70話
中央地方の奴隷の首輪を一斉に解除した影響は、瞬く間にこの国全体へと波及した。
首輪の恐怖から解放された最前線の兵士たちは、武器を放り出して一斉に逃亡。兵力を失ったことで北部の戦線は完全に崩壊し、北部軍の指揮官たちが、奴隷部隊を率いて中央地方へと雪崩れ込んできたのだ。
「なぁ、ナビ。大元サーバーからじゃなくて、端末である首輪側からハッキングできないか?」
【ナビ:単純な構造で作りも一緒のようなので可能です。端末にマスターが接触する必要がありますが】
一番近くの奴隷兵を気絶させ、首輪に触る。
「ナビ、どうだ?」
【ナビ:もう終了しました】
一斉に北部奴隷兵たちの首輪が解除される。
「おのれぇぇ! どこの輩か知らんが、我らのシステムを破壊しおって! ここにいる連中を皆殺しにして、再び鎖に繋いでやる!」
土煙を上げて迫り来る数百の北部軍の騎兵たち。
解放されたばかりで武器も持たない旧王都の民衆たちは、恐怖に身を寄せ合って震えていた。
「……やれやれ。現場のトップがポンコツだと、下の連中が暴走して収拾がつかなくなる典型だな」
俺が呆れてため息をついていると、左肩から純白の神様がふわりと空へ舞い上がった。
『マスター。あのような野蛮な者たちが、これ以上無辜の民を蹂躙するのは看過できません。私の雷霆で一掃してもよろしいでしょうか?』
羽から青白い放電をバチバチと漏らしながら、シロが静かな怒りを燃やしている。
「あぁ、任せる。だが、シロ。向かってきている連中も、元はと言えば水を止められて狂ってるだけかもしれないからな。黒焦げにするのはナシだ」
『……と、言いますと?』
「電圧と電流を絞れ。対象の神経網をショートさせて意識だけを刈り取る、低圧の『パルス電流』だ。人間が感電して動けなくなる程度のアンペア数……そうだな、スタンガンと同じ原理の最低出力で広範囲にバラ撒け」
前世の電気工事士としての知識が生み出した、非致死性の制圧指示。
シロは器用に首を傾げた後、ポンッと羽を打った。
『なるほど! 相手を殺害するのではなく、強制的に「気絶」へ移行させる出力調整ですね。お任せください!』
シロが上空で大きく羽を広げると、旧王都の空に真っ黒な雷雲が渦を巻き始めた。
「な、なんだあの鳥は!?」
北部軍が異変に気づいて足を止めた、その瞬間。
『天罰です。……出力最小、広域スタンパルス!』
ピシャァァァァァァァンッ!!
眩い光と共に、無数の細い稲妻が網の目のように降り注いだ。
ドカーン! という爆発ではなく、ジリリリリッ! という嫌な音を立てて、北部軍の兵士や馬たちの身体に青白い電流が駆け巡る。
「ぎ、ぎゃああああ……あ、あれ?」
「し、痺れ、て……身体が、動か……」
バタバタバタッ!!
落雷の直撃を受けた兵士たちは、感電による筋肉の痙攣で全員が一瞬にして気を失い、ただの一人も死者を出すことなく、広場に数百の「気絶の山」が築き上げられた。
「……完璧な出力制御だ。漏電ブレーカーが落ちる一歩手前の、絶妙なラインだったな」
『ピロロロッ! 褒めていただき光栄です!』
『ニャハハ! 雷の鳥の最低出力は、人間にとっては最高の睡眠導入剤ニャ!』
北部軍の残党を無力化した俺たちは、気を失った指揮官たちを縛り上げ、彼らが拠点を構えていたという「北の川の巨大水門」へと急行した。
「あの子供たちがいた南部の村の水を止めていたのは、ここだな」
俺たちは巨大な石造りの水門にたどり着いた。
しかし、その水門の上から川の反対側を見下ろした俺は、思わず眉をひそめた。
「……おい。どういうことだ、これ」
そこにあるはずの豊かな川の水は、一滴もなかった。
川底は完全に干上がり、ひび割れた土がどこまでも続いている。
「水門を閉じて南への水をせき止めていたから、水が来なかったわけじゃないのか……?」
俺が困惑していると、縛り上げられて連行されてきた北部軍の指揮官が、悔しそうに声を張り上げた。
「……そうだ。俺たちだって水不足で死にそうだったんだよ! 南の奴らを脅すために川をせき止めたと吹聴していたが、本当は、もう三ヶ月も前から川の水なんか流れてきていないんだ!」
指揮官の言葉に、俺は額に手を当てた。
「じゃあ、本当の『元栓』はどこにあるんだ?」
「さらに北だ。この小国群のさらに北にある、強大な軍事国家『ゼクア』……。奴らが国境の巨大ダムで、この大陸南東部へ流れる川の水をすべて独占しやがったんだ!」
……下請け業者が配管のバルブを締めていると思ったら、大元の受水槽自体が、親会社に完全に止められていたというオチか。
「権力闘争かと思えば、ただの泥沼の貧困の押し付け合いじゃないか。ふざけやがって」
これでは、俺が南の村に作った『霧取りネット』も、あくまで応急処置にしかならない。
大陸のインフラを私物化し、何万人もの弱者を干上がらせている本当のクズは、さらに北にいるのだ。
俺は干上がった川底を見つめながら、インベントリから水筒を取り出した。
中に入っているのは、水に少しの塩と砂糖を溶かして作った『特製・経口補水液』だ。
「ほら、飲め。お前らも水がなくて限界だったんだろ」
俺が気絶から目覚めた北部軍の兵士たちにそれを配ると、彼らは狂ったようにそれにすがりつき、「甘い……しょっぱい……美味い……っ」と涙を流して飲み干した。
『ニャア……結局、この北の奴らも被害者だったってことかニャ』
『マスター、どうしますか? 私の雷霆で、北の軍事国家のダムを粉砕してきましょうか?』
「……いや。水圧がかかっている巨大ダムをいきなり決壊させたら、下流の街が洪水で全滅する。設備屋として、そんな乱暴な解体工事はできないな」
俺は空になった水筒を仕舞い、北の地平線を睨みつけた。
「行くぞ。直接その『ゼクア』って国に乗り込んで、奴らのインフラ管理の杜撰さを、俺が物理的に指導してやる」
水と命を巡る小国群の悲惨な争いは、さらに北の強大な軍事国家へとその舞台を移そうとしていた。四十代のおっさんのスローライフは、ついに国家規模のインフラ整備工事へと発展していく。
【第70話:完】
収穫: シロの非致死性スタン攻撃の習得、真の元凶の判明。
知識更新: 水が出ない時、末端の蛇口を疑う前に、大元の受水槽を確認せよ。
現在の気分: 経口補水液は命の水だ。そして、水を独占する奴は絶対に許さない。




