90話
コアドリルで蝶番を完全に破壊された分厚い石扉に、俺は身体強化を全開にした強烈な蹴りを叩き込んだ。
ドゴォォォォォォォンッ!!
数トンの重量を持つ石の扉が、轟音と共に内側へと倒れ込む。
土煙を払って足を踏み入れたそこは、遺跡の最深部――教団が最終儀式を行うための『祭壇の間』だった。
「遅かったな、愚か者め!」
祭壇の中心で、教祖が狂気に満ちた笑い声を上げていた。
周囲には、街で攫われてきた多くの信者たちが倒れ伏している。彼らから強制的に吸い上げられた莫大な負の魔力が、部屋の天井にどす黒い渦を作り出し、今まさに限界点へと達しようとしていた。
「インフラにしがみつく愚かな職人よ! 今こそ、我が呼びかけに応え、暗黒の終末神様が降臨される! 貴様らは永遠の闇に飲み込まれるのだぁぁっ!」
渦巻く瘴気が、空間を歪めていく。
だが、俺が特大パイプレンチを構えようとしたその時だった。
俺の足元で、食後の欠伸をしていたクロが、ヒクヒクと鼻を動かして前に出た。
『……ニャ。なんだ、この不味そうな魔力は。でも、これだけの量があれば、一時的に「アレ」が解けるニャ』
クロが祭壇の前にトコトコと歩み出る。
教祖が鼻で笑った。
「はっ! 怯えた猫が一匹……え?」
ズズズズズズッ……!!
天井で渦巻いていた莫大な闇の魔力が、まるで強力な掃除機に吸い込まれるように、クロの小さな体へと急速に収束していく。
信者たちが何年もかけて集めた召喚用のエネルギーを、クロは文字通り「バッテリー代わり」にして飲み込んでしまったのだ。
『ごちそうさまニャ。……ふぅ。少しだけ、本来の姿で背伸びをさせてもらうぞ』
ゴァァァァァァァァッ!!!
黒猫の輪郭がブレたかと思うと、その小さな体から、空間そのものを塗りつぶすような『絶対の闇』が爆発的に膨張した。
地下遺跡の空間がミシミシと悲鳴を上げる。
そこに顕現したのは、星々の光すら飲み込む深淵のような漆黒の毛並みと、ゆらゆらと揺れる巨大な三本の尻尾を持つ、見上げるほどの巨大な獣――いや、神そのものだった。
その瞳は、万物を冷たく見下ろす金色の月。
「あ……あ……ああっ!!」
教祖が歓喜のあまり涙を流し、その場に平伏した。
「おおおっ! 終末神様! ついに、ついに降臨されたのですね! さぁ、どうかその御力で、私に逆らうこの忌まわしい職人に裁きを!!」
狂信的な叫びが地下遺跡に響き渡る。
だが、顕現した『暗黒の終末神』は、ただ冷たい金色の瞳で教祖を見下ろしただけだった。
『……裁き? 終末? なぜ我がお前のような小物の指図で、そんな疲れることをしなければならないのだ』
神の直接の思念が、遺跡全体をビリビリと震わせる。
『我は今、この四十代のおっさんが作る飯を食い、暖かい場所で昼寝をする生活を最高に気に入っている。お前たちのような騒がしい連中に構っている暇などない』
「え……? は? しゅ、終末神様……?」
教祖の顔から歓喜が消え失せ、絶望と混乱が広がる。
クロは、巨大な前足を一歩踏み出し、虫けらを見るような目で教祖を見据えた。そして、心底どうでもよさそうに、ただ一言、こう告げた。
『――めんどくさい』
パチンッ。
クロが尻尾を一つ鳴らした、次の瞬間。
「えっ――」
教祖の足元の空間が『パカリ』と開き、底なしの漆黒の穴が出現した。
「ぎ、ぎゃあああああああああっ!?」
教祖は何も抵抗する間もなく、光すら存在しない『永遠の闇の世界』へと真っ逆さまに落ちていった。そして、空間は何事もなかったかのようにパチンと閉じる。
後に残されたのは、教祖が消え去った虚無の空間と、気絶している信者たちだけだった。
『……ふぅ。背伸びしすぎたニャ。魔力切れだ』
ポンッ、という軽い音と共に、巨大な終末神は元の小さな黒猫へと戻り、ふらふらと俺の足元に擦り寄ってきた。
『デカい姿になると腹が減るニャ。飯にするニャ』
「……お前、本当に神様だったんだな」
『ピロロロッ。だから最初からそう言っているではありませんか。マスターは疑い深すぎます』
シロが呆れたように羽を揺らす。俺はため息をつきながら、クロの頭を乱暴に撫でた。
「はいはい、お疲れさん。デカい仕事の後は、ガッツリと肉を食うに限るな」
教団の生存者たちを衛兵に引き渡し、街の宿に戻った俺たちは、教団壊滅の祝勝会を始めていた。
「今日は奮発するぞ。インフラを守り抜いた俺たちへのご褒美だ」
俺が取り出したのは、大きく切り分けた『鶏もも肉』だ。
「こいつを、俺の自慢の『ぬか床』に半日ほど漬け込んでおいた。特製『鶏もも肉の極上ぬか漬け唐揚げ』だ」
ぬか床の乳酸菌と塩分が鶏肉の繊維を柔らかくし、アミノ酸の旨味を極限まで引き出している。
表面についたぬかを軽く拭き取り、片栗粉をたっぷりとまぶして、熱した油へ投入した。
ジュワァァァァァッ!!
強烈な揚げ音が響き、鶏の脂と、ほんのりと焦げるぬかの香ばしい匂いが部屋中に充満する。
「ぬか漬けにした肉は焦げやすいからな。油の温度は少し低めで、じっくりと中まで火を通す」
カラリと揚がった唐揚げをバットに引き上げ、最後に高温の油で数秒だけ「二度揚げ」をして衣を極限までサクサクにする。
「完成だ。レモンをたっぷり絞って食え!」
『ニャアアアッ! いただきニャス!』
クロが熱々の唐揚げに噛み付く。
『ニャムッ! ……ッ!? ザクッ、ジュワァァァッ! ニャンだこの柔らかさは! 噛んだ瞬間に肉汁が爆発して、普通の唐揚げの何倍も味が濃いニャ! ぬかの奥深い旨味が、鶏肉を化け物レベルのごちそうに変えてるニャァァ!』
『ピロロロッ! 発酵の力が鶏肉のポテンシャルを限界突破させています! レモンの酸味が、濃厚な肉汁と衣の油を爽やかに洗い流して……無限に食べられそうです!』
俺も、熱々の唐揚げを頬張り、キンキンに冷えたビールで一気に流し込む。
「……っっっ!! うんまァァァッ!」
ザクザクの衣の食感と、細胞の隅々まで旨味が染み渡った鶏もも肉。日本の発酵文化が生み出した究極の唐揚げだ。
教団との激戦の疲れが、圧倒的な美味さとアルコールによって綺麗に吹き飛んでいく。
「……しっかし、あんなデカくて恐ろしい神様が、唐揚げ食って喜んでるんだからな。世の中わからんもんだぜ」
『ニャ? 飯が美味いのが一番の奇跡ニャ。ミツトメの飯が食えなくなる世界なんて、我から先に壊してやるニャ』
クロが口の周りを脂だらけにしながら笑う。
暗黒の終末神を崇めるカルト教団は、本物の終末神の「めんどくさい」という究極の怠惰によってあっけなく崩壊した。
平和を取り戻した北の街の夜は、香ばしい唐揚げの匂いと、一人と二柱の満足げな咀嚼音と共に、平和に更けていくのだった。
【第90話:完】
収穫: カルト教団の完全壊滅、クロの真の姿の確認。
知識更新: 終末神は教祖の狂信よりも、毎日の美味い飯と昼寝を優先する。
現在の気分: ぬか漬けの唐揚げは、人類を平和にする美味さだ。次は魚のぬか漬け揚げも試してみよう。




