
『この間、また死んだな』
『あれは、あっちの仕事でだろ』
あっちという言葉が出た。
『捕まったら殺される。役人とも繋がっとる』
──それって、捕まって牢に入ってても、役人繋がりで獄中死するってこと?
報告を聞きながら、香は黒い関係者の多さにぞっとする。無法者の従業員などかわいいもの。役人、それを知る鍍金匠、天井専門の親方。
『ああなる前に。な』
『分かっとる。でもな、逃げても、まともな職はないぞ』
『やな。前科もんで、ワシは脱獄犯やもんな』
この言葉を聞き、おっさんは、注文を取りにきたのが男性だった意味を察した。鍍金匠の職人は訳あり。それゆえ、女性店員は接するのを躊躇い、路天に来た客は簪に鍍金するということも躊躇ったのだろう。
*工部……中央政府において、宮殿や城壁などの土木工事、鉱山の開発、武器や銅銭の製造管理を担っていた官庁




