89話
無限動力の古代ゴーレムを短絡で鉄くずに変え、俺たちはついに、教祖が待ち受ける祭壇へと続く『最後の前室』へと足を踏み入れた。
だが、部屋の中央まで進んだ瞬間。
背後の分厚い石扉がガコンッ!と重い音を立てて閉ざされ、俺たちは完全に密室に閉じ込められてしまった。
「ヒャハハハッ! よくぞここまで辿り着いた、忌まわしき職人よ!」
前方の祭壇へと続く巨大な扉の奥から、教祖の歪んだ声が響いてくる。
「だが、貴様らの命もここまでだ! 終末の神がもたらす『虚無の息吹』を味わいながら、苦しみ抜いて死ぬがいい!」
教祖の言葉と共に、部屋の天井に設置された巨大な換気扇が、鼓膜を破るような轟音を立てて猛烈に回転し始めた。
「……ッ!? ニャ、ニャンだか息苦しいニャ! 耳がキーンとするぞ!」
『ピロロロッ! マスター、部屋の空気が急激に薄くなっています! このままでは窒息します!』
俺も急いで前方の祭壇の扉に手をかけ、力任せに引いてみた。だが、扉はまるで壁と一体化したかのように、ピクリとも動かない。
魔法のロックか? いや、違う。扉の隙間から、猛烈な勢いで空気が「シューーーッ!」と吸い込まれる音がしているのだ。
「……なるほどな。『虚無の息吹』ね。なんてことはない、ただの『負圧トラップ』だ」
俺は耳抜きをしながら、天井の換気扇を睨みつけた。
「ナビ、この部屋の気圧差を計算しろ」
【ナビ:現在、室内は極端な『負圧』状態です。排気のみが全力で行われ、給気が完全に遮断されています】
前世の気密性の高いマンションで、キッチンの換気扇を「強」で回したまま玄関のドアを開けようとすると、異常に重くて開かないことがあるだろう。あれと同じ原理だ。
部屋の空気を外に出すばかりで、外から空気を入れる穴がないと、部屋の中は真空に近づき、外の気圧に押し潰されて扉は絶対に開かなくなるのだ。
この巨大な扉にかかっている気圧の力は、数百キロ、いや数トンにも及ぶだろう。力ずくで開くはずがない。
「扉が開かないなら、圧力を戻してやればいいだけだ!」
俺はインベントリから特大パイプレンチを取り出し、部屋の隅にある『意図的に鉄板で塞がれた給気口』に向かって全力で叩き込んだ。
ドガァァァァァンッ!!
塞いでいた鉄板が吹き飛んだ瞬間。
ゴバァァァァァァァッ!!
外の新鮮な空気が、凄まじい勢いで部屋の中へと逆流してきた。
気圧が一気に正常に戻り、キーンと痛かった耳の違和感も消え去る。
「ぷはぁっ! 息ができるニャ!」
「ああ。排気と給気のバランスを無視した設計なんて、設備屋から見ればただの欠陥工事だぜ」
俺が祭壇の扉を軽く押すと、先ほどまで数トンの力で押さえつけられていた扉が、あっさりと数センチほど開いた。
「よし、負圧は解除できた。だが……この扉の蝶番、無駄に分厚い超硬度金属でガチガチにロックされてやがるな」
扉自体は動くようになったが、物理的な鍵と巨大な蝶番が邪魔をして、完全には開かない。
「……仕方ない。奥の手、『コアドリル』の出番だ」
俺はインベントリから、コンクリートの壁に丸い穴を開けるための巨大な円筒形の切削機を取り出し、壁にアンカーを打って固定し始めた。
「蝶番の周りの石壁ごと、円形にブチ抜いてやる。セッティングと切削に、だいたい15分ってところだ」
ギュルィィィィィィンッ……!!
コアドリルが重低音を響かせながら分厚い石壁を削り始めたのを確認し、俺はその横にカセットコンロを展開した。
「さて、教団の奴らは『負圧』で俺たちを殺そうとした。だったらこっちは、『正圧』の力で美味い飯を作ってやろうじゃないか」
取り出したのは、密閉して内部の気圧を高めることで、硬い食材を一瞬で柔らかくする魔法の調理器具――『圧力鍋』だ。
「決戦の前に、日本のソウルフードで腹を満たすぞ。特製『絶品もつ煮込み』だ!」
まずは下茹でして臭みを完全に抜いた『豚の白モツ』を、ごま油とニンニク、生姜で香ばしく炒める。
そこに、いちょう切りにした大根、ニンジン、そして手でちぎったコンニャクを放り込む。
味の決め手は、もちろんインベントリで大切に熟成させていた『特製・合わせ味噌』だ。
水と出汁を注ぎ、味噌をたっぷりと溶かし入れ、酒、みりん、少しの砂糖でコクを出す。
「よし、蓋を閉めて加圧開始だ」
圧力鍋の蓋をしっかりとロックし、強火にかける。
数分後。内部の気圧が限界まで高まると、鍋の上のピンが上がり、シュッシュッシュッ! と勢いよく蒸気を吹き出し始めた。
「ここから弱火にして10分。圧力が高いと水の沸点が100度を超えるから、普通の鍋で何時間も煮込むのと同じ効果が、たった十数分で得られるんだ」
ドリルの切削音と、圧力鍋の蒸気の音が、地下遺跡の緊迫した前室に奇妙に響き渡る。
やがて10分が経過し、火を止めて圧力が抜けるのを待つ。
ピンが下がり、安全を確認してから蓋を開けた。
パカッ。
フワァァァァァッ……!!
立ち昇る湯気と共に、味噌とモツの暴力的なまでに濃厚で香ばしい匂いが爆発した。
「完成だ。ネギをたっぷりと散らし、七味唐辛子を振って食え!」
『ニャアアアッ! モツがプルプルしてるニャ!』
クロが小鉢によそわれたもつ煮込みをハフハフと口に運ぶ。
『ニャムッ……! とろけるぅぅぅっ! あんなに硬そうだった腸が、噛む必要がないくらいトロトロだニャ! 濃厚な味噌の味が、中まで完全に染み込んでるニャァァ!』
『ピロロロッ! 圧力の力、恐るべしです! 大根はお箸で触れただけで崩れるほど柔らかく、味噌のコクとモツの旨味の全てを吸い込んでいます! 身体の芯から闘気が湧き上がってきますね!』
俺も、七味を多めに振ったモツと大根を、白飯と一緒に大口で掻き込んだ。
「……っっっ!! うんまァァァッ!!」
ぷるんとしたモツの脂の甘みと、発酵した味噌の奥深い塩気とコク。
圧力鍋によって極限まで短縮・濃縮された旨味が、ネギのシャキシャキ感と七味のピリッとした辛味によって完璧に引き締められている。
まさに、労働の後に食うべき、究極のスタミナ飯だ。
「くぅぅっ……! ドリルの音を聞きながら食う、熱々のもつ煮込み! 設備屋冥利に尽きるぜ!」
【ナビ:マスター。カロリー補給完了。……同時に、コアドリルの切削作業が目標値に到達しました。石扉の蝶番の物理的切断、完了です】
「よし。ごちそうさまだ」
俺は空になった小鉢を置き、口元を拭って立ち上がった。
分厚い石扉の蝶番部分は、コアドリルによって見事な円形にくり抜かれ、完全に強度が失われている。
負圧の罠を換気の知識で突破し、圧力鍋の圧倒的なパワーで至高の『もつ煮込み』を平らげた四十代の設備屋。
漲る活力と、手にした特大パイプレンチ。
「さぁて……。インフラを荒らし回った迷惑な教祖様に、見積もりを出しに行ってやるか」
俺は、蝶番を失ってグラグラになった分厚い石の扉に向かって、身体強化を全開にした強烈な蹴りを放つのだった――。
【第89話:完】
収穫: 負圧トラップの突破、最高のもつ煮込み。
知識更新: 給気がない部屋で換気扇を回すと、ドアは気圧で開かなくなる。そして圧力鍋は人類の偉大な発明である。
現在の気分: もつ煮込みの汁をご飯にぶっかけて食うのは、行儀が悪いが最高に美味い。いざ、祭壇へ。




