87話
無限に食える塩昆布きゅうりで完璧にクールダウンを済ませた俺たちは、古代遺跡のさらに奥深くへと進んでいた。
だが、その途中で重苦しい石の扉の向こうから、多数の悲鳴と水の流れる激しい音が聞こえてきた。
「助けてくれぇっ!」
「水が、水かさが増してくる……っ! 扉を開けてくれ!」
俺が特大パイプレンチで扉の蝶番を破壊して中に飛び込むと、そこはすり鉢状になった『巨大な地下貯水池』だった。
貯水池の底には、街で攫われてきた数十人の市民たちが閉じ込められており、壁の複数の吐水口から猛烈な勢いで冷たい地下水が注ぎ込まれている。すでに水は彼らの腰の高さまで達していた。
「ヒャハハハ! 終末神様への極上の生け贄だ! 恐怖と冷たい水の中で溺れ死ぬがいい!」
すり鉢の上部にある安全なバルコニーから、教団員たちが下を見下ろしてゲラゲラと笑っている。
「……てめぇら、また避難所の時と同じような胸糞悪い真似を……!」
俺はバルコニーの教団員たちを睨みつけたが、まずは市民の救出が先だ。
「ナビ! ここは元々貯水池なんだろ!? 限界まで水が溜まったら、自動で排水されるポンプがあるはずだ。なぜ動いてない!?」
【ナビ:排水用の古代魔導ポンプは正常に待機状態です。しかし、水位を検知するセンサーが意図的に無効化されています】
「水位センサー……『フロートスイッチ』を弄りやがったな!」
フロートスイッチとは、水に浮く浮き球を利用した単純だが確実なスイッチだ。水かさが増して浮き球が一定の高さまで持ち上がると、自動的に排水ポンプの電源が入る仕組みになっている。
便所のタンクの中で、水が溜まると勝手に水が止まるのと同じ原理だ。
俺は躊躇なく、冷たい水が渦巻く貯水池の底へと飛び込んだ。
「ひぃぃっ! 水が胸まで……!」
パニックになる市民たちをかき分け、俺は壁面に設置された金属製のセンサー保護枠に辿り着いた。
水中を覗き込むと、案の定、ソフトボール大の『浮き球』が、下の方で太いロープでグルグル巻きに縛り付けられていた。これではいくら水が来ても浮き上がらず、ポンプのスイッチが入らない。
「本当に小賢しい真似ばかりしやがって!」
俺はインベントリからナイフを取り出し、浮き球を縛り付けていたロープを一息に切断した。
ポコンッ!
自由になった浮き球が、浮力によって勢いよく水面まで跳ね上がる。
『カチッ』という小気味よいスイッチ音が遺跡に響いた瞬間。
ゴォォォォォォォォォォッ!!!
すり鉢の底にある巨大な排水口が開き、凄まじい轟音と共に、古代の超大型魔導ポンプが作動した。
何トンもの水が、まるで巨大な風呂の栓を抜いたように、一瞬にして渦を巻きながら排水されていく。
「な、なんだと!? なぜ排水ポンプが動いた!?」
バルコニーの教団員たちがパニックに陥る中、水が完全に引いた貯水池の底から、俺は彼らに向かってパイプレンチを構えた。
「シロ、クロ! 上のクズどもを落とせ!」
『ピロロロッ! 了解です! 足場を破壊します!』
『ニャハハ! 震えて眠れニャ!』
シロの雷撃とクロの火炎がバルコニーの支柱を正確に打ち砕き、教団員たちは悲鳴を上げながらすり鉢の底へと転がり落ちてきた。
そこへ俺が歩み寄り、立ち上がろうとした彼らの顔面に、パイプレンチの柄を容赦なく叩き込んで物理的に沈黙させた。
「ゴホッ……ゲホッ……」
「寒ぃ……身体の芯まで冷え切っちまった……」
教団員を縛り上げた後、俺はガタガタと震える市民たちを安全な通路へと誘導した。
冷たい地下水に胸まで浸かっていた彼らの唇は真っ青で、放っておけば低体温症で命に関わる状態だ。
「よし、もう大丈夫だ。焚き火で暖を取りながら、これを食ってくれ」
俺は素早く特大の寸胴鍋を用意し、カセットコンロに火を入れた。
冷え切った身体と恐怖で縮こまった胃袋を救うには、優しくて、カロリーが高くて、とびきり温かいメニューが必要だ。
「特製の『濃厚チキンクリームシチュー』だ」
鍋にたっぷりのバターを溶かし、一口大に切った鶏モモ肉を炒める。表面が白くなったら、玉ねぎ、ニンジン、そしてホクホクのジャガイモを大量に投入する。
玉ねぎが透き通ってきたところで、小麦粉を振り入れて粉っぽさがなくなるまで炒め合わせる(これがとろみの素になる)。
そこに水とチキンブイヨンを加え、野菜が柔らかくなるまで煮込む。
最後に、たっぷりの『牛乳』と『生クリーム』、そして隠し味に少量の『粉チーズ』を加えて、焦がさないように弱火でコトコトと煮立たせた。
「よし、完成だ。パンを浸して、ゆっくり食べてくれ」
俺は温かい木のお椀に、湯気を立てる真っ白なクリームシチューをたっぷりとよそい、市民たちに配って回った。
震える手でお椀を受け取った一人の男性が、一口、シチューを口に含む。
「……あ……ああぁっ……」
男性の目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「美味しい……っ。鶏肉がすっごく柔らかくて……クリームが、甘くて、優しくて……冷たかった身体の奥が、ジンジンと熱くなっていく……っ!」
「ジャガイモがホクホクだ……。死ぬかと思った恐怖が、この温かいスープで溶けていくみたいだよぉ……」
極寒の地下水で死の恐怖を味わった彼らにとって、バターと生クリームの暴力的なまでのコクと、野菜の甘みが溶け込んだ熱々のシチューは、まさに命を繋ぐ特効薬だった。
『ニャアアッ! シチューにとろみがあるから、いつまでも熱々だニャ! パンにクリームをたっぷり乗せて食うと、最高に美味いニャ!』
『ピロロロッ! 乳製品のタンパク質と脂肪分が、冷えた身体を効率よくコーティングして熱を逃がしません。マスターの優しさが詰まった、完璧なレスキュー飯ですね!』
俺も、自分の分のシチューをパンと共に口に運ぶ。
「……ふぅ。美味い」
鶏肉の旨味と牛乳のまろやかさが、荒立った戦闘の緊張感を優しくほぐしてくれる。ブラックペッパーを少し振ると、味が引き締まってさらに美味い。
「ありがとう、職人さん……あんたは俺たちの命の恩人だ……!」
「気にすんな。身体が温まったら、この道をまっすぐ地上に向かって逃げろ。外には衛兵が待機してる」
涙ながらに感謝する市民たちを地上へと見送り、空になった寸胴鍋をインベントリに仕舞い込む。
【ナビ:マスター。民間人の救出および生命維持完了。これより先は教団の最深部。教祖の反応まで、直線距離であとわずかです】
「ああ、いよいよ大詰めだな」
フロートスイッチの構造を熟知していたからこそ防げた水責めの罠。そして、冷え切った人々を心から温めた濃厚クリームシチュー。
四十代の設備屋と二柱の神様は、腹の底から湧き上がる温かな活力を力に変え、カルト教祖が待ち受ける最後の扉へと歩みを進めるのだった。
【第87話:完】
収穫: 生け贄の市民の救出、教団の罠の完全粉砕。
知識更新: 水位で自動運転するポンプには必ずフロートがある。浮きを固定されるとポンプは動かない。
現在の気分: シチューのジャガイモは、少し煮崩れて角が取れたくらいが一番スープに馴染んで美味い。




