57話
ルザス領を抜け、いよいよ隣国との国境を治める『バルバトス辺境伯領』へと足を踏み入れた俺たちは、想定外のトラブルに足を止められていた。
「……完全に道が塞がっているな」
目の前には、崩れ落ちた大量の土砂と巨大な岩が山積みになり、国境の街へと続く主要な街道を完全に分断していた。
『マスター、これは酷い有様です。自然の力は恐ろしいですね』
シロが上空から偵察して戻ってくるが、俺の目は土砂が崩れた山肌の断面に釘付けになっていた。
前世で土木工事を何度も見てきた四十代の設備屋の勘が、強烈な警鐘を鳴らしているのだ。
「いや……ナビ、最近この辺りで大雨や地震はあったか?」
【ナビ:やはりお気づきになりますか。ここ数日は晴天で地震の類は発生していません。】
「だとしたら、おかしい。これだけの斜面崩壊が起きる前兆がなさすぎる。それに、あの崩れ落ちている岩の割れ目を見てみろ。自然に割れたにしては鋭角すぎる。まるで、岩の内部から強烈な衝撃(爆発)を加えて無理やり砕いたみたいだ」
『ニャ? 誰かが魔法で山を吹き飛ばしたと言うのか?』
「わからない。火薬の匂いも導火線の跡もないから、証拠は何もないが……『不自然なくらい綺麗に片付けられている』気がするんだよな」
だが、素人がいくら睨んでも道が開くわけではない。
仕方なく俺たちは街道を少し戻り、迂回路の先にあるという温泉街『ユノセ』へと向かうことにした。
ユノセの街は、かつては湯治客で賑わっていたそうだが、最近は街道を急ぐ旅人に素通りされてすっかり寂れていた……はずだった。
しかし、現在のユノセは、土砂崩れで足止めを食らった商人や旅人たちで異常なほどの「大混雑」を引き起こしていた。
「なんだ、この物価の高さは!」
「足止めされてる間に、宿代が普段の五倍だと!? ぼったくりもいい加減にしろ!」
街のあちこちで、旅人たちの怒号が飛び交っている。
俺たちは喧騒を避け、街の裏手にある古びた小さな宿屋にやってきた。そこの老女将が、路地裏で途方に暮れて泣いていたからだ。
「どうしたんだ、女将さん」
「お、お客人……実は、ウチの温泉の管が詰まってお湯が出なくなっちまったんだ。商業ギルドに修理を頼もうにも、最近はとんでもない額の『特別手数料』を要求されるようになって……これじゃあ商売あがったりだよ」
俺はため息をつき、源泉から引かれている竹と鉄を組み合わせた配管を調べた。
「ただの温泉のミネラル成分の詰まりだ。一瞬で抜いてやる」
俺が周囲の目を盗み、インベントリの極小空間切断で詰まりだけを取り除くと、ゴボァッ! と勢いよく熱い温泉が湧き出した。
「お、おおお! 恩人様! おかげで助かりました!」
女将さんはお礼にと、宿の裏の静かな露天風呂を使わせてくれ、さらに夕食の用意までしてくれるという。
「それにしても、この街はどうなってるんだ? 物価も異常だし、ギルドの態度もおかしいぞ」
俺が尋ねると、女将さんは周囲を気にしながら小声で話し始めた。
「……ウチみたいな末端の宿には詳しいことはわかりませんが、最近赴任してきた新しい代官様になってから、税の取り立てが異常に厳しいんです。それに……今回の土砂崩れも、なんだかおかしいと噂になってまして」
「おかしい?」
「はい。土砂崩れが起きた直後なのに、冒険者ギルドや商業ギルドの連中が、まるで『準備していたかのように』素早く関所を作り、足止めされた旅人から法外な滞在費や場所代を取り立て始めたんです。……まるで、こうなることがわかっていたみたいに」
「……なるほどな」
俺の脳内で、現場の違和感と女将の噂話が一本の線で繋がり始めていた。
だが、確たる証拠は何一つない。
その夜。
俺は女将さんが作ってくれた特製の『温泉卵』に、手持ちの醤油を少し垂らして口に運んだ。
濃厚な黄身と醤油の旨味が、疲れた身体に染み渡る。さらに、自分のぬか床から取り出したキュウリのぬか漬けをポリッと齧り、英気を養う。
「ふぅ……いい湯だ」
その後、俺は誰もいないはずの露天風呂に肩まで浸かり、夜空を見上げていた。
「あの土砂崩れが、旅人から金を巻き上げるための『人工的なもの』だとしたら、代官とギルドのトップがグルになっている可能性が高い。……見事なマッチポンプだが、証拠がなきゃどうしようもないな」
四十代の元・設備管理者の独り言が、湯煙の中に溶けていく。
その時だった。
「……あんた、ただの旅人にしては随分と鋭いな」
「!?」
俺が驚いて振り返ると、岩風呂の死角になっていた湯煙の奥から、筋骨隆々とした一人の男が立ち上がった。
顔には歴戦の傷跡があり、鋭い眼光を放っているが、その佇まいには不思議な気品があった。
「驚かせてすまない。俺はレオン。しがない冒険者さ」
男はそう名乗ると、お湯をすくい上げて口元を拭った。
「あんたが山道で土砂崩れの断面を調べていたのを見ていた。……俺も、あの崩落には『人の手』が入っていると睨んでいる。だが、あんたの言う通り、奴らは尻尾を掴ませない」
どうやらこの街には、俺以外にも事態の裏を嗅ぎ回っている者がいるらしい。
四十代のおっさんの気ままなスローライフは、思いがけず国境の街を揺るがす汚職事件の渦中へと巻き込まれようとしていた。
【第57話:完】
収穫: 貸し切りの露天風呂、極上の温泉卵。
知識更新: 不自然な現場の片付けは、逆にプロの目を引きつける。
現在の気分: 温泉の配管詰まりは直せたが、街のしがらみは配管以上にドロドロに詰まっていそうだ。




