80話
落雷の危機を乗り越えたシーガリオン号は、数日の航海を経て、ついに北の大地の玄関口となる港町『ノルド』へと到着した。
「……ぶるっ! さすが北の大地、潮風の冷たさがケタ違いだな」
船を下りた途端に吹き付けた刺すような寒風に、四十代の身体が思わず震え上がる。
「旅の職人殿! 今回の航海では本当に世話になった!」
荷下ろしを終えた船長が、数人の船員たちと一緒に大きな木箱を抱えてやってきた。
「これは俺たちからのほんの礼だ。この北の海で獲れたばかりの丸々と太った『氷海鮭』と、甘みの強い『雪下大根』などの根菜だ。受け取ってくれ!」
木箱の中には、丸太のように太く、美しい銀色に輝く巨大な鮭が横たわっていた。
「こいつは見事な鮭だな。……よし、船長。今まで安全航海を支えてくれたあんたたち船員と、この寒い中で荷下ろしをしてる港の連中を集めてくれ」
俺はインベントリから、大人数の炊き出しに使うような『特大の寸胴鍋』を取り出して、岸壁の広場にドンッと置いた。
「今日は設備の点検はお休みだ。あんたたちに、冷えた身体の芯から温まる『漁師飯』を振る舞ってやるよ」
「おおおっ……! なんだこの、甘くて香ばしい匂いは……!」
夕暮れの港に、これまでに嗅いだことのない強烈な食欲をそそる匂いが漂い始め、船員や港の労働者たちが続々と鍋の周りに集まってきた。
俺が作っているのは、北海道の郷土料理『石狩鍋』を異世界風にアレンジした特製の大鍋だ。
昆布でしっかりと出汁を取ったスープに、ぶつ切りにした氷海鮭、雪下大根、ニンジン、そしてネギをたっぷりと放り込む。
そして味の決め手は、俺がインベントリで大切に熟成させていた『自家製味噌』。
これをたっぷりと溶き入れ、最後に……。
「仕上げだ。ここに『バター』の塊を落とす!」
ジュワァァァァッ……。
熱々の味噌スープの表面で、黄金色のバターがゆっくりと溶け出し、味噌の香ばしさとバターの圧倒的なコクが混ざり合って爆発した。
「さぁ、食え! 特製『鮭と根菜の味噌バター鍋』だ!」
木のお椀にたっぷりとよそわれた熱々の鍋を受け取った男たちは、フーフーと息を吹きかけながら一気にスープを啜った。
「……っっ!? なんじゃこりゃあぁぁっ!」
船長が目を見開き、お椀を持ったまま硬直した。
「この茶色いスープ、ものすごい深みと旨味があるぞ! そこにバターのコクが合わさって、冷え切った胃袋に暴力的なまでに染み渡ってくる……っ!」
「鮭の脂がスープに溶け出してて最高だ! 大根もホロホロで、中まで味が染みっ染みじゃねえか!」
「美味え! どんぶりで三杯はおかわりできるぞ!」
『ニャアアアッ! 鮭の身が分厚くてホクホクだニャ! 味噌とバターの組み合わせを考えた奴は天才ニャ!』
『ピロロロッ! 寒冷地の食材のポテンシャルを、味噌が見事に引き上げています。身体がポカポカと温まりますね!』
寒空の下、百人近い男たちが汗をかきながら笑顔で大鍋を囲む。
自分が作った飯を美味そうに掻き込む現場の連中の顔を見るのは、職人として何よりの喜びだ。
「よしよし、いっぱい食えよ。だが……『スープの底』だけは残しておいてくれよな」
俺は誰にも気づかれないように、ニヤリと口角を上げた。
翌朝。
船員たちも次の航海へ向けて散り、静かになった港の隅で、俺はカセットコンロの上に「昨日の大鍋」を乗せて火にかけていた。
鍋の底には、具材はほとんど残っていない。
だがそこにあるのは、大量の氷海鮭の骨から出たエキス、根菜の甘み、味噌の奥深さ、そしてバターのコクが、一晩かけて極限まで煮詰まり、凝縮された『黄金の泥』のような超濃厚スープだ。
「ここからが『料理人特権』の時間だ。宴の翌日の朝にしか味わえない、至高の残り物処理ってやつだ」
俺は温まったスープの中に、冷やご飯をたっぷりと投入し、汁気を吸わせるようにゆっくりと混ぜ合わせる。ご飯が濃厚な味噌バタースープを限界まで吸い込み、ふっくらと膨らんできたところで……。
「昨日船の料理長からもらった『加熱用シュレッドチーズ』の出番だ」
俺はご飯の表面が見えなくなるほど大量のチーズをドサッと乗せ、蓋をして数分間蒸し焼きにした。
パカッ。
蓋を開けた瞬間、熱気と共に立ち昇る、焦げたチーズと味噌バターの狂おしいまでの香り。
「完成だ。製作者特権・特製『濃厚味噌バター鮭チーズリゾット』!」
スプーンを突き立てて持ち上げると、溶けたチーズがどこまでもビヨォォンと伸びてくる。
火傷に気をつけながら、その熱々の塊を大口を開けて頬張った。
「……っっっ!! うんまァァァァァッ!!」
脳天を突き抜けるような、圧倒的な旨味の暴力。
昨日の鍋のすべての旨味を米が一粒残らず吸収しており、そこにチーズの塩気と圧倒的なコクが覆い被さってくる。
鮭の脂、味噌、バター、チーズ。旨味の足し算どころか、掛け算が口の中で起きている。
『ニャムッ! ……アッフ! 昨日の鍋よりさらに味が濃くなってるニャ! 伸びるチーズが米に絡みついて、飲み込むのがもったいないニャ!』
『ピロロロッ! 宴のあとのスープの再利用……これぞ料理を作った者だけが許される、最高の隠しステージですね!』
「くぅぅっ……! 朝からこんなに重くて美味いもんを食えるなんて、胃袋が元気な証拠だぜ!」
時には設備の故障から離れ、ただ純粋に料理を振る舞い、翌朝にその残り汁で極上の「特権」を味わう。
冷たい北の風も気にならないほど身体の芯から温まった四十代のおっさんは、空になった鍋に満足げなため息をつき、未知なる北の大地へと力強く歩き出すのだった。
【第80話:完】
収穫: 船員たちとの絆、極上の氷海鮭。
知識更新: 鍋の翌日のスープは世界で一番美味い。チーズを入れればそれはもう犯罪的な美味さである。
現在の気分: たまには設備トラブルのない平和な朝もいい。さて、北の大地にはどんな美味い食材が待っているだろうか。




