77話
港町ポルトに滞在して数日。
見渡す限りの青い海と、頬を撫でる潮風。カモメに似た海鳥たちの鳴き声が、どこかのんびりとした空気を醸し出している。
「……ふぅ。今日は設備の点検も、ややこしいトラブルもない。完全な休日だ」
『ニャア! 海だ! 魚の匂いがするニャ! 早く釣りをするニャ!』
『ピロロロッ。広大な海原ですね。マスター、今日はのんびりといきましょう』
クロに急かされるまま、俺は港の端にある静かな防波堤に腰を下ろした。
インベントリから取り出したのは、前世の記憶と異世界の素材を組み合わせて作った『カーボン製の釣り竿』だ。疑似餌をセットし、青く澄んだ海へと軽くキャストする。
ポチャッ……。
波の音を聞きながら、ただ糸を垂らすだけの贅沢な時間。
四十代の男にとって、現場の喧騒から離れたこういう無心になれる時間は、何よりも得難いデトックスだ。
ココンッ、グググッ!
「おっ、来たぞ!」
手首のスナップを効かせてアワセを入れると、小気味よい引きが竿先を曲げた。
リールを巻き上げ、海面から勢いよく飛び出してきたのは、体長二十センチほどの銀色に輝く魚だった。
【ナビ:スキャン完了。無毒かつ食用に適した魚類です。マスターの記憶にある『マアジ』とほぼ完全に一致する生態構造を持っています】
「やっぱりな。側線にあるこのトゲトゲ……どう見ても立派なアジだ」
『ニャアアッ! ピチピチ跳ねてるニャ! 生で食うか!?』
「いや、獲れたてのアジがこれだけ手に入ったんだ。一番美味い食い方でいくぞ」
俺は次々とアジを釣り上げ、あっという間にバケツ一杯の釣果を得た。
防波堤の少し広い場所にカセットコンロを展開し、早速調理に取り掛かる。
「アジの美味さを極限まで引き出すなら、刺身でも塩焼きでもない。やっぱり『アレ』だ」
まずは包丁を入れ、尻尾の付け根にあるゼイゴを丁寧に削ぎ落とす。頭を落として内臓を出し、腹側から開いて中骨を取り除く『背開き』の処理を施した。
綺麗に開いたアジに軽く塩コショウを振り、小麦粉、溶き卵、そして少し粗めのパン粉をたっぷりとまぶしつける。
「よし。油の温度は170度。高すぎず低すぎず、じっくりと衣を立たせる絶好の温度だ」
ジュワァァァァァッ!!
熱した油の海へ、パン粉を纏ったアジがダイブする。
静かな防波堤に、衣の水分が弾ける暴力的なまでの心地よい音が響き渡り、香ばしい油の匂いが潮風と混ざり合って鼻腔をくすぐった。
きつね色に揚がったところで、網付きのバットに引き上げてしっかりと油を切る。
「完成だ。獲れたてアジの特製『熱々アジフライ』だ!」
横には、千切りキャベツと、ゆで卵や玉ねぎをたっぷり刻んで作った『自家製タルタルソース』、そして『ウスターソース』を添えている。
『ニャアアアッ! 黄金色の魚ニャ! いい匂いすぎるニャ!』
『ピロロロッ! 見事なきつね色! 油の香ばしさがたまりません!』
「熱いうちに食え。まずは何もつけずにそのままだ」
俺は尻尾を指でつまみ、大きな口を開けて熱々のアジフライにガブリと噛み付いた。
サクッ……!!
「……っっっ!! うんまァァァッ!」
噛んだ瞬間、外側の衣が小気味よい音を立てて砕け散る。
そしてその直後、驚くほど肉厚な中の白身が『ふわっと』口の中で優しくほどけていった。
さらに噛み締めると、新鮮なアジ特有の力強い旨味と、上品で甘い脂が『ジワッと』口の中いっぱいに溢れ出してくるのだ。
「すげぇ……衣のサクッ、身のフワッ、旨味のジワッ……この三拍子が完璧すぎる!」
獲れたてだからこそ臭みは一切なく、ただただ純粋な青魚の美味さだけが脳を直撃する。
『ニャムッ! サクフワニャ! この茶色い汁をかけると、衣の油っぽさが消えて、無限に食えるニャァァ!』
『ピロロロッ! 私はこの白いソースです! 卵のコクと玉ねぎのシャキシャキ感が、ふっくらした白身を優しく包み込んで……まさに至福の味わいです!』
俺も二口目は、たっぷりの自家製タルタルソースを乗せて頬張る。
酸味とコクがアジの脂と完璧に融合し、また違った美味さの次元へと引き上げてくれる。
すかさず、インベントリでキンキンに冷やしておいた『缶ビール』のプルタブを開け、一気に喉へ流し込んだ。
「くぅぅぅっ……! アジフライからの冷えたビール! これに勝る休日の昼飯がこの世にあるか!?」
海を眺めながら、自分で釣り上げた新鮮な魚を、その場で熱々のフライにして頬張る。
インフラのトラブルもない、誰にも邪魔されない穏やかな時間。四十代の男の異世界スローライフは、サクふわのアジフライの余韻と共に、どこまでも平和に過ぎていくのだった。
【第77話:完】
収穫: 獲れたてのアジ、完全な休日。
知識更新: 新鮮なアジフライは、衣がサクッ、中がふわっ、旨味がジワッの最強コンボである。
現在の気分: アジフライにはタルタルか、ソースか、はたまた醤油か。この論争に終わりはないが、俺は全部好きだ。




