79話
「……ふふふ。完璧な仕上がりだ」
VIP専用デッキで迎えた爽やかな朝。俺の目の前には、昨日の『極上煮豚』の余ったタレに一晩漬け込んでおいた、漆黒の輝きを放つ卵がいくつか並んでいた。
包丁を入れ、ゆっくりと半分に割る。
その瞬間、タレの色が染み込んだ白身の中から、ゼリー状に輝く黄金色の黄身がトロリと顔を出した。
「完成だ。特製『半熟煮卵』。こいつを炊きたての白飯に乗せて、タレを少し垂らす!」
『ニャアアッ! 昨日の豚の旨味が全部染み込んだ卵ニャ!』
『ピロロロッ! 白身のプリプリ感と、黄身のねっとりとした濃厚さが、白飯と完璧なマリアージュを果たしています! 朝からご飯が止まりません!』
俺も味玉を崩しながら白飯を掻き込む。
「うんまァァァッ!」
黄身の濃厚なコクと、豚の脂が溶け込んだ甘辛い醤油ダレ。これだけで茶碗三杯は軽い。最高の朝食だ。
だが、穏やかな船旅は昼前に突如として終わりを告げた。
北上するシーガリオン号の行く手を遮るように、空が急激に真っ黒な雨雲に覆われ、ゴロゴロと不気味な地鳴りが響き始めたのだ。
「局地的な雷雲だ! 総員、衝撃と落雷に備えろ!」
船長が怒鳴り声を上げ、甲板の船員たちが慌ただしく動き回る。
その時、俺の足元で異変が起きていた。
『ニャ、ニャンだこれ!? 我の毛が、勝手にブワッと膨らんでいくニャ!』
見ると、クロの黒い毛が、静電気を帯びた風船のように真ん丸に逆立っていた。俺の髪の毛も、チリチリと嫌な音を立てて逆立っている。
「……おいおい、尋常じゃない静電気だぞ。船全体がコンデンサみたいに電気を溜め込んじゃってる」
俺は嫌な予感がして、メインマストの頂上に設置されている『避雷魔道具』と、そこから甲板を這って海へと伸びているはずの太い配線に目を向けた。
そして、四十代の元・電気工事士の目が、致命的な欠陥を捉える。
「馬鹿野郎!! 避雷針の『アース線』が、船体の鉄板に繋がってないじゃないか!!」
俺の怒鳴り声に、近くにいた魔法技師がビクッと肩を揺らした。
「ア、アース? なんですかそれは? 先週マストを交換した時、余分な線だと思って切ってしまいましたが……」
「余分な線なわけあるか!!」
俺は血の気を引かせながら、インベントリから極太の銅線(IV線)を取り出して駆け出した。
「いいか! 避雷針ってのは、雷を『引き寄せる』だけの道具だ。引き寄せた莫大な電流を、海に逃がすための『アース』がなきゃ、ただの自殺装置なんだよ!」
雷の逃げ道がなければ、数万アンペアの電流はマストから船内に逆流し、魔力回路を焼き尽くし、最悪の場合は船そのものが爆発する。
【ナビ:マスター、上空の雷雲の電荷が限界値を超えました。落雷まで残り10秒!】
「チィィッ!!」
俺は『身体強化』を全開にして甲板を蹴り、切断されていたマストの配線に極太の銅線を叩き込み、絶縁テープと工具で強引に圧着。そのまま銅線の反対側を、海水に触れている船体の『鉄のフレーム』にボルトで直接打ち込み接地工事完了。
「よし、これで接地抵抗はゼロだ! 全員、耳を塞いで伏せろ!!」
俺が叫んで甲板に身を投げ出した、次の瞬間。
ズドォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
目を焼くような閃光と、鼓膜が破れるほどの轟音が船を包み込んだ。
メインマストの避雷針に直撃した強大な雷は、俺が繋いだアース線を通って一瞬で船体フレームへと誘導され、見事に海へと放電されていった。
「……ふぅ。ギリギリだったな」
焦げた匂いが漂う中、船内の魔力回路も、乗組員たちも、誰一人として傷ついていなかった。
「お、おおおおっ……! 直撃したのに、計器が全部無事だぞ!」
「またしても助けられた……! あの線がなければ、今頃船は木端微塵でした!」
雷雲を抜け、再び穏やかな海を取り戻した午後。
命を救われた船の料理長が、台所から巨大な袋を抱えてVIPルームへやってきた。
「旅の職人殿! お礼と言ってはなんですが、北の大地の特産品である『細切りチーズ』を大量にお持ちしました! どうぞお好きなだけ!」
『ニャアッ! チーズ! 良い匂いがするニャ! いただ食うニャ!』
クロが袋に顔を突っ込もうとした瞬間、俺はクロの首根っこをひょいっと摘み上げた。
「待てクロ。それは『加熱用』のチーズだ。生で食ったら腹を壊すぞ」
『ニャ? なんでニャ? チーズは普通、そのまま食えるだろ? なぜわざわざ【加熱用】なんて指定があるんだニャ?』
「いい質問だ」
俺は袋の裏に書かれた注意書きを指差した。
「こういうスーパーに売っているような細切り(シュレッド)チーズは、細かく裁断する製造工程で、どうしても空気に触れる面積が大きくなる。だから、リステリア菌などの雑菌が繁殖しやすいんだ。衛生上の理由で、中心部までしっかり『加熱(殺菌)』して食べることを前提に売られているんだよ」
(※前世界の知識による)
「なるほど……!」と料理長も感心している。
「それに、こいつは熱を加えた時に一番綺麗に『とろける』ように、複数のチーズがブレンドされてるんだ。生で食うのはもったいない」
俺はカセットコンロを展開し、深い鉄のフライパンを用意した。
昨日の『極上煮豚』の切れ端と、ざく切りにしたキャベツ、玉ねぎを炒め、先ほどの「加熱用チーズ」を雪山のように大量にドサッと乗せる。
そして蓋をして、数分間蒸し焼きにする。
「さぁ、見ろ。これが加熱用チーズの正しい姿だ」
パカッ。
蓋を開けると、先ほどまでパラパラだった細切りチーズが完全にドロドロに溶け、豚肉と野菜の隙間にねっとりと絡みついた『黄金色のマグマ』と化していた。
「完成だ。特製『極濃・煮豚と野菜のチーズタッカルビ風』だ!」
『ニャアアアッ! チーズが滝のように伸びるニャ!』
クロが飛びつき、とろけるチーズを口の周りにくっつけながらハフハフと頬張る。
『ニャムッ……! アッチ! フーッ! 濃厚なチーズのコクが、甘辛い煮豚のタレと野菜の甘みに信じられないくらい合うニャァァ!』
『ピロロロッ! 焦げたチーズの香ばしい匂いが暴力的に食欲を刺激します! とろけたチーズがすべての具材を一つの巨大な旨味の塊にまとめ上げていますね!』
俺も、ビヨォォンと伸びる熱々のチーズと煮豚を絡め、冷えた『炭酸水とレモン(レモンサワー風)』で一気に流し込んだ。
「……っっっ!! うんまァァァッ!」
豚の強烈な旨味と、チーズの圧倒的なコク。それが口の中で爆発し、四十代の胃袋を強烈に満たしていく。チーズはやはり、熱を入れてトロトロにしてこそ至高だ。
「くぅぅっ……! アース不良を直した後の、熱々チーズと酒! 最高だぜ!」
【ナビ:マスター。的確なアース工事による船体の保護、そして食品衛生学に基づいたチーズの加熱調理、どちらも完璧な現場判断でした】
雷という自然の脅威を前世の資格知識でスマートに海へ逃がし、とろけるチーズの幸せな食感に酔いしれる。
船は順調に波を切り裂き、俺たちはいよいよ、新たな出会いが待つ北の大地へと足を踏み入れようとしていた。
【第79話:完】
収穫: 船を雷から守った圧倒的な感謝、大量のシュレッドチーズ。
知識更新: 避雷針には必ず海(大地)へのアース線を繋げ。そして、細切りチーズが「加熱用」なのは、衛生上の理由ととろける美味さのためである。
現在の気分: チーズの焦げた部分は、フライパンにへばりついていても絶対に削り取って食う。それが一番美味いからだ。




