94話
オーシの町で『すじ煮込み』の大ブームを巻き起こしてから数日。
街道を進む俺たちは、巨大な淡水湖のほとりに広がる美しい漁村『リムネ』へと足を踏み入れていた。
「風が気持ちいいな。……ん? なんだか港の漁師たちが揉めてるぞ」
湖畔に併設された冒険者ギルドの出張所を覗くと、屈強な漁師たちがギルドの職員に詰め寄っていた。
「また網をズタズタにされたんだ! あの『装甲泥蟹』のせいで、肝心の魚が全然獲れねぇ!」
「討伐依頼の報酬を上げろ! あんな硬くて泥臭い化け物、誰も狩りたがらねぇぞ!」
話を聞いてみると、どうやらこの湖には犬ほどの大きさがある巨大な蟹の魔物――『装甲泥蟹』が大量発生しているらしい。
強靭なハサミで漁網を切り裂く厄介者だが、甲羅が石のように硬く、肉も泥臭いため、食用には適さず『ただの害獣』として忌み嫌われているという。
「……なるほど。厄介者扱いされてる硬い蟹ね」
俺は腕を組み、ギルドのカウンターに声をかけた。
「……漁師のあんた、網にかかって駆除したその泥蟹の死骸を、一杯だけでいいから俺に譲ってくれ」
「ん? 構わねぇが……そんな泥臭いもん、どうするんだ?」
「決まってるだろ。食えるかどうか『試作』するんだよ。相手の性質を知らないまま、自信満々で大口の依頼を受けちまうのは、三流のやることだからな」
俺は食堂の女将さんに頼み込み、厨房の片隅を借りて『装甲泥蟹の研究』を開始した。
まずは特大のパイプレンチで硬い甲羅を叩き割り、中の身を取り出す。
そのまま少しだけ火を通して味見をしてみた。
「……ペッ。こりゃダメだ。強烈な泥とヘドロの匂いが身の奥まで染み込んでやがる」
『ニャア……我でもこれは食いたくない匂いだニャ』
だが、これで諦める俺ではない。
「泥臭いなら、徹底的に臭みを抜くまでだ。現地の香草(ネギや生姜の代用品)と、香りの強い果実酒をたっぷり使って『酒蒸し』にしてみるぞ」
蒸し上がった蟹の身をほぐし、再び口に運ぶ。
「……おっ。泥の匂いが完全に消えた。蟹特有の強い甘みと旨味はしっかり残ってるな。だが……」
俺は腕を組んで唸った。
「身の水分が抜けて、食感がパサパサでモソモソしている。茹でたり蒸したりしてそのまま食うには、明らかに不向きな食材だ」
臭みは消せるが、食感が悪い。女将さんが「不味い」と言っていた理由が完全に理解できた。
だが、食材の弱点が分かれば、あとはそれを『技術』で補うだけだ。
「パサパサの肉を美味く食わせる方法。それは、油分たっぷりの『卵』で包み込み、とろみのある『タレ』でコーティングすることだ!」
俺はボウルに大量の卵を割り入れ、先ほどほぐした蟹の身をたっぷりと投入してかき混ぜた。
熱した中華鍋に、親の仇のように多めの油を敷き、そこへ卵を一気に流し込む。
ジュワァァァァァッ!!!
多めの油と超高温の火力で鍋を煽り、卵がフワッ、トロッと半熟状態になった瞬間に火から下ろす。どんぶりに盛った少量の白飯の上に、その蟹玉を乗せた。
続いて『タレ』だ。
現地の醤油に近い調味料、果実酢、砂糖、そして出汁を合わせて火にかけ、最後にデンプン粉で強烈な『とろみ』をつける。
黄金色に輝く、特製の甘酢餡だ。これを熱々の蟹玉にたっぷりと回しかける。
「よし、試作品第一号『特製・黄金の蟹玉丼』だ。女将さん、味見してみてくれ」
怪訝な顔をしていた女将さんが、木のスプーンで蟹玉とご飯を掬い、恐る恐る口に運ぶ。
「……っっっ!! な、なんじゃこりゃあぁぁっ!」
女将さんは目を見開き、スプーンを持ったまま震え上がった。
「泥臭さが一切ない! 卵が信じられないくらいフワッフワで、パサパサだった蟹の身が、卵の油分と混ざって極上の甘みを出してる! このトロトロの甘酸っぱいタレが、全部の味を一つにまとめてご飯に絡みついて……嘘だろ、あの泥蟹がこんなに美味くなるなんて!」
『ニャムッ! フワッ、トロォォッ! 卵のコクと甘酢の爽やかさが無限の食欲を生み出すニャ! 完璧なごちそうだニャァァ!』
クロも試食用の小皿を舐め回すように平らげた。
「……よし。実証実験は完璧だ」
俺は満足げに頷き、厨房を飛び出してギルドのカウンターへと向かった。
「受付! さっきの『装甲泥蟹』の討伐依頼、俺たちが全部引き受ける! 漁師の親父さんたちは、村の卵と白米をありったけ用意して待っててくれ! 大宴会の始まりだぜ!」
湖の浅瀬。
俺の目の前には、ガサガサとハサミを鳴らす十匹以上の装甲泥蟹の群れが立ちはだかっていた。
だが、今の俺の目には、こいつらが『極上の食材の山』にしか見えない。
「シロ、クロ! 甲羅の中身が焦げない程度に動きを止めろ!」
『ピロロロッ! 了解です! 低出力・麻痺の雷撃!』
『ニャアッ! 足下を凍らせてやるニャ!』
シロの微弱な雷が蟹たちを痺れさせ、クロの魔法が脚を湖の氷に縫い付ける。動きが止まったところを、俺が『特大パイプレンチ』のフルスイングで次々と甲羅を叩き割っていく。
素材の美味さを知った職人の仕事は早い。ものの十分で、依頼の群れは全滅した。
その夜、漁村の広場には甘酸っぱい香りが充満し、大歓声が響き渡っていた。
山のように獲れた装甲泥蟹の身を使った『黄金の蟹玉丼』が、漁師たちに次々と振る舞われている。
「美味ぇぇっ! あの憎ったらしい蟹が、こんなに美味い飯に化けるなんて!」
「酸味のあるタレが絶妙だ! どんぶり三杯は軽くいけるぞ!」
大熱狂する村人たちを眺めながら、俺も自分のどんぶりを掻き込んだ。
「……うんまァァァッ!」
油を抱き込んだ卵の圧倒的なフワフワ感と、酒蒸しで旨味だけが残った蟹の身。それらを甘酢餡が優しく、かつ力強くまとめ上げている。
食材の弱点を完璧に把握し、技術でカバーしたからこそ辿り着けた至高の味だ。
「……師匠! この甘酸っぱいタレの配合と、卵の焼き方……どうか、村の食堂に教えてくれないか!?」
女将さんが興奮した様子で駆け寄ってきた。
「もちろんそのつもりだ。この『黄金の蟹玉丼』を、リムネの村の新しい名物にしてくれ」
俺は空になったどんぶりを置き、ニヤリと笑った。
「次に俺がこの村を訪れる時、女将さんがこの甘酢餡にどんな工夫を凝らし、どんな風に進化させているか……楽しみにしてるぜ」
「ええ、任せておくれ! 村の連中総出で泥蟹を獲りまくって、世界一の蟹玉丼を作ってみせるよ!」
かくして、漁網を破る厄介な魔物は、俺の『事前の試作と研究』によって、村に莫大な利益をもたらす極上の特産品へと生まれ変わった。
神様からの裏依頼である「食文化の底上げ」は順調に進行し、四十代のおっさんと神様たちは、次なる未知の食材を求めて、満腹の胃袋と共に新たな町へと旅立っていくのだった。
【第94話:完】
収穫: 事前研究による完璧なレシピ開発、漁村の新たな名物。
知識更新: 未知の食材はまず少量を調理し、弱点(臭みや食感)を把握してから技術で補え。
現在の気分: 自分が残したレシピが、この世界でどう派生していくのか。異世界旅行の最大の楽しみが、また一つ増えたぜ。




