81話
北の主要都市『グラキエス』。
分厚い城壁に囲まれたこの巨大な都市は、通常なら地下にある「巨大魔導ボイラー」から各家庭へ温水が循環し、厳しい冬でも快適に過ごせる『集中暖房システム』が完備されているはずだった。
だが、俺たちが街に足を踏み入れた時、都市は異常なまでの寒気に包まれ、人々は毛布にくるまって震え上がっていた。
「……世界は終わりに向かっているのです! 街の熱が奪われたのは、皆さんが傲慢にもインフラに頼りすぎた罰! 今こそ、暗黒の終末神様を崇めなさい!」
広場では、黒いローブをすっぽりと被った『暗黒の終末教団』と名乗る集団が、凍える民衆に向かって大声で布教活動を行っていた。
教団の者たちは、入信を誓った者にだけ「微かな熱を発する魔石」を配っている。寒さに耐えかねた人々が、次々とそれにすがりついていた。
「怪しいな。……ナビ、あの魔石の構造を解析しろ」
【ナビ:単なる使い捨ての低級魔道具です。数時間で熱は消滅します】
「やっぱりな。不安を煽って信者を集める、典型的なマッチポンプの匂いがするぜ」
俺は広場を離れ、街の地下にあるというボイラー室へと向かった。
地下施設では、街の魔法技師たちが真っ青な顔をして巨大なボイラーを囲んでいた。
「だ、ダメだ! ボイラーの魔力炉は正常に燃えているのに、街へ向かう配管に全く温水が流れない!」
「やはり、教団が言うように『終末の呪い』が……っ!」
俺はため息をつきながら、彼らをかき分けて配管の前に立った。
「呪いなわけあるか。ちょっと通してくれ」
四十代の元・設備管理者として、前世で数え切れないほどのボイラー室を見てきた俺の目は、一瞬で「異常」を捉えていた。
「お前ら、魔力炉(熱源)ばかり見て、肝心の『水の流れ』を確認してないだろ」
俺はボイラーから伸びる太い配管の分岐点――そこにある巨大な『メインバルブ』を指差した。
バルブを回すための丸いハンドルが、不自然に根元から叩き折られている。
「よく見ろ。街へ温水を送るメインのバルブが『全閉』の状態にされてる。さらに、ボイラーに直接お湯を戻す『バイパス弁』が全開だ。これじゃ、お湯はボイラーのすぐ傍をグルグル空回りしてるだけで、街には一滴も流れない」
「な、なんだって!?」
「呪いなんかじゃない。誰かが故意にバルブを締め込み、二度と開けられないようにハンドルを破壊した『人為的な破壊工作』だよ。あそこで終末がどうとか喚いてる連中の仕業だろうな」
俺はインベントリから、前世の相棒である大型の『パイプレンチ』を取り出した。
ハンドルの折れた軸の部分をレンチの強力な歯でガッチリと噛み込み、体重をかけて一気に押し下げる。
ギギギギギッ……!
固く締め込まれていたバルブが回り、配管の中に強烈な水圧が解放される音が響き渡った。
「よし、バイパス弁も閉じた。これで街中に温水が回るぞ!」
ゴォォォォォォォォッ!!
配管が小刻みに震え、熱々の温水が猛烈な勢いで都市の隅々へと送り出されていく。
数分もすると、氷室のようだった地下施設も、そして地上の都市全体も、本来のポカポカとした暖かさを取り戻した。
「おおおおっ!! 暖房が直ったぞ!」
「呪いじゃなかった! 旅の職人殿、あんたは街の救世主だ!」
地上で「終末の寒波だ」と煽っていた教団の連中は、街中が突然暖かくなったことで民衆から「なんだ、ただの故障じゃないか」と呆れられ、そそくさと逃げ去っていったらしい。
「さて。冷え切った身体には、やっぱり内側からの熱が必要だな」
宿の暖かい部屋に戻った俺は、カセットコンロを展開した。
今日の食材は、インベントリで大切に保存していた『豚肩ロースの特大ブロック』だ。
「今日はこいつを、大きめの角切りにして煮込む。特製『豚肩ロースの極上ポトフ』だ」
まずはフライパンで、豚肩ロースの表面に焼き色をつけて旨味を閉じ込める。
それを深い鍋に移し、北の大地で手に入れた甘みの強いニンジン、玉ねぎ、そして雪下大根を大きめに切って放り込んだ。
たっぷりの水と、コンソメ代わりの『鶏と昆布の合わせ出汁』、ローリエを一枚入れて火にかける。
「あとは弱火で、肉がホロホロになるまでじっくりコトコト煮込むだけだ」
待つこと一時間半。
蓋を開けると、澄み切った黄金色のスープの中に、野菜の甘みと豚肉の旨味が完璧に溶け出していた。
「よし、完成だ。からしを少しつけて食え」
『ニャアアッ! 部屋も暖かいし、スープも熱々ニャ!』
クロが大きめの豚肉にかぶりつく。
『ニャムッ……! ホロホロッ! 塊肉なのに、スプーンで切れるくらい柔らかいニャ! 豚の甘い脂が、クリアなスープに溶け出してて最高に美味いニャ!』
『ピロロロッ! 根菜が豚の旨味を限界まで吸い込んでいますね。シンプルな味付けだからこそ、素材の持つ暴力的なまでの旨味が際立っています!』
俺も、からしを少しつけた豚肩ロースを頬張り、熱々のスープを木のスプーンで啜った。
「……っっっ!! うんまァァァッ!」
豚肩ロースの赤身の旨味がスープに深いコクを与え、脂身は口の中でとろけて消える。大根やニンジンは、噛まなくても舌の上で崩れるほど柔らかい。
冷えた身体の細胞一つ一つに、熱くて美味いスープが染み渡っていく。
「くぅぅっ……! バルブをこじ開けた後の、熱々のポトフ! 控えめに言って最高だぜ!」
【ナビ:マスター。バルブの不正操作の看破および配管復旧工事、完璧でした。教団の信者獲得率は一気に低下しました】
「ざまあみろだ。インフラを人質に取るようなクズは、設備屋として絶対に許さねぇ」
かくして、街の暖房を物理的に復旧させ、教団の計画を初手から完全に粉砕した俺たち。
ここから始まる暗黒教団との「設備知識VSカルトの陰謀」という奇妙な戦いの幕開けを、熱々のポトフで祝いながら、北の夜は更けていくのだった。
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