78話
港町ポルトでの休日を満喫した俺たちは、大陸を反時計回りに進むルートに従い、東海岸に沿って北上するため、大型の定期客船『シーガリオン号』に乗り込もうとしていた。
だが、出港の銅鑼が鳴るはずの時間になっても、船は一向に岸壁から離れようとしない。甲板では、船長と魔法技師たちが何やら図面を広げて頭を抱えていた。
「どういうことだ! 出港前の安全点検が終わらないとは!」
「も、申し訳ありません船長! 船内に新設した『自動火災報知魔道具』の制御盤が、ずっと異常を知らせる黄色いランプを点滅させているのです!」
野次馬に混じって制御盤(受信機)を覗き込んだ俺は、その点滅しているランプの文字を見て思わずニヤリとした。
そこには『断線』と書かれていたのだ。
「配線が切れてるんだろ? なら、新しい線に引き直せばいいじゃないか」
船長が怒鳴るが、技師は泣きそうな顔で首を振る。
「それが、端から端まで何度確認しても、線はどこも切れていないんです! 煙を感知するセンサーも全部新品なのに、制御盤だけが『線が切れてるぞ』とエラーを吐き続けていて……原因がサッパリわかりません!」
火災報知設備の『断線エラー』。
その言葉を聞いて、俺の脳裏に、前世で試験日程まで調べて必死に勉強していた『消防設備士4類』のテキストの記憶が鮮やかに蘇ってきた。
「……なぁ、お前ら。もしかして最近、火災センサーの数を増やしたりしなかったか?」
俺が唐突に口を挟むと、技師が驚いて振り返った。
「えっ!? は、はい。先週の改装で、一番奥の部屋にセンサーを一つ追加しましたが……なぜそれを?」
「やっぱりな。原因は線の断線じゃない。『終端抵抗』の付け忘れだ」
俺は驚く技師たちをかき分け、制御盤の前に立った。
「いいか。この手の自動火災報知システムは、線が切れていないかを常に監視するために、微弱な魔力をループさせてるんだ。そのために、一番最後のセンサーの終点には、必ず『終端魔石』って呼ばれる小さな部品を取り付けなきゃいけない。そうしないと、制御盤は『線がどこかで途切れてる』と勘違いするんだよ」
俺は技師の持っていた図面を指差した。
「お前ら、センサーを新しく追加した時、元々一番最後に付いていた『終端魔石』を外し忘れて、回路の途中に残したままにしたか、あるいは捨てちまっただろ?」
「ああっ……! そ、そういえば、古いセンサーを外した時に、小さな石の欠片みたいなものが付いていて……ゴミかと思って捨ててしまいました!」
「それがエラーの原因だ。ただ線を繋ぐだけじゃ、システムは正常に作動しない。末端の処置をキッチリやってこそ、プロの仕事だぜ」
俺はインベントリから、抵抗値の合う小さな魔石を取り出し、船の一番奥にある最新の感知器の配線にササッと組み込んだ。
すると。
ピピッ。
制御盤でけたたましく鳴っていた警告音が止まり、黄色の『断線』ランプが消灯。代わりに、正常を示す緑色のランプが静かに点灯した。
「おおおおっ!! 直った! エラーが消えたぞ!」
「あ、あんた何者なんだ!? 魔法技師の資格も持ってないのに、なぜそんなマニアックなシステムの構造を知ってるんだ!?」
前世の『4類』の試験勉強の知識が、異世界の最新鋭の船を救った瞬間だった。
出港の許可が無事に下り、船長は俺の手を両手で固く握り締めた。
「ありがとう、旅の職人殿! あんたのおかげで船の信用に関わる大遅延を防ぐことができた。今回の航海、あんたたちを特別室に招待させてくれ!」
数時間後。
無事に出港したシーガリオン号は、夕日を背に受けて穏やかな大海原を滑るように北へと進んでいた。
VIP専用の広い後部甲板のテラスを貸し切った俺たちは、潮風に吹かれながら優雅な夕食の準備を始めていた。
「さて、せっかくの優雅な船旅だ。今日は時間をかけて、ガッツリと肉を煮込むとしよう」
俺はインベントリから、美しいサシが入った『豚肩ロースの特大ブロック肉』を取り出した。
「今日はこいつを使って、極上の『煮豚』を作るぞ」
まずはフライパンに油を敷き、強火でブロック肉の表面全体に強烈な焼き色をつける。肉の旨味を閉じ込め、香ばしさを引き出すための重要な工程だ。
ジュワァァァァッ!! という暴力的な音と共に、豚の脂が焼ける匂いが潮風に乗って甲板に広がる。
表面がカリッと焼けたら、深い鍋に移す。
そこに、たっぷりの醤油、酒、みりん、砂糖。さらに、臭み消しと風味づけのための『生姜の薄切り』『潰したニンニク』、そしてネギの青い部分を放り込み、ひたひたになるまで水を足して火にかける。
【ナビ:マスター。理想的な柔らかさを実現するため、鍋内の温度を80度〜90度の間で維持するよう、火力を微調整します】
「頼むぜ。コトコトと、脂がトロトロになるまで約二時間だ」
海に沈む夕日を眺め、冷えたビールをちびちびと飲みながら、鍋から漂ってくる甘じょっぱい醤油と豚肉の香りをツマミにする。この「待つ時間」すらも、煮込み料理の醍醐味だ。
やがて日が完全に落ち、満天の星空が広がる頃。
「よし、完成だ」
鍋の蓋を開けると、飴色に輝き、半分ほどのカサに煮詰まった漆黒のタレの中で、プルプルと震える極上の煮豚が姿を現した。
包丁を入れると、力を入れなくてもスゥッと刃が沈み込んでいく。
分厚くスライスした煮豚を皿に並べ、煮詰まった特製のタレを上からたっぷりと回しかける。横には、ツンと辛い『練り辛子』を添えた。
「待たせたな。肩ロースブロックの絶品煮豚と、炊きたての白飯だ!」
『ニャアアアッ! 肉が震えてるニャ! 飴色に光ってるニャ!』
クロがたまらず肉の塊に噛み付く。
『ニャムッ……! とろけるぅぅぅっ! 噛まなくても、舌の上で豚の脂と甘い醤油の汁がジュワッと溶けてなくなるニャ!』
『ピロロロッ! 表面を焼いてから煮込んだことで、肉の旨味が一切逃げていません! 練り辛子のピリッとした刺激が、濃厚な脂の甘みをさらに引き立てて、白飯を無限に要求してきます!』
シロも羽を震わせながら、煮豚と白飯を交互に啄んでいる。
俺も、辛子を少し乗せた分厚い煮豚を、白飯と一緒に大口で頬張った。
「……っっっ!! うんまァァァッ!」
肩ロース特有の、赤身の肉々しい旨味と、トロリと溶ける脂身の完璧なバランス。
甘辛いタレが細胞の隅々まで染み込んでおり、辛子の刺激が鼻を抜けた直後、圧倒的な多幸感が四十代の脳髄を直撃する。
すかさず、グラスに注いだ『熱燗』をクイッと煽る。
豚の脂と醤油の甘みを、日本酒のふくよかな香りが綺麗に洗い流してくれた。
「くぅぅっ……! 潮風に吹かれながら食う熱々の煮豚と熱燗、最高すぎるだろ!」
出港前の『終端抵抗』というマニアックなトラブルを現場の知識でスパッと解決し、星空の海で極上の煮豚に舌鼓を打つ。
波の音をBGMに、俺たちを乗せた船は、未知の港と美味い飯が待つ北の大地へと、夜の海を静かに進んでいくのだった。
【第78話:完】
収穫: シーガリオン号のVIP待遇、極上煮豚の多幸感。
知識更新: 自動火災報知設備の増設時は、終端抵抗の移設を絶対に忘れるな。
現在の気分: 煮豚の余ったタレは宝物だ。明日の朝は、これで半熟卵を漬け込んで『煮卵』を作ろう。




