98話
商業都市メルカトを後にした俺たちが次に足を踏み入れたのは、大陸全土から極上の食材と一流の料理人が集う場所――美食都市国家『エピキュール』だ。
石畳の広がる美しい街並みには、朝からスパイスの刺激的な香りや、肉が焼ける暴力的な匂いが漂い、異常なほどの活気に満ち溢れていた。
【ナビ:街の掲示板および音声情報をスキャン。本日より三日間、エピキュール国主催『庶民飯コンテスト』が開幕します。今年は特に、過去5年間の上位入賞者のみが覇を競う『美食グランプリ』の予選も兼ねている模様です】
脳内に響くナビの機械的な報告に、俺は感心したように口笛を吹いた。
「へぇ、料理コンテストか。で、ルールは?」
【ナビ:レギュレーションは『屋台で提供できる庶民の飯』であること。客は屋台で食事を購入するごとに『投票券』を一枚獲得し、その日一番美味しかった屋台の投票箱に一票を投じます。審査員は街の『庶民』全員です】
【ナビ:なお、各屋台の出品は『一日一品のみ』。かつ『三日間、毎日違う料理を出さなければならない』という規定が存在します】
「なるほどな。小難しい舌を持った貴族じゃなく、現場のリアルな胃袋が評価を下す。悪くないシステムだ。だが……毎日違う看板メニューを出すってのは、料理人の引き出しの多さと、仕込みの計画性が相当試されるぞ」
俺が設備屋目線でコンテストの難易度を分析していると、肩に止まっていたシロが真面目な声で口を開いた。
『ピロロロッ。大陸中から集まった凄腕の料理人たちが、自らの誇りをかけて民衆に挑む。ごまかしの利かない、とても公平で素晴らしい舞台ですね。マスター、街の人々の情熱が肌から伝わってきます』
シロが感動している足元で、鼻をヒクヒクさせていたクロが、目をカッと見開いて俺のズボンの裾を引っ張った。
『ニャアアアッ! ミツトメ! 我らもこの祭りに参加するニャ! 屋台を出すニャ!』
「はぁ? お前なぁ、俺たちはただの旅人だぞ。プロの料理人が人生懸けてるコンテストに、冷やかしで出るなんて――」
『ニャハハ! 嘘をつけニャ! ミツトメの腕ならそこらのコックなんぞ余裕でひねり潰せるニャ! 何より、屋台を出せば、試作と称して三日間美味い飯が食い放題ニャ! 出るニャ! 絶対に出るニャァァ!』
……食欲に駆られた終末神の駄々っ子である。
だが、俺も街の熱気と美味そうな匂いに当てられ、少しばかり現場の血が騒いでいたのは事実だった。
「……まぁ、たまにはこういうお祭り騒ぎの現場も悪くないか。よし、クロ。エントリーしてこい。俺たちはこの【庶民飯コンテスト】に殴り込みをかけるぞ!」
『ニャアッ! 言質は取ったニャ! すぐに申請してくるニャ!』
クロが商業ギルドへ屋台の申請に向かっている間、俺は宿の裏庭で腕を組んでいた。
「さて、三日間毎日違うメニューを出せて、かつ屋台のレギュレーションに完璧に合致する料理……」
片手で食べられて、食べ歩きができ、なおかつバリエーションが豊富なもの。
答えはすぐに出た。
「『大判焼き(今川焼き・回転焼き)』だ。あれなら、中の餡を変えるだけで、甘いおやつからガッツリ系の惣菜まで、無限のバリエーションを生み出せる」
大判焼きを作るには、丸い窪みが並んだ専用の『焼き台』が必要不可欠だ。
「料理の前に、まずは設備の調達だな」
俺はインベントリから分厚い純銅の板を取り出し、特大パイプレンチやハンマー、バーナーを駆使して、あっという間に『16連装の大判焼き専用焼き台』を叩き出した。
銅は熱伝導率が極めて高く、生地を均一にふっくらと焼き上げるには最高の素材だ。
「よし、屋台の設備は整った。初日の具材は……やっぱり王道の『あれ』でいくか」
――その頃。
エピキュールの中心部にある豪華な商業ギルドの貴賓室では、重苦しい葉巻の煙の中、ふくよかな体型の商人ギルド長と、豪奢なコックコートを着た男が密談を交わしていた。
「……手筈は整っているな、料理長」
「ええ。我が『三ツ星商会』が雇ったサクラの客たちに、大量の資金と指示を渡してあります。彼らが我が屋台で買い物をし、そのまま投票所に直行して票を入れる。このコンテストの優勝は、最初から我々のものです」
コックコートの男が下劣な笑みを浮かべる。
「庶民の舌など、所詮は脂と塩気にしか反応しない下等なもの。我々が用意した『高級食材』と『組織票』の前に、他の有象無象の屋台など塵も同然です。今年の優勝を手に入れ、その後の『美食グランプリ』で上流階級に取り入り……この国の利権は、すべて我々商会のものに」
「フフフ、頼もしいことだ。国の名誉だの、料理人の威信だのと、馬鹿正直に鍋を振るっている連中を出し抜くのは気分がいい。コンテストなど、所詮は『金と数の暴力』よ」
美食の祭典の裏で、どす黒い票操作と権力の癒着が静かに進行していた。
「へっくしょん!」
宿の厨房で、俺は盛大にくしゃみをした。
「誰かが俺の噂でもしてんのか……まぁいい」
俺の目の前には、大鍋でコトコトと煮込まれているツヤツヤの『小豆』がある。
大判焼きの初日。絶対に外せない王道にして至高のメニュー――『特製・粒あん』の仕込みだ。
「いいか。小豆を煮る時、最初は絶対に砂糖を入れちゃいけない。豆が硬くなるからな。たっぷりの水で柔らかくなるまでじっくり煮て、そこから数回に分けて砂糖を加え、極限まで照りを出していくんだ」
【ナビ:小豆の軟化を確認。糖分の浸透圧による細胞壁の硬化リスクは完全に回避されました。完璧な工程です】
『ピロロロッ。焦らずじっくりと甘みを浸透させる……。マスターの仕事は、どんな時でも丁寧で理にかなっていますね。とても勉強になります』
シロが真面目な声で感心しきりに頷いている。
『ニャアアッ……甘くて香ばしい匂いがたまらないニャ! 早く皮に包んで焼くニャ! ミツトメ!』
クロは待ちきれない様子で鍋の周りをウロウロと歩き回っている。
「よし、仕込みは上々だ。屋台の暖簾を出すぞ!」
国の威信、商会の思惑、そして不正な票操作。
様々な欲望が渦巻く美食都市国家のコンテストに、四十代の設備屋と二柱の神様は、重さ数キロのパイプレンチと特注の『大判焼き器』を引っ提げて、堂々と参戦の狼煙を上げるのだった。
【第98話:完】
収穫: コンテストへのエントリー完了、特製大判焼き器(16連装)の完成。
知識更新: 大判焼き(今川焼き)は、中身を変えるだけで3日間戦い抜ける最強の屋台フォーマットである。そして小豆は柔らかくなるまで砂糖を入れてはいけない。
現在の気分: 祭りの屋台ってのは、売る側も買う側も熱気が大事だ。初日からフルスロットルで焼いていくぜ。




