62話
新しい国、農業国家『メロヴェ』の豊かな平原を歩く俺たちの耳に、無機質だがどこか誇らしげな声が響いていた。
【ナビ:周辺大気のマナ濃度、安定しています。土壌のpH値は6.5の弱酸性、農業に極めて適した数値です。また、前方2キロ先に大規模な農業集落の熱源反応を多数検知しました】
「サンキュー、ナビ。最近はお前さんに索敵ばっかりさせてたけど、本来の『データ収集・分析機能』はやっぱり超優秀だな。前世の現場にこれがあれば、億単位のコストダウンができたぜ」
俺が褒めると、脳内のシステム音声が少しだけ嬉しそうにトーンを上げた。
【ナビ:マスターの役に立つのが私の存在意義ですから。私の環境スキャンと演算能力は、そこらの魔法使いの探知魔法など足元にも及ばせない精度を誇ります】
『ピロロロッ。ナビ殿も張り切っていますね。私も負けずに上空から偵察を……』
『ニャア! そんなことより早くその集落に行くニャ! 豊かな村なら絶対に美味い飯があるはずニャ!』
クロに急かされるようにして到着したその村は、ガラスの代わりに『透明な板』を屋根に敷き詰めた、|立派な巨大温室《ビニールハウスの魔道具》をいくつも擁する先進的な農業村だった。
だが、村で一番大きな最新型の温室の前で、村長らしき男が頭を抱えて座り込んでいた。
「どうしたんだ、村長さん」
「ああっ、旅のお方……。実は、この最新の温室で育てている特産の『太陽トマト』が、なぜか根元から次々と腐っちまうんだ。日当たりも水やりも完璧なはずなのに、これじゃあ今年の収穫は全滅だ……」
村長に案内されて温室の中に入ると、ムワッとした熱気と、カビ臭いような湿った空気が俺の顔を包んだ。
四十代の元・設備管理者として、温湿度管理の不備は直感でわかる。だが、広大な温室のどこに原因があるのか、目視だけで特定するのは困難だ。
「よし、ナビ。出番だ。この温室内の環境データを徹底的に洗ってくれ」
【ナビ:了解しました。空間内の温度・湿度分布、気流の流れ、および微生物の発生状況の3Dスキャンを開始します。……演算処理中…………完了しました。マスターの視覚に解析データを投影します】
俺の視界に、温室内の空気の流れを示す「青と赤の矢印」が浮かび上がった。
【ナビ:解析結果をご報告します。温室の天井に設置された『換気の魔道具(排気口)』と、壁面の『給気口』の位置関係に致命的な欠陥があります。マスターの知識と照合するならば、これは典型的な『換気のショートサーキット』です】
「ショートサーキット……なるほどな」
俺は視界に映る気流の矢印を見て納得した。
外から入ってきた新鮮な空気が、温室全体を循環する前に、すぐ隣にある排気口に吸い込まれて外へ出てしまっているのだ。
「村長さん。この温室、最近になって給気口の場所を増設したりしなかったか?」
「えっ!? なぜそれを……。はい、もっと風通しを良くしようと思って、排気用の魔道具のすぐ横に、新しい窓を開けたんです」
「それが原因だ。空気ってのは『一番抵抗の少ない近い道』を通る。排気口のすぐ横に給気口を作っちまったせいで、空気がそこだけでUターンして、温室の奥には一切風が届いてない。結果、空気が淀んで湿気が溜まり、カビや腐敗の原因になったんだ」
目に見えない空気の動きを完璧に分析したナビのデータをもとに、俺は設備屋としての指示を出した。
「新しく開けた窓は完全に塞げ。そして、排気口と対角線上の『一番遠い場所』の地窓を開けるんだ。そうすれば、新鮮な空気が温室全体を斜めに横切って流れるようになる」
村長が言われた通りに窓を開け閉めした瞬間。
温室内に滞留していた淀んだ空気が一気に動き出し、心地よい風がトマトの葉を揺らし始めた。
「おおおっ……! ムワッとした空気が抜けていくのがわかる! まるで魔法のように風の道が見えているかのようだ!」
【ナビ:ふふん。私の精密な気流計算と、マスターの現場知識の完全勝利ですね】
原因を特定し、見事に温室を救った俺たちは、村長からお礼として極上の『太陽トマト』と、新鮮な『バジルの葉』を大量に受け取った。
村外れの川原に陣取った俺たちは、手に入れた極上食材で遅めの昼飯を作ることにした。
「美味いトマトとバジル、そして前回手に入れた大量のチーズと小麦粉。これだけ揃ったら、作るものはアレしかない」
俺はインベントリから、土砂崩れの現場で回収した「大量の良質な石材」と「粘土」を取り出した。
「ナビ、ピザを焼くための『石窯』を作りたい。理想的な蓄熱と輻射熱を生み出すドーム形状の計算を頼む」
【ナビ:お任せください。石材の材質と熱伝導率から逆算し、ドームの曲線角度を3Dモデルで構築します。マスター、青いガイドラインに合わせて石を積んでください】
ナビの完璧な設計サポートを受け、四十代のDIYおじさんは手際よく石と粘土を積み上げ、わずか一時間でプロ顔負けの『本格ドーム型石窯』を完成させた。
中に薪をくべ、火を起こして窯の温度を上げていく。
その間に、小麦粉を練って発酵させた生地を薄く丸く伸ばし、太陽トマトを潰して作った濃厚なトマトソースを塗る。その上にちぎったモッツァレラチーズ(代用品)と、新鮮なバジルの葉を散らした。
【ナビ:マスター、石窯の内部温度が450℃に到達しました。理想的な対流が起きています。ピザの投入タイミングとして最適です。計算上の焼き時間は約90秒となります】
「よし、一気に焼き上げるぞ!」
木製のピザピール(巨大なヘラ)に乗せたピザを、石窯の奥へと滑り込ませる。
450℃の超高温。下からの石の熱と、ドーム天井からの強烈な輻射熱が、ピザ生地を一瞬にして焼き上げていく。
「……88、89、90! 今だ!」
窯から取り出したのは、フチがぷっくりと膨れ上がって美しい焦げ目がつき、中央ではトマトソースとチーズがグツグツと沸騰している、完璧な『王道マルゲリータ』だ。
「熱いうちに食え!」
俺がピザカッターで等分に切り分けると、神様たちが勢いよく飛びついた。
『ニャアアッ! アッチ! ハフッ! な、なんだこの生地は! 外側はパリッパリなのに、噛むと中がモチモチしてて小麦の甘い香りが爆発するニャ!』
『ピロロロッ! 太陽トマトの強烈な旨味と酸味を、溶けたチーズのコクが包み込み、最後にバジルの爽やかな香りが鼻を抜けていきます! 完璧な黄金比です!』
俺も、熱々のピザを折りたたむようにして大きな口で頬張った。
「……っっっ!! うんまァァァァッ!」
オーブンでは絶対に作れない、超高温の石窯ならではの香ばしさと食感。トマトのフレッシュな果汁とチーズの油分が混ざり合ったソースが、口の中で暴力的な美味さを主張してくる。
すかさず、インベントリで冷やしておいた『辛口のジンジャーエール』を喉に流し込む。
「くぅぅっ……! ピザと炭酸の組み合わせは、いつだって俺たちを裏切らないぜ!」
ナビの超高度な演算能力を「換気トラブルの解決」と「石窯の設計」という極めて実用的な現場作業にフル活用し、俺たちは最高のピザパーティーを満喫した。
【ナビ:私の演算能力の無駄遣いな気もしますが……マスターの心拍数とエンドルフィン分泌量が最大値を示しているため、最適解と判断します】
「ははは、これからも頼りにしてるぜ、ナビ」
頼れる相棒の存在を改めて実感しつつ、四十代のおっさんのスローライフは、満腹感と共にのんびりと続いていくのだった。
【第62話:完】
収穫: 太陽トマトとバジル、本格石窯(調理道具としてインベントリに収納)。
知識更新: 給気と排気が近すぎるとショートサーキットを起こす。そしてナビの演算能力は、石窯設計において最強である。
現在の気分: 次は照り焼きチキンや、シーフードを乗せたピザも焼いてみたい。石窯、最高。




