97話
南の高原都市にチーズチャンプルーの熱狂を残し、俺たちは大陸有数の規模を誇る巨大な商業都市『メルカト』へと到着した。
金と物資が集まるこの町は活気に満ちていたが、冒険者ギルドと商人ギルドの合同会議所では、重苦しい怒号が飛び交っていた。
「だから! 西の街道を塞いでいる『|岩鎧の鈍牛《アーマーブル》』の群れを早くなんとかしてくれ!」
「無茶を言うな! あんな皮が硬くて動きが鈍いだけの魔物、討伐したところで得物の刃こぼれしかしないし、素材も肉も二束三文だ! そんな『不人気なハズレ依頼』に回す予算も冒険者もない! 我々は今、高値で取引される飛竜の討伐に投資を集中させているんだ!」
どうやら、西の主要な交易路に巨大な牛の魔物が居座り、物流が滞っているらしい。
だが、商人たちは目先の派手な利益が出る「飛竜」ばかりに資金を注ぎ込み、地味で討伐報酬も安い「鈍牛」の問題を完全に放置しているようだ。肉も硬すぎてゴムのようであり、市場価格は文字通り「底値」だという。
会議所の様子を眺めていた俺は、深くため息をついた。
「……どこの世界でも、三流の投資家ってのは目の前の派手な利益ばかり追いかけて、本来の価値が隠れている『割安株』を見落とすんだよな」
俺の呟きに、肩に乗っていたシロが首を傾げる。
『ピロロロッ? マスター、ワリヤスカブとはなんですか?』
「俺の前世の言葉さ。いいか、巨額の資産を長期にわたって安定運用している『北の大国の巨大な国家年金基金』のような組織の資産配分を見てみろ。ああいう本当に賢い機関投資家は、一時的な流行りモノには飛びつかず、こういう地味で基礎的条件がしっかりした『割安な不人気銘柄』を底値で拾って、確実に価値を引き出すんだよ」
俺はニヤリと笑い、会議所のカウンターに歩み寄った。
「その『岩鎧の鈍牛』の討伐依頼、底値で俺たちが買い取ろう。……ただし、討伐した牛の肉はすべて俺の好きにさせてもらうぜ」
討伐に向かう前に、俺は市場の片隅で『試作』を開始した。
商人からタダ同然で譲り受けたアーマー・ブルの肉片は、赤身の塊で、指で押しても跳ね返ってくるほど強靭な繊維を持っている。
「ただ焼いただけじゃ、確かにタイヤを噛んでるみたいに硬いだろうな。だが、こいつの『赤身の旨味』という基礎価値は本物だ」
俺は市場の八百屋で大量に買い込んでおいた、香りの強いキノコ――『舞茸』を取り出した。
包丁で舞茸を細かくみじん切りにしてペースト状にし、それに少量の水と油を混ぜる。そして、そのキノコペーストで硬い鈍牛の肉塊を完全に覆い隠し、しばらく放置した。
『ニャ? ミツトメ、肉をキノコに埋めてどうするんだニャ?』
クロが不思議そうに鼻をヒクヒクさせている。
「肉を柔らかくするのは魔法じゃない。『科学』だ。舞茸には、肉の筋繊維を強力に分解するタンパク質分解酵素がたっぷりと含まれているんだよ。こいつに漬け込むことで、どんなに硬い肉でも極上の柔らかさに化けるのさ」
数十分後。
肉の表面についた舞茸ペーストを拭き取り、俺はカセットコンロに火を入れ、スキレットで肉の表面をサッと香ばしく焼き上げた。
「よし、試作品の完成だ。食ってみろ」
切り分けた肉片をクロの口に放り込む。
『……ニャムッ。……ッッ!? ニャンだこれ! あんなにガチガチだった赤身肉が、歯を立てただけでホロホロ崩れるニャ! 噛めば噛むほど、濃厚な牛の血の旨味とキノコの香りが口の中に溢れ出してくるニャァァ!』
「実証実験は完璧だ。さぁ、底値の優良資産を大量に回収しに行くぞ!」
西の街道。
巨大な岩のような装甲を纏った『岩鎧の鈍牛』たちが、のっそりと道を塞いでいた。こちらに気づくと、地鳴りを響かせて猛突進してくる。
「シロ、クロ! 肉の鮮度が落ちないように、頭部だけを狙って動きを止めろ!」
『ピロロロッ! 了解です! 脳天へのピンポイント雷撃!』
『ニャハハ! 足下を凍らせて転ばせてやるニャ!』
シロの雷霆が鈍牛の視界を奪い、クロの氷が巨体の突進をスリップさせる。
バランスを崩して倒れ込んだ鈍牛の装甲の隙間に、俺は身体強化を乗せた特大パイプレンチを深々とねじ込み、『てこの原理』を最大限に効かせて巨体を完全にひっくり返した。
ズドゴォォォォォォンッ!!!
無駄な力は使わず、最小限の力で最大の効果を生む。これぞ設備屋の現場技術と、投資の基本の融合である。
俺たちは瞬く間に街道の群れを無力化し、山のような鈍牛の肉を手に入れたのだった。
その日の夕方。
商業都市の広場に特大の鉄板を設置した俺は、町中の商人や冒険者たちを集め、前代未聞の大試食会を開催していた。
鉄板の上では、舞茸ペーストで徹底的に酵素処理を施された『鈍牛の極厚ステーキ』が、ジュワァァァッという暴力的な音を立てて焼き上げられている。
「仕上げのソースだ!」
俺は、肉を漬け込んでいた『舞茸ペースト』を別の鍋に移し、醤油、おろしニンニク、赤ワイン、そしてたっぷりのバターを加えて煮詰めた。
肉を柔らかくしたキノコは、そのまま極上の『特製ガーリック・オニオンソース』へと姿を変えるのだ。
焼き上がった分厚い赤身肉を皿に乗せ、煮え滾る特製ソースをたっぷりと回しかける。
ジューーーーーッ!! ボワァァァッ!
焦げた醤油とニンニク、そして牛の濃厚な脂の香りが広場を支配し、商人たちがゴクリと生唾を飲み込んだ。
「完成だ! 特製『舞茸漬け込み・岩鎧鈍牛の極厚ステーキ』だ!」
「お、おい……あんなタイヤみたいに硬い肉、食えるわけが……」
疑心暗鬼の商人ギルド長が、ナイフを肉に入れる。
スッ……。
「なっ!? ナイフが、まるでバターを切るように沈んでいくぞ!?」
ギルド長が震える手で極厚の肉を口に運び、咀嚼した瞬間。
「……っっっ!! う、うおおおおおぉぉっ!!」
ギルド長は目を見開き、天を仰いで叫んだ。
「溶ける! あの岩のように硬かった肉が、舌の上でほどけていく! 飛竜の肉なんか目じゃない、圧倒的に力強い『赤身の旨味』! そしてこの……ニンニクとキノコの旨味が凝縮されたソースが、肉の味を何十倍にも引き上げている!」
『ニャアアアッ! 酵素の力、恐るべしニャ! 脂っこくないから、こんな分厚い肉でも無限に食い続けられるニャ!』
『ピロロロッ! 旨味の強い赤身肉と、舞茸のグアニル酸の相乗効果! まさに味覚の黄金比です!』
俺も、熱々の極厚ステーキを切り分け、ワインと一緒に胃袋に流し込む。
「……うんまァァァッ!」
噛むたびに溢れる肉汁と、舞茸の深い香りが脳髄を直接揺さぶってくる。霜降りの肉とは違う、純粋で力強い「肉を食っている」という絶対的な満足感がそこにあった。
試食した商人や冒険者たちは、狂ったようにステーキを貪り食い、広場は熱狂の渦に包まれた。
「……師匠!」
口の周りをソースだらけにした商人ギルド長が、俺の前にひれ伏すようにやってきた。
「我々の目は節穴でした! この『舞茸を使った酵素漬け』の技術……どうか、商人ギルドに伝授していただけないか!? これがあれば、あの鈍牛の肉は、飛竜を超える都市の最高級ブランドに化ける!」
「もちろんそのつもりだ。このレシピを、メルカトの町の新しい安定資産にしてくれ」
俺はワイングラスを片手に、ニヤリと笑った。
「次に俺がこの町を訪れる時、あんたたちがこの割安な不人気銘柄を、どこまで価値の高い特産品に育て上げているか……じっくり見させてもらうぜ」
かくして、見向きもされなかった硬い肉塊は、俺が伝授した『舞茸の酵素処理』という科学的調理法によって、都市の経済を長期的に支える極上の特産品へと生まれ変わった。
神様からの裏依頼である「食文化の底上げ」は、商人たちの熱狂的な笑顔と共にまた一つ大成功を収め、俺たちは満腹の胃袋と確かな手応えを感じながら、次なる町へと旅立っていくのだった。
【第97話:完】
収穫: 商業都市の物流回復、舞茸による酵素処理技術の伝授。
知識更新: 硬い肉は、舞茸のみじん切りに漬け込むことでタンパク質分解酵素が働き、劇的に柔らかくなる。そして市場の底値にこそお宝が眠っている。
現在の気分: 肉を柔らかくしたキノコで作る特製ソース。これがまた、ステーキに信じられないほどよく合うんだよな。




