58話
ユノセの街の古びた宿屋の露天風呂。
立ち込める湯煙の中、筋骨隆々とした『自称・しがない冒険者』のレオンと、四十代の元・設備管理者の俺は、熱いお湯に肩まで浸かりながら静かに向かい合っていた。
「……ただの冒険者ねぇ」
俺はレオンの身体に刻まれた傷跡と、その無駄のない所作を観察した。
(冒険者特有の荒くれ者の気配がない。姿勢は良すぎるし、傷跡も獣の爪痕というより、人工物によるものが多い。……十中八九、領主が送り込んだ『密偵』か『監査官』の類だろうな)
だが、俺からそれを指摘する野暮な真似はしない。
「俺はただのしがない『設備屋』さ。それで、あんたもあの土砂崩れを疑ってるって?」
レオンはお湯で顔を洗い、声を潜めて頷いた。
「ああ。今の代官であるゴーデンは、着任当初から強引な税の取り立てで悪い噂が絶えなかった。だが、連中は商業ギルドや冒険者ギルドのトップと帳簿を誤魔化し合っていて、領主様が直接監査に入れないよう巧妙に立ち回っている」
「なるほど。だから今回、監査の目をごまかすための『時間稼ぎ』と『資金稼ぎ』を同時に行うため、街道を塞いだというわけか」
「その通りだ。だが、領主様が軍を動かすには、あの土砂崩れが『天災』ではなく『犯罪』であるという確たる物理的証拠が必要なんだ。俺も何度か現場を調べたが、痕跡は見当たらなかった」
レオンが悔しそうに湯面を叩く。
「連中は証拠隠滅のプロを雇っているのか!このままじゃ、泣き寝入りする旅人や街の人間が増えるだけだ」
「……証拠隠滅のプロ、ね」
俺はニヤリと笑った。
「現場の片付けが綺麗すぎると、逆に『どこを掃除したか』が目立つもんだ。山を一つ崩すほどのエネルギーを発生させたなら、必ず『起点』が存在する。俺の目なら、そいつを見つけ出せるかもしれないぞ」
レオンは驚いたように俺の顔を見つめ、やがてフッと口角を上げた。
「……頼もしい職人だ。よし、明日あんたをもう一度あの現場に案内しよう」
「ふぅ、いい湯だった」
風呂から上がった俺とレオンは、宿の裏手にある縁側のようなスペースで涼んでいた。
「レオン。あんた、酒はイケる口か?」
「ああ。だがこの街の酒場は今、どこも代官の息がかかっていて、ぼったくり価格の薄いエールしか出さないぞ」
「心配するな。俺の手持ちの極上のやつを出してやる」
俺はインベントリから、この瞬間のために冷やしておいた『生ビール(中ジョッキ)』と、塩茹でしたばかりの『枝豆』、そして『冷奴(ネギと生姜、削り節乗せ)』を召喚した。
「さぁ、湯上がりにはこいつが一番だ。遠慮なくやってくれ」
レオンは黄金色に輝くビールと、その上に乗った真っ白な泡の層を見て目を丸くした。
「なんだこの冷たさは!? グラスまで凍るように冷えているぞ……!」
「いいから、泡が消えないうちに一気に喉に流し込むんだ」
レオンはジョッキを手に取り、ゴクッ、ゴクッ、と勢いよく喉を鳴らした。
「……ッッッカァァァァァァッ!!」
レオンがジョッキを置き、天を仰いで感嘆の声を漏らす。
「美味い……! なんだこのキレのある苦味と、喉で弾ける爽快な刺激は! 薄汚れたエールとは全く次元が違う! 身体の芯から熱が引いていくようだ!」
「そこで、この緑の豆をサヤから押し出すようにして食ってみろ」
「こうか? ……ッ! 塩気が効いていて、豆の甘みが引き立っている! これを食べると、また炭酸の麦酒が飲みたくなるな!」
さらにレオンは、醤油を垂らした冷奴を口に運ぶ。
「この白い柔らかい食べ物も信じられないくらい美味い! 大豆の風味と、この黒い塩水の相性が完璧だ。……あんた、本当にただの職人なのか?」
『ニャハハ! 我らがミツトメの飯に驚愕するが良いニャ!』
『マスターの提供する食事は、常に完璧な温度とタイミングで計算されていますからね』
縁側の隅で、神様二柱も用意されたマグロの刺身をご機嫌で平らげている。
「ただの職人さ。美味い酒と飯を食うために旅をしてる」
俺は自分のジョッキを傾け、四十代の胃袋に冷たいビールを流し込んだ。風呂上がりのビールと枝豆。これ以上の贅沢がこの世にあるだろうか、いや無い。
「……ふっ、はははは!」
レオンが突然、腹を抱えて笑い出した。
「こんな美味い酒を飲んだのは初めてだ。あんたみたいな得体の知れない旅人が味方にいるなら、代官どもの企みもすぐに暴けそうな気がしてきたぜ」
「おう、任せとけ。明日の夜、奴らの仕掛けた『イカサマ』の証拠を、俺が現場から引っこ抜いてきてやる」
冷たいビールで完全に意気投合した俺たちは、翌日の夜に決行する『土砂崩れ現場・再検証作戦』に向けて、静かに盃を交わすのだった。
【第58話:完】
収穫: レオン(領主の密偵)との強力なコネクション、湯上がりの生ビールと枝豆。
知識更新: 風呂上がりのビールと枝豆の破壊力は、世界を救うための同盟すら一瞬で結ばせる。
現在の気分: 冷奴にミョウガが欲しかったが、異世界には流石になかった。明日の現場検証が楽しみだ。




