6話
山岳地帯での「一人宴会」を終え、数日ぶりに街へ戻ると、冒険者ギルドの空気は以前にも増して騒がしかった。
入り口近くの掲示板に群がる連中を横目に、俺は真っ直ぐ受付へと向かう。
「ミツトメさん! お帰りなさい、無事だったんですね!」
受付嬢のミラさんが、身を乗り出すようにして俺を迎えてくれた。その顔には安堵と、それ以上に何かを言いたげな「含み」がある。現場の勘が、嫌な予感を告げていた。
「ああ、ただいま。少し足を伸ばして山の方まで行ってきたよ。これ、山羊人族からもらった素材の査定を頼めるかな」
俺がインベントリから「百年発酵の山羊チーズ」の欠片と、道中で間引いた魔物の素材を取り出すと、ミラさんの目が点になった。
「……これ、ギルドの資料でしか見たことのない幻のチーズですよ。ミツトメさん、あなたって人は……。ちょっと待ってください、奥の相談室へ行きましょう」
通されたのは、防音の施された個室だった。
「さて、ミツトメさん。単刀直入に言います。ギルド上層部から、あなたのランクを『D』、いえ、特例で『C』まで一気に引き上げる推薦が出ています」
俺は思わず、持っていたお茶を吹き出しそうになった。
「待ってくれ。俺はまだ登録して間もない新人で、ランクは一番下のGだぞ」
「フォレストボアを単独で無傷で狩り、コミュニケーションの難しい山羊人族と信頼を築き、さらには街の魔導具まで修理して回っている……。あなたの『生存能力』と『完遂能力』は、新人の枠を完全に逸脱しているんです」
ミラさんは真剣な表情で身を乗り出す。
「ランクが上がれば、受けられる依頼の報酬も上がります。街の貴族や有力者とのコネクションもできる。どうですか?」
俺は深く椅子にもたれかかり、溜息をついた。
かつての自分なら、この「昇進話」に飛びついたかもしれない。だが、俺は知っている。ランクが上がるということは、それに見合う「責任」を背負わされるということだ。
「……ミラさん。ランクが上がると、街の防衛義務や、ギルドからの強制招集がかかるようになるんだろう?」
「それは……まぁ、Bランク以上になれば、有事の際には動員がかかることもありますが……」
「それだよ。俺は俺の好きな時に、俺の好きな場所へ行き、俺の好きな飯を食う。そのためには、強すぎず、弱すぎず……誰からも注目されない『中庸』の立場が一番いいんだ」
俺の言葉に、ミラさんは困惑したような顔をした。
「でも、もったいないですよ。あなたの実力なら、Bランク、さらにはAランクだって狙えるのに」
「責任」という名の重荷は、前世で十分に背負い、そして潰れかけた。四十五歳にもなって、また同じ轍を踏むつもりはない。
「推薦の話はありがたいが、辞退させてくれ。せめて、強制力のない『E』か、せいぜい『D』の末端で止めておきたい。それが俺の生存戦略なんだ」
結局、押し問答の末、俺のランクは「E」への昇格に留めることで手を打った。これなら、街の門を通る際の通行税が免除され、かつ面倒な義務も発生しない。
相談室を出ると、ロビーの片隅で、照明用の魔導ランプをいじっている職員がいた。チカチカと明滅し、今にも消えそうだ。
「……おい、そこの。それ、接触不良じゃないか?」
俺が声をかけると、若い職員が情けない顔で振り返った。
「そうなんです。魔石の収まりが悪いのか、魔力の導線にノイズが走っているみたいで……」
俺は「基礎知識」を起動し、そのランプを観察した。
【名称:共鳴式魔導ランプ】
状態: 物理振動による魔力同期のズレ。
詳細: 内部のスライド機構が摩耗し、微細な振動が発生。それが魔石の波動を乱している。
対策: 物理的な摩擦の軽減。
魔導具といえど、物理的な「箱」の中に収まっている以上、機械的な摩耗からは逃れられない。俺はインベントリから、召喚したばかりの『速乾性シリコンスプレー』を取り出した。
「いいか、これは俺の故郷の『魔法の潤滑剤』だ。見た目はただの油に見えるが、こいつは金属や樹脂の滑りを良くして、無駄な震えを止める」
俺はランプの継ぎ目にノズルを差し込み、シュッと一吹きした。
現代のシリコン成分は、魔導具の繊細なスライド部分に入り込み、魔力導線に干渉することなく摩擦をゼロに近づける。結果として、魔石を保持する台座の「ガタつき」が消えた。
「……試してみろ」
職員が恐る恐るスイッチを入れる。
すると、ランプは嘘のように安定した柔らかな光を放ち始めた。
「すごい……! 魔力を一切使わずに、こんな簡単に直るなんて!」
「魔法以前の、ただの『建て付け』の問題さ」
礼を言う職員を後に、俺はギルドを出た。
現代のケミカル製品は、魔力そのものには作用しなくても、魔力を運ぶ「器」をメンテナンスするには最適だ。この組み合わせこそが、俺だけの強みになる。
その夜、俺は宿の部屋で、手に入れたチーズの切れ端を眺めていた。
「さて……ランクも上がったことだし、今夜は少し『効率』を考えて召喚するか」
アーカイブを開き、手持ちの素材と召喚したいアイテムの価値を計算する。
【効率チェック】
捧げ物: 百年発酵チーズ(微量)、ボアの魔石。
召喚対象: 『黒ラベル(中瓶)』、『柿の種(わさび味)』、『厚手の綿タオル』。
効率: 非常に良好。素材の希少価値が現代の量産品を圧倒している。
「実行」
淡い光とともに、ベッドの上に重厚なガラス瓶と、小袋が現れる。
俺は召喚したばかりのタオルを水に濡らし、身体強化で少し熱を持たせた首筋に当てる。
「……あぁ、生き返る」
そして、栓抜きでビールを開ける。
トク、トク、トク……とグラスに注ぐ音が、静かな部屋に響く。
一口、喉に流し込む。
「……くぅーっ! やっぱりこれだな。ランクなんてどうでもいい。この一口のために、俺は明日も薬草を摘む」
柿の種のピリッとした辛さをチーズの濃厚な旨味で追いかけ、ビールで流し込む。
四十五歳、異世界冒険者。
俺の旅は、ようやく「自分のペース」というギアが噛み合い始めた。
【第6話:完】
収穫: 冒険者ランクE(自由の切符)、シリコンスプレーの有効性確認。
知識更新: 魔導具の不調の八割は「物理的なガタつき」である。
現在の気分: 昇進を断った後のビールは、前世のどの酒よりも格別。




