92話
市場の大渋滞を「案内看板のフロー共有」でスマートに解決し、商業ギルドとの繋がりができた俺たちは、ギルドの倉庫街の片隅に滞在させてもらっていた。
だが最近、この倉庫街の夜警たちの間で、とある気味の悪い『都市伝説』がまことしやかに囁かれているという。
「……夜中、壁の中から『パチパチ』という乾いた音が聞こえてくると、見えない幽霊が壁の中から火を放ち、倉庫を丸焼きにしてしまうんだとさ」
短い怪談話のように語り継がれるその噂。
実際、この一ヶ月の間に、火の気がないはずの倉庫の壁が内側から突然焦げ出し、ボヤ騒ぎになる事件が三件も起きているらしい。
「姿なき発火の幽霊か。……ナビ、現場の焦げ跡の成分と、建物の構造をスキャンしろ」
【ナビ:了解。……ボヤが起きた壁の内部には、補強用の『金網』が張られています。また、壁の裏側には魔導照明へ繋がる『魔力線』が走っています】
俺は、黒焦げになった壁の裏側の配線を指先でなぞった。
ケーブルの被覆が、ネズミか何かに齧られてボロボロに剥き出しになっている。
「幽霊でもなんでもない。ただの『漏電』だ」
俺は確信を持って断言した。
「剥き出しになった線から、建物の金網に魔力が漏れ出してる。それが電気抵抗になって熱を持ち、長い時間をかけて周りの木材を炭化させて、最終的に発火するんだ。『パチパチ』って音は、電気がショートして火花が散ってる音だよ」
「ろ、ろうでん? じゃあ、またいつ壁の中から火が出るか分からないってことですか!?」
案内してくれた夜警が顔を青くする。倉庫街の配線は迷路のように複雑で、どこでネズミに線を齧られているかなど、壁をすべて壊さない限り特定できない。
「心配するな。こういう『見えない発火の危険』を監視するための専門の設備がある。俺は前世で、まさにそれを取り扱うための国家資格――『消防設備士・乙種7類』を持っていたからな」
乙種7類。
それは『漏電火災警報器』という、非常にニッチだが火災予防において極めて重要な設備だけを専門に扱う資格だ。まさか異世界の倉庫街でこの知識が火を噴く日が来るとはな。
俺はインベントリから、リング状の魔石と、銅線をいくつか取り出した。
「漏電火災警報器の心臓部は『零相変流器』と呼ばれるリングだ。このリングの中に、電源の『行き』と『帰り』の二本の線を一緒に通す」
俺は倉庫のメイン配電盤を開け、大元の太いケーブルをリング状の魔石の中に通した。
「いいか。正常な状態なら、行きの電流と帰りの電流の量は同じで、プラスマイナス『ゼロ』になる。だが、もし建物のどこかで漏電して電気が外に逃げていると、帰ってくる電流が少なくなってバランスが崩れる。このリングは、その『微かなバランスの崩れ』を磁界の変化として検知するんだ」
リング魔石に小型の受信機を接続し、電源を入れる。
すると数分後。
『ピーーーッ!! ピーーーッ!!』
静かな倉庫街に、鋭い警報音が鳴り響いた。
「ほらな、ビンゴだ。今まさに、この倉庫のどこかで漏電が起きて熱を持ってるぞ」
俺たちは警報機が作動している間に倉庫内を調べ回り、壁の奥で微かに「パチパチ」と火花を散らしている配線の断線箇所をピンポイントで発見した。
すぐに魔力を遮断し、絶縁テープで補修することで、発火寸前だったボヤを未然に防ぐことに成功したのである。
「す、すげぇ……! 壁を壊さなくても、大元の機械だけで漏電を見抜いちまうなんて!」
「乙種7類の知識と技術の賜物さ。この警報機を各倉庫の配電盤に設置しておけば、もう発火の幽霊に怯える必要はないぜ」
発火都市伝説の正体を科学的に暴き、倉庫街を火災の危機から救った俺は、夜警たちから拝むように感謝されたのだった。
その日の夕食。
都市伝説ホラーの解決祝いとして、俺はインベントリからとっておきの食材を取り出していた。
「市場でもらった『豚肩ロースの特大ブロック』の残りだ。こいつを使って、今日はオーブンいらずの極上ローストを作るぞ」
豚肩ロースの塊肉に、塩コショウと、すりおろしたニンニクをたっぷりと擦り込む。
さらにその上から、粒マスタードを肉の表面全体に分厚く塗りたくった。
「ここに、細かく刻んだパセリやバジルなどの『香草』と、細目の『パン粉』、粉チーズ、そしてオリーブオイルを混ぜ合わせたものを、肉全体にギュッと押し付けてコーティングする」
マスタードが接着剤の役割を果たし、豚肉が緑色の美しい衣を纏う。
俺は熱したスキレットに油を敷き、衣が剥がれないように慎重に肉を乗せた。
ジュワァァァァッ!!
香ばしいパン粉の焼ける匂いが立ち昇る。
表面にカリッと焼き色がついたところで、スキレットごと深い『ダッチオーブン』に入れ、蓋をして炭火の上に置いた。
上からも炭を乗せ、全方位からじっくりと熱を加える。
「完成だ。特製『豚肩ロースブロックの香草パン粉焼き』だ!」
ダッチオーブンの蓋を開けると、サクサクに焼き上がった緑色の衣と、肉汁が滲み出た豚ブロックが圧倒的な存在感を放っていた。
包丁を入れると、ザクッという心地よい音と共に、ほんのりピンク色に仕上がったジューシーな断面が顔を出す。
『ニャアアアッ! 香草とチーズの焼けた匂いがたまらないニャ!』
クロがたまらず、分厚いスライスに噛み付く。
『ニャムッ! ……ッッ!? ザクザクッ、ジュワァァァッ! 衣がめちゃくちゃ香ばしいのに、中の豚肉が信じられないくらい柔らかくて甘いニャ! マスタードの酸味が、脂のくどさを完全に消し飛ばしてるニャァァ!』
『ピロロロッ! これぞ完璧な火入れです! 香草の爽やかな香りとパン粉のサクサク感が、噛み締めるごとに溢れる肩ロースの濃厚な旨味を極限まで引き立てています!』
俺も、肉汁が滴る香草焼きを大口で頬張った。
「……っっっ!! うんまァァァッ!!」
サクッとしたパン粉の食感を突破した瞬間、豚肩ロース特有の赤身の旨味と脂の甘みが、怒涛のように押し寄せてくる。
香草の風味とマスタードの軽い刺激が、豚肉を立派な『高級レストランのメインディッシュ』へと昇華させている。
すかさず、夜警からもらった『北の大地の赤ワイン』をグラスに注ぎ、クイッと煽る。
「くぅぅぅっ……! 漏電火災を防いだ後の、熱々の香草焼きと赤ワイン! 胃袋の幸福度がカンストするぜ!」
【ナビ:マスター。乙種7類の知識を応用した漏電火災警報器の作成、完璧でした。香草と豚肉の相乗効果により、疲労回復度も100%です】
壁の中の不気味な都市伝説を、マニアックな消防設備士の知識で鮮やかに解決し、豚肩ロースの圧倒的な旨味に酔いしれる。
四十代のおっさんと神様たちの夜は、サクサクの香草パン粉の心地よい咀嚼音と共に、平和に更けていくのだった。
【第92話:完】
収穫: 倉庫街の安全確保、乙類7類の活躍。
知識更新: 目に見えない壁の中の漏電は「零相変流器」を使った漏電火災警報器で監視する。
現在の気分: 塊肉にマスタードとパン粉をまぶして焼くだけで、どうしてこんなに美味いのか。料理は魔法だ。




