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おっさんは異世界を気ままに一人旅することに決めました  作者: おのののののの


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56話

 農業街ルンバを出発して数日。

 街道沿いの木陰で野営の朝を迎えた俺は、日課となった「ある作業」に没頭していた。


「よしよし、いい感じに発酵してきたな」

 俺はインベントリから素焼きの壺を取り出し、腕まくりをしてぬか床を底からひっくり返すようにかき混ぜる。


『……ニャ。また朝からその臭い泥遊びをしてるニャ。ミツトメ、少し離れるニャ』

『マスター、神聖な朝の空気が、その()えたような発酵臭で汚染されてしまいます……』

 クロとシロが、俺から数メートル離れた風上で露骨に顔をしかめている。


「お前らなぁ、この匂いがわからないとはまだまだお子ちゃまだな。……ほら、見てみろ」

 俺はぬかの中から、昨日漬けておいた現地の野菜『白イボキュウリ』と『赤カブ』を取り出した。水で綺麗に洗い流すと、鮮やかな緑と赤が瑞々しく光っている。


 包丁で切ると、スッと刃が入る心地よい感触。

 一切れ口に放り込むと、ポリッ! という軽快な音と共に、程よい酸味と強烈な旨味が口いっぱいに広がった。


「……美味い。野菜の水分が抜け、代わりに乳酸菌の酸味と昆布の旨味が中まで完全に染み込んでいる。完璧な『ぬか漬け』だ」

 四十代のおっさんの胃袋には、このさっぱりとした塩気と酸味がたまらない。


 だが、神様二柱はまだ「臭い泥から出てきた食べ物」という偏見から抜け出せず、プイッと顔を背けてしまった。

「まぁいいさ。お前らも後で絶対に手のひらを返すことになるからな」

 俺はぬか漬けをタッパーにしまい、再び旅の空の下を歩き出した。


 昼下がり。街道沿いに流れる大きな川に差し掛かったところで、前方から耳を(つんざ)くような凄まじい異音が聞こえてきた。


「ギィィィィィィィィッ!! キィィィィィィィィィン!!」


「うわっ、なんだ!?」

 金属と木が激しく擦れ合うような、黒板を爪で引っ掻く音を百倍にしたような不快な高音が、川沿いの水車小屋から鳴り響いている。

 小屋の前では、粉まみれの男(粉挽き屋の親父)が耳を塞いでうずくまっていた。


「どうした親父さん! 大丈夫か!?」

「あ、あんた旅人か! 近づくんじゃねぇ! この水車小屋は『悲鳴の悪霊(バンシー)』に取り憑かれちまったんだ! 回るたびに恐ろしい悲鳴を上げて、最後にはピタッと止まっちまうんだよ!」


 親父の言葉に、俺は水車小屋の心臓部……川の水を切って回る巨大な水車の『中心軸(車軸)』を見上げた。


「……悲鳴の悪霊ねぇ」

 四十代の元・設備管理者は、その音を聞いた瞬間にすべてを理解していた。

(なんだ、ただの『軸受けの潤滑不良(グリス切れ)』じゃないか)


 前世の工場や機械設備でも、ベアリング(軸受け)の油が切れると、これと全く同じ「キィィィン!」という恐ろしい金属音(異音)が鳴るのだ。そして摩擦熱で膨張し、最後には焼き付いて動かなくなる。


「親父さん、悪霊の(はら)い方は俺が知ってる。ちょっと見ててくれ」


 俺はインベントリから、昨日オークの肉から切り取って保存しておいた『生の豚脂(ラード)』の塊を取り出した。

 そして水車の軸受け(太い丸太を支える窪み)に近づき、木と木が激しく擦れ合って熱を持っている部分に、その脂の塊をたっぷりと塗り込んだ。


 摩擦熱で豚脂がジュワッと溶け、液状になって隙間の奥深くまで浸透していく。


 スゥゥゥゥン……。


 その瞬間。あれほど村中に響き渡っていた恐ろしい悲鳴が嘘のように消え去った。

 油という潤滑膜を得た巨大な水車は、ただ「ザバァァ、ザバァァ」という心地よい水音だけを立てて、力強く、そして滑らかに回転し始めたのだ。


「ひ、悲鳴が止まった!? 悪霊が消えたぞぉぉっ!」

 粉挽き屋の親父が腰を抜かしながら歓喜の声を上げた。


「ただの油切れだよ。木同士が強く擦れ合って悲鳴を上げてただけだ。定期的に動物の脂か油を塗ってやらないと、摩擦で火が出るぞ」

「そ、そうだったのか……! あんた、ただの旅人じゃねぇな! 最高の魔祓(まばら)い師だ! 礼に、今朝挽きたての『小麦粉』と、裏の畑で採れた『キャベツ』を持ってってくれ!」


 そんなわけで、新鮮な小麦粉と野菜を手に入れた俺たちは、川原の平らな場所で遅めの昼飯にすることにした。


「極上の小麦粉、新鮮なキャベツ、そしてオークの豚肉(昨日の残り)。この三つが揃ったら、作るものはアレしかないよな」

 俺はボウルに小麦粉と水、召喚した山芋のすりおろしと卵を入れて生地を作る。そこに、粗みじんにしたキャベツをこれでもかと大量に投入し、空気をふくませるようにザックリと混ぜ合わせた。


「よし、鉄板の出番だ」

 熱した鉄板に生地を丸く広げ、その上に薄切りにしたオークの豚肉を隙間なく敷き詰める。

 ジューッ! と豚の脂が溶け出し、生地の底をカリッと焼き上げていく。タイミングを見計らって、コテで一気に引っくり返した。


「さぁ、ここからが現代の錬金術だ」

(呼び出すのは……フルーティーな甘みと酸味が奇跡の融合を果たした『オタフクお好みソース』! そして『キューピーマヨネーズ』『青のり』『かつお節』だ!)


 焼き上がった分厚い生地の上に、濃厚なソースをハケでたっぷりと塗る。鉄板に落ちたソースが焦げて、暴力的な匂いが川原に爆発した。

 マヨネーズで美しい網目模様を描き、青のりを振り、最後にかつお節を乗せる。


 熱気でかつお節がユラユラと踊るのを見て、神様たちが目を丸くした。

『ニャッ!? ミツトメ、この上の木の屑みたいなのが生きてるぞ! 踊ってるニャ!』

『ピロロロッ! これが日本のソウルフード……『オコノミヤキ』ですか! なんという芸術的かつジャンクな香り!』


「さぁ、食ってみろ。熱いから気をつけろよ」


 クロとシロが、小さく切ったお好み焼きを口に運ぶ。

『ニャ、ニャムッ……! ハフハフ! あちっ! でも美味いニャァァ! 外の豚肉はカリカリなのに、中のキャベツはフワフワで甘い! そしてこの濃いソースとマヨネーズの魔力!』

『素晴らしい! 生地の中にキャベツの水分が閉じ込められており、蒸し焼き状態になっています! これは見事な粉と野菜のオーケストラです!』


「だろ?」

 俺もコテから直接、熱々のお好み焼きを頬張った。

 口の中を火傷しそうになりながらも、ソースの強烈な旨味を冷たい『炭酸水』で流し込む。最高だ。


 だが、お好み焼きの弱点は「味が濃くて脂っこい」ことだ。後半になると、四十代の胃袋にはどうしても重く感じてくる。


「……そこで、こいつの出番ってわけだ」

 俺は朝に仕込んでおいた、よく冷えた『キュウリと赤カブのぬか漬け』のタッパーを開けた。


『ニャ!? その臭い泥の野菜! 我は騙されないぞ!』

「騙されたと思って一口食ってみろ。今のお前らには、絶対にこれが必要なはずだ」


 クロは恐る恐る、キュウリのぬか漬けを前歯で(かじ)った。

 ポリッ。


『……ニャ?』

 クロの三本の尻尾が、ピクッと反応した。

『……ニャムニャム。ポリポリ。……ッッッ!?』


『どうしましたクロ? ……私も一口。……ピロロロロッ!?』


 二柱の神様は、目を真ん丸に見開いてお互いの顔を見合わせた。

『な、なんニャこの爽やかな酸味は! 口の中にへばりついていたソースと豚の脂が、この野菜の酸味と旨味で綺麗サッパリ洗い流されていくニャ!』

『あんな異臭のする泥に埋まっていたのに、味は驚くほど上品で奥深い! これを食べた瞬間、またあの濃いお好み焼きが食べたくなってきました!』


「ははは! だから言ったろ。濃い味付けの料理と、さっぱりとしたぬか漬け。この二つが揃って初めて、日本の食卓は無限の永久機関になるんだよ」


 お好み焼きのソースの重さを、ぬか漬けの酸味と塩気がリセットし、再びソースを求める。

 四十代のおっさんの計算し尽くされた「味覚のループ」に、神様たちは完全に絡め取られていた。


 悲鳴の悪霊(ただの油切れ)を退治した川原で、粉挽き屋の水車の心地よい音を聞きながら、俺たちは極上の粉もんと漬物の無限ループを日が暮れるまで堪能するのだった。


【第56話:完】

 収穫: 極上小麦粉と巨大キャベツ、お好み焼きとぬか漬けの永久機関。

 知識更新: 軸受けのグリス切れは、時に悪霊の悲鳴より恐ろしい音を立てる。

 現在の気分: ぬか漬けの美味さがわかるようになってからが、大人の男の本当のスタートだ。

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