9話
翌朝、木々の間から差し込む朝日と、胸の上のずっしりとした重みで俺は目を覚ました。
「……重いぞ、クロ」
『むニャ……。朝か、ミツトメ。腹が減ったぞ。昨日のあの美味い魚を出すがよい』
俺の胸の上で香箱座りをしていた黒猫のクロが、大きなあくびをしながら要求してきた。元・神様にして悪魔の化身は、どうやら朝から食欲旺盛らしい。
俺はシュラフから抜け出し、伸びをしてから答えた。
「悪いが、昨日の野営で手持ちの魔石や素材はあらかた使っちまったんだ。俺の魔法は『等価交換』が原則だからな。新しい素材を手に入れないと、飯は出せない」
『なんと!? つまり、我の朝飯はないということか!?』
「そういうことだ。だから、まずは朝の散歩がてら『仕入れ』に行くぞ」
クロは不満そうに尻尾をパタパタと振ったが、すぐに何かを思いついたように黄金色の目を輝かせた。
『ふはは! ならば我に任せるがよい! 我はこう見えても元神様だからな。魔力の匂いには敏感なのだ。美味い飯のために、極上の素材を見つけてやろう!』
そう言うと、クロはテントを飛び出し、鼻をヒクヒクさせながら森の奥へと歩き出した。
俺も手早くテントとキャンプ道具一式を空間魔法に収納し、クロの後に続く。
「しかし、猫の嗅覚と神様の探知能力の合わせ技か。これは期待できるかもしれないな」
五分ほど森を歩くと、クロがある大木の根元で立ち止まり、前足で地面をポンポンと叩いた。
『ミツトメ、ここだ! この草の根元に、濃厚な魔力の匂いがするぞ!』
俺は基礎知識を起動し、クロが指し示す場所を注視した。
【名称:地潜りキノコ】
種別: 希少菌類
価値: 銀貨3枚相当
詳細: 地中深くで魔力を吸って育つキノコ。滋養強壮の薬効があり、市場では高値で取引される。
効率: 高。
「おお……銀貨三枚分か。手持ちのスコップで掘り出せば……ん?」
俺がインベントリからスコップを取り出そうとした瞬間、頭上からカサカサという不気味な音が聞こえた。
見上げると、大木の枝から、車ほどの大きさがある巨大な蜘蛛が音もなく降りてきているところだった。
【名称:森蜘蛛】
危険度: 中
詳細: 粘着性のある糸で獲物を捕らえる。毒は無いが、糸の強度は鋼に匹敵する。
『むっ、魔物に先を越されていたか! ミツトメ、やれ! 我の朝飯のために!』
「お前は戦わないのかよ……まぁいい」
俺は身体強化の出力を少しだけ上げた。
巨大蜘蛛が威嚇するように前足を振り上げ、口から白い糸の塊を吐き出してくる。鋼の強度を持つというその糸をまともに受ければ、厄介なことになるのは目に見えている。
だが、前職で培った俺の信条は「危険の芽は、物理的に発生源から絶つ」だ。
俺は横にステップを踏んで糸を回避すると同時に、蜘蛛の真下にインベントリの「入り口」を水平に展開した。
「そら、落ちろ」
『ギチィ!?』
全力でスコップを蜘蛛の掴んでいる枝に投げる。
蜘蛛の巨体が、重力に従ってインベントリの虚空へと吸い込まれていく。
だが、完全に収納するわけではない。蜘蛛の頭の部分だけがインベントリに入った瞬間、俺は容赦なく「入り口」を閉じた。
空間の断層がギロチンのように働き、蜘蛛は一瞬にして両断された。
血一滴流すことなく、残された胴体部分がドサリと地面に落ちる。身体強化の手刀すら使わない、極めて事務的でクリーンな処理だ。
『……お、おぉ。汝、魔法の使い方がエグいな』
クロが少し引いたような声を出した。
「現場を汚さないのが一流の仕事さ」
俺は蜘蛛の胴体からソフトボール大の魔石を取り出し、さらにクロが見つけた『地潜りキノコ』を掘り出した。
【収穫報告】
対象: スパイダーの魔石(中級)、地潜りキノコ
総合価値: 金貨1枚相当。現代の高級食材も召喚可能なレベル。
「よし、大漁だ。クロ、お手柄だったな。これで極上の朝飯にしてやる」
『うむ! 苦しゅうないぞ!』
俺たちは少し開けた川辺まで移動し、朝食の準備に取り掛かった。
先ほどの魔石とキノコの一部を対価として捧げ、召喚魔法を発動する。
(呼び出すのは……『直火式ホットサンドメーカー』、『ポータブルガスバーナー』。食材は『食パン』『厚切りベーコン』『とろけるチーズ』『卵』。さらにクロ用に『高級猫缶(まぐろ・かつお節入り)』。俺用には『挽きたてのドリップコーヒー』だ)
眩い光とともに、俺の指定した現代の朝食セットが岩の上に並んだ。
クロはすぐさま猫缶に飛びつき、狂喜乱舞しながらガツガツと食べ始めた。
『ニャムニャム……! なんという柔らかさ! そしてこの魚の旨味の凝縮! 下界にはこんな美味いものがあったのか!』
「それは猫専用の特別食だからな。さて、俺も作るか」
バーナーに火をつけ、食パンにバターを塗る。
その上に厚切りのベーコン、目玉焼き、たっぷりのチーズを乗せ、もう一枚のパンで挟んでホットサンドメーカーを閉じる。
それを直火でじっくりと焼いていく。
数分後。パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきたところで、ホットサンドメーカーを開く。
「……完璧なキツネ色だ」
サクッ、とナイフで半分に切ると、中からトロトロに溶けたチーズと、半熟の卵黄が溢れ出してきた。
淹れたてのドリップコーヒーから漂うほろ苦い香りが、朝の冷たい空気と混ざり合って最高のスパイスになる。
一口かじる。
サクサクのパンの食感に続き、ベーコンの暴力的な旨味とチーズのコクが口いっぱいに広がった。
「……美味い。キャンプの朝は、やっぱりこれに限るな」
熱いコーヒーで喉を潤し、雄大な自然を眺めながら最高の朝食を味わう。
クロも猫缶を綺麗に平らげ、前足で顔を洗いながら満足そうにヒゲを揺らしていた。
『うむ、見事な朝餉であった! ミツトメよ、汝を我の専属料理人に任命してやろう!』
「はいはい、光栄なこった」
俺は食後のコーヒーをゆっくりと飲み干し、道具をインベントリに片付けた。
一人旅の静寂も良かったが、こうして騒がしい相棒と一緒に飯を食うのも、悪くないスパイスだ。
「よし、行くか。次の村まではあと半日くらいだ」
『うむ! 出発だ! ミツトメ、我を運ぶがよい!』
言うが早いか、クロは軽い身のこなしで俺の肩に飛び乗り、器用にバランスを取って丸くなった。
「お前は歩かないのかよ」
『我は怠惰の罪で堕とされた悪魔だぞ? 歩くわけがなかろう』
堂々たるクズ発言に苦笑しながら、俺は西へと続く街道を歩き出した。
五十二歳、元設備管理のおっさんと、怠惰な黒猫の珍道中。
俺の基礎知識に、また新しい「相棒の扱い方」が書き込まれた朝だった。
【第9話:完】
収穫: ホットサンドの満足感、クロの素材探知能力。
知識更新: 猫缶の威力は元神様にも絶大。
現在の気分: 肩が少し重いが、悪くない気分。




