74話
まだ太陽が顔を出す前。藍色に染まる夜明けの荒野を、俺たちは足音を殺して歩いていた。
村の広場に、これからの自立に必要な作物の種やぬか床(手入れのレシピ付き)、そしていくつかのアドバイスを記した書き置きを残してきた。
(……よし、誰にも気づかれてないな。設備屋の現場の引き上げは、スマートに立つ鳥跡を濁さず、が基本だからな)
誰にも別れを告げず、四十代の男らしくクールに去る。それが一番だ。
そう思って、村の入り口のゲートをくぐり抜けた、その時だった。
「……黙っていくんですか?」
背後から響いた不意の声に、俺の足がピタリと止まった。
振り返らなくてもわかる。眠っていたはずの子供たちのうち、リーダー格の少年をはじめとする『年長組』の数人が、そこに立っていたのだ。
「こんなにお世話になったのに、お別れくらいきちんとさせてくださいよ……」
少年の声は、少しだけ震えていた。
(……ったく。あいつら、いつの間に気配を殺して背後を取れるくらいに成長したんだ。ゴーレムの野郎、優秀な教官になりすぎだろ)
俺はわざとらしく頭を掻き、決して彼らの方へは振り返らずに、前に向かって一歩を踏み出した。
「……やだよ、照れくさい」
そして、背中を向けたまま、ヒラヒラと片手を上げてみせる。
「インフラは整えた。安全管理のルールも教えた。あとはお前らの現場だ、好きにやりな」
俺がそのまま歩みを進めて遠ざかろうとすると、背後から、少年たちの精一杯の、腹の底から絞り出すような大声が響き渡った。
「ありがとうございました!!」
その声に、他の子供たちの声も重なる。
「あなたがいなければ、あなたが手を差し伸べてくれなければ、私たちは、きっと生きていませんでした!」
「あなたがいなければ、私たちは、生きているのもつらい目にあっていたかもしれません!」
「僕らに家族をありがとう。愛を教えてくれてありがとう」
「僕らは、あなたに教わったことを胸に……絶対に、生き抜いてみせます!!」
朝の冷たい空気を震わせる、真っ直ぐで力強い誓いの言葉。
それらが背中に突き刺さった瞬間、俺の視界は急激に歪み、熱いものが込み上げてきた。
(……馬鹿野郎。そんなこと言われたら、もう絶対に振り向けないじゃないか)
四十代のいい大人が、子供たちの前でボロボロと泣き顔を晒すわけにはいかない。
俺はグッと奥歯を噛み締め、溢れそうになる涙を必死に堪えながら、ひたすらに前だけを向いて歩き続けた。このまま、最高にかっこいい大人の背中を見せて立ち去らねば。
そんな俺の足元で、黒い神様が呆れたように尻尾を揺らした。
『……ニャ。強がってるけど、涙で目が潤んでるニャ。前、見えてるのかニャ?』
左肩からは、純白の神様が優しく羽を擦り寄せてくる。
『ピロロロッ。良いではありませんか。マスターの撒いた種が、見事に芽吹いたのです。世の中が、また少し良くなりましたね』
「……あぁ、そうだな。俺の現場監督としての腕も、まだまだ捨てたもんじゃ……」
俺が鼻をすすり、かっこよく空を見上げながら呟いた、その瞬間だった。
【ナビ:マスター。次世代の育成という立派な行いなので、ぜひとも胸を張っていただきたいのですが――】
脳内に響くAIの無機質な、しかしどこか呆れを含んだ声。
【ナビ:その前に、30センチ先の『木の根』につまずいて、感動の別れを台無しにしないでくださいね】
「――っ!?」
俺がハッとして下を向いた瞬間、すでに右足のつま先が、地面から隆起していた太い木の根にガコンッと引っかかっていた。
「おわぁぁっ!?」
ズザザザザッ!!
涙で視界がボヤけていた俺は、見事にバランスを崩し、前のめりにすっ転んで荒野の土を派手に舐めた。
「…………」
「…………ぷっ」
背後から、子供たちの吹き出す声が聞こえた。
「あははははっ! なんだよそれ、最後で台無しじゃないか!」
「おじさん、気をつけてねーっ!」
さっきまでの感動的な空気はどこへやら。子供たちの明るい笑い声が、夜明けの荒野に響き渡る。
「……痛ぇ。ナビ、もっと早く言えよな……」
【ナビ:マスターが『かっこよく立ち去らねば』と自己陶酔の演算にリソースを割いていたため、警告のタイミングを逃しました】
『ニャハハハッ! 泥まみれの顔だニャ! 最高にダサいぞ、ミツトメ!』
『ピロロロッ! マスター、ププッお怪我はありませんか?』
「うるせぇ! これも現場の安全確認のデモンストレーションだ!」
俺は真っ赤になった顔の泥を払い、今度こそ振り返らずに、照れ隠しで足早に歩き出した。
東の空から、真新しい太陽が顔を出し、俺たちの進むべき道を明るく照らし始める。
泣いて、笑って、最後にズッコケて。
それでも確実に、昨日よりも少しだけマシになった世界を背に、四十代のおっさんと神様たちの気ままな旅は、新たな大地へと続いていくのだった。
【第74話:完】
収穫: 子供たちの誓い、土の味。
知識更新: かっこつけて前を見ずに歩くと、木の根につまずく。現場の安全確認は絶対である。
現在の気分: 涙腺が緩くなったのは歳のせいだ。次は絶対に平坦な道を歩こう。




