小さな釘を探して
香は単独犯ではないと主張した。
「職人って道具を持って入るじゃん、でも、道具は残ってなかった。 残ってたら、その道具の持ち主が怪しいってことになるもん。記録されてるから分かる。でも、怪しい職人はいなかったんでしょ?」
墨竹は「うん。いなかった」と首を縦に振る。
「釘を落とした人が、墨竹の斬った人だったとしたら、その人は、大工として出入りしてる職人。道具を持ってるはずだけど、道具は残っていなかった。だったら、道具を持ち帰った仲間がいる」
「ああ、そっか」
職人ではない墨竹には、道具という発想がなかった。
「その人が手引きしたのかもしんない。それから、チェックが杜撰になるまで待ってた可能性もあるけど、護衛の兵士とか宦官と通じてて、なんらかの方法で中に入った可能性もあるよ。あ、匠の親方とグルで、身分証を集めるふりしてもらったとか」
職人は匠グループに分かれていて、それぞれ親方がいる。
「身分証を出さずに木の札をもらったかもしんないよな」
「乾清宮に忍び込んだ人って、木の札、持ってた?」
「持ってない」
当然である。持っていたら、身分証と照らし合わせて犯人が判明しているはず。
おっさんは感心した。
「香殿、これはまた、素晴らしい」
香は照れる。
「いえ。自分だったらどうやって犯罪しようかって考えてみたんです」
墨竹とおっさんは、素直なサイコパス発言に、まぶたを重くし目を細めた。
◇
翌日、香は宮廷に向かう。
先日、宦官からもらった傘を差し、雨の中を歩く。他の場所なら、土が跳ね上がって靴も衣服の裾も汚れるもの。しかし、皇城の中には石畳や*方磚が敷かれ、土が跳ねることはない。
早朝、雨天のせいか、いつもよりずっと暗かった。
宮廷の城門で驚く。いつもの宦官が来るとばかり思っていたら、待っていたのは洛だった。軒下での立ち姿は背筋を伸ばしていたが、歩き始めると、宦官らしく少し前屈みで小さな歩幅。
──なんだ。できるじゃん。
乾清宮以外では、しっかりと宦官らしく振る舞っているようだった。香もそれに合わせた。
「おはようございます」
「おはようございます」
2人で縦に並んで進む。雨音が傘を叩く。
大声で話すわけにもいかず、広い宮廷の奥まで、2人、無言で歩いた。
坤寧宮の手前、交泰殿の前で洛は立ち止まり、香の方を向いた。しかしそれは一瞬で、即、通り過ぎて坤寧宮へ入った。本来ならば、傘を建物の中へ入れるべきではない。けれど、建物の外に傘があれば、中に人がいると分かってしまう。
傘を持って入った。そして、用意されていた桶に畳んだ傘を入れる。桶には1本、先客の傘が入っていた。
「おはよ。香」
白露だった。24時間勤務が明けたところだろう。
「お疲れ様、白露」
洛は背筋を伸ばし、「連れてきた」と帽子を取った。
「じゃ、釘、探そう。交泰殿は見てのとおり、狭くて何もなさそうだから。あるとすればこっちかなと思って」
と洛。交泰殿は乾清宮や坤寧宮の半分ほどの大きさだった。貴妃達が皇后に挨拶をしたり、皇后の誕生日を祝うための建物で、内部はシンプルらしい。
──坤寧宮も、けっこうシンプルじゃん。
未完成の坤寧宮に足を踏み入れると、高い天井が寺を思わせた。
北奥の太い柱と柱の間に作り付けの椅子、別の柱と柱の間にベッドがある。部屋を区切るための**槅扇はまだ運び込まれておらず、装飾のパネルのない剥き出しの木枠があちこちにある。
「探そう」
洛は簡単に言う。これだけ多くの財木があるから、好きなだけ探せとでも言いた気である。
まず、木枠を順に調べる。接合部は臍を穴に組む、榫卯という工法が使われている。釘はない。
それ以外は、ベッドと椅子。が、ぱっと見で、2cm未満の釘など使われていなさそうと分かる。大きな木材を固定するには、2cmではなく、もっと大きな釘を使うだろう。人間の体重を支えるのである。
しかし、細部に使用されている可能性があるので、香はまず、椅子から丁寧に調べ始めた。椅子を置く台は造られているが、背もたれ部分はまだ設置されていない。
ベッドは柱と柱の間にぴたりと嵌め込まれ、既にできあがっていた。直線と直交の美しい幾何学模様の彫刻は、赤い柱に映える赤漆で仕上げられている。香はベッドの台の板をめくった。そして大胆にも、ベッドの中に立って天蓋部分を調べた。ない。
「ない?」
と白露が尋ねる。
香は、「ない」と首を横に振る。
「私ね、蝶番を留める釘だと思ったんだよね。戸棚とかについてる小さな隠し扉みたいなのの蝶番を想像してた」
釘はあまりに小さい。飾り戸棚のようなもののどこかに、密かに使われるものだろうと考えていた。
ところが、家具まだ。
「戸棚、ないもんね」
白露は残念そうだった。
それにしても、冬は寒そうだな、と香は思った。広大な部屋に床は方磚。足元から冷え、少々の暖かさなど上に逃げてしまう。竈の暖かさが部屋に届く、庶民の家の方がいい。立派な柱も赤漆の家具も、部屋を暖めてはくれない。
様々な材木の角や、ベッドと椅子を興味深そうに探していた洛が言った。
「じゃ、一応、交泰殿の方も見てみる?」
来るときに通り過ぎた、比較的小さなな建物。確かに、挨拶や行事で使うのであれば、ただのだだっ広い構造だろう。
3人で傘を差し、そちらへ移動。白露は、傘を立てる桶を持ってきた。その配慮に、香は、密かに調べていることを少し怖くなった。
交泰殿は雅。
天井は極彩色。四角く区切られ、一つ一つに鳳凰の彩画がある。建物の奥、美しい宝座が置かれるだろう場所は、祭壇のように一段高くなっており、その周りの天井は黄金色の***藻井。まるで太陽が部屋の中にあるようだった。
香は、天井が気になった。鳳凰の彩画がされた天井パネルを留めているのは、鉄釘かもしれないと思った。彩画は細かく、角に釘を使えば分からない。
──まさかね。釘を使うとしても、2cm足らずじゃ、天井パネルが落っこちてくる。
それでも香は一応、確認することにした。作業に使う、梯子や特別にあつらえた高い足場用の台はそのまま置いてある。
台を動かし、香はそれに上った。
「ひぇ〜、怖くない? 香」
洛が下から見上げる。
「いーな、私も」
白露は作業台に、ぴょんと上ってきた。
「木釘だ」
「ホントだ」
天井の四角いパネルを留めていたのは木釘だった。
その一帯を確認した香の目に、メインの黄金色の天井部分が飛び込んできた。
──ド派手。あ。
天井の複雑に入り組んだ黄金色には、ところどころ金色の金具が使われている。金の金具を取り付けるとしたら、金色の釘を使うだろう。他は木釘だけれど、どうなっているのか。細かく凸凹としながら、更に大きく多角形を描く藻井に、香は職人特有の興味が湧いた。
「ちょっとあっちも見ていい?」
一旦台から降り、煌びやかな場所に動かして、再び上る。
金色の金具を留めるのに、金属の釘が使われていた。打ち付ける部分の直径は、香が拾った釘に一致する。
*方磚……グレーのレンガ
**槅扇……中国の伝統建築において、部屋の間仕切りや出入り口に用いられる格子細工の木製建具(ドアや窓)
***藻井……中国の伝統建築に見られる、部屋の中心の天井を一段高く、ドーム状や多角形にせり上げ、複雑な木組みや美しい装飾を施した頂部装飾
*工事の進捗状況は、創作です。
現在の紫禁城の建物は明代のものとは異なります。明代の交泰殿、坤寧宮の内部に関しては、全くの創作です。




