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おっさんは異世界を気ままに一人旅することに決めました  作者: おのののののの


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55話

 南東の街道を進む俺たちは、豊かな穀倉地帯の中継地点である『農業街ルンバ』に到着していた。

 だが、街の顔とも言える巨大な共同倉庫の前に人だかりができており、何やら不穏な空気が漂っている。


「どうしたんだ、騒がしいな」

『マスター、あちらの倉庫の壁……黒く焦げています。火事があったようです』

 シロの言う通り、石と木で造られた倉庫の側面が派手に焦げ、周囲にはまだ焦げ臭い匂いが残っていた。


「おのれぇ……また『火の悪霊』の仕業だ! 魔道具の火を落としていたのに、勝手に火が噴き出すなんて呪いとしか思えん!」

 街のまとめ役らしい初老の男が、頭を抱えて嘆いている。


 その言葉に、四十代の元・設備管理者のレーダーがピクリと反応した。

「……火の気がないのに発火した? ちょっと現場を見せてくれないか」


 俺が焦げた壁の裏側(倉庫内部)を調べさせてもらうと、そこには温度を一定に保つための『魔力送風機』が設置されていた。動力源である大型魔石からは、魔力を通すための金属線(ケーブル)が伸びている。


「なるほど、悪霊の正体がわかったぞ」

 俺は薄暗い倉庫の隅を指差した。

「あれを見ろ。金属線の被膜がネズミか何かに齧られて剥き出しになってる。しかも、そのすぐ下には湿った木くずと埃が山盛りだ」


「それがどうしたって言うんだ? 魔石は外してあったんだぞ?」


「魔石を外しても、線の中には残留魔力が溜まってるんだよ」

 俺は前世で取得した『電気工事士』と『消防設備士(漏電火災警報器)』の知識を、この異世界の物理法則に翻訳して説明した。


「これは『魔力漏電』……さらに言えば『トラッキング現象』による発火だ。剥き出しの線に湿気と埃がくっつくと、そこに微弱な魔力(電気)の通り道ができる。それがジワジワと熱を持ち、ある日突然、火花を散らして発火するんだ」


『なるほど! 私の雷霆(らいてい)が、水気のある場所に勝手に誘導されてしまうのと同じ理屈ですね!』

 雷を操るシロが、ポンッと羽を打って納得する。


「その通りだ。原因は呪いでも悪霊でもない。ただの『配線のメンテナンス不足』と『清掃不良』だ」


 俺はインベントリから絶縁体となるゴム状の樹液を取り出し、剥き出しの配線をしっかりと保護した。さらに、線に意図的なたるみ(水滴が落ちるトラップ)を作り、水気が端子へ向かわないよう現場の安全対策を完璧に施した。


「す、すげぇ……! あんた、魔法技師だったのか! これで夜も安心して眠れる! 恩人よ、大したものはねぇが、これを持って行ってくれ!」


 原因が物理的なものだとわかり、安心した街の男たちは、お礼として特産品の『フォレストオークの肩ロースブロック(超巨大)』と、精米所で出た新鮮な『穀物の削りカス((ぬか))』を大量に持たせてくれた。


 その日の夜。宿の厨房を借りた俺は、上機嫌で調理台の前に立っていた。


「極上の肩ロースブロックが手に入ったからな。今日は交易都市ファルサスで買った『醤油』をいよいよ解禁するぞ!」

『ニャア! ついにあの黒い塩水の出番ニャ! 肉! 肉を焼く匂いがするぞ!』

 闇と炎を操るクロが、コンロの火を見て尻尾を三本ともピーンと立てている。


 俺はオークの肩ロースブロックの表面を強火で一気に焼き付け、旨味を完全に閉じ込めた。

 その後、深鍋に肉を移し、水、酒、潰した生姜とネギの青い部分、そして現地で採れた甘い果実の絞り汁(砂糖・みりんの代用)と『醤油』をたっぷりと注ぎ込む。


「このまま弱火で、二時間じっくり煮込む。箸で切れるほどトロトロの『煮豚(チャーシュー)』を作るぞ」


 グツグツと鍋が音を立て、醤油と豚の脂が焦げるような、暴力的に食欲をそそる香りが厨房を満たしていく。


「さて、煮込んでいる間にもう一つの作業だ」

 俺は深い素焼きの壺を用意し、昼間にもらった『(ぬか)』に塩と水を混ぜ、そこに唐辛子や昆布の代わりとなる旨味素材を放り込んだ。


 そして、腕まくりをして壺の中に両手を突っ込み、底から空気を入れるようにグチャァ、グチャァと力強くかき混ぜ始める。


『……ニャ? ミツトメ、急になんの泥遊びを始めたのニャ?』

 不思議そうに覗き込んできたクロが、壺の匂いを嗅いだ瞬間。


『ビギャァァァァッ!?』

 クロは全身の毛を逆立て、厨房の隅までロケットのように飛び退いた。

『く、くさいニャ!! なんだその酸っぱくて()えたような匂いは! 毒か! 闇の魔術の儀式か!?』


『ピロロロッ! マ、マスター! 私の神聖なクチバシが曲がってしまいそうな強烈な異臭です! 今すぐその壺を封印してください!』

 シロも羽で顔を覆い、バタバタと抗議の声を上げる。


「馬鹿野郎、これこそが日本の食文化の結晶『ぬか床』だ。今はまだただのしょっぱい泥だが、毎日こうして手でかき混ぜて発酵させれば、数日後にはどんな野菜も極上の漬物に変える『命のゆりかご』になるんだよ」


 臭いと抗議する二柱の神様を無視し、俺は満足げにぬか床の調整を終えた。(数日後、このぬか漬けを食ってこいつらが手のひらを返すのが今から楽しみだ)。


「よし、煮豚もいい頃合いだな」

 鍋の蓋を開けると、醤油の色がテリッテリに染み込んだ、飴色あめいろの肩ロースブロックが姿を現した。


 包丁を入れると、肉の重みだけでスゥーッと切れてしまうほどの柔らかさだ。

 分厚く切った煮豚を、炊きたての白飯の上に豪快に乗せ、鍋底に残った濃厚な醤油ダレを上から回しかける。端には、ピリッと辛い練りからしを添えた。


「お待たせ。特製・オークの煮豚丼だ」


『ニャアアアッ! さっきの臭い泥のことは忘れるニャ! このテカテカの肉、最高ニャ!』

 クロが煮豚に噛み付く。

『ニャムッ……! と、溶けた!? 肉の脂が口の中で一瞬で液状化して、甘塩っぱい黒いタレが飯に絡みつくニャァァ!』


『……ッ!! なんという柔らかさ! 表面の香ばしさと、内部から溢れる肉汁! これが、あの黒い調味料(醤油)の真の力ですか! 永遠に咀嚼(そしゃく)していたいのに、噛む前に消えてしまいます!』

 シロも歓喜の声を上げながら、煮豚とご飯を狂ったように(ついば)んでいる。


 俺も、からしを少し乗せた煮豚で白飯を包み込み、大口を開けて頬張った。


「……っっっ!! うんまァァァッ!」

 豚の強烈な旨味と脂の甘さが、醤油のコクと完全に一体化している。そこにからしのツンとした辛味が加わることで、脂のくどさを綺麗にリセットし、無限に白飯を食わせてくるのだ。


「くぅぅっ……! やっぱり醤油と豚肉の相性は、異世界でも最強だな」


 漏電火災の危機を、前世の現場知識(と消防設備の理屈)で未然に防ぎ、その報酬で極上の煮豚を食らって冷たいエールビールを流し込む。

 おまけに、今後の旅の食卓を豊かにする『ぬか床』まで手に入った。


 文句を言いながらも鼻をヒクヒクさせている神様たちを眺めつつ、四十代のおっさんのスローライフは、最高に美味くて少しだけ臭い、充実した夜を迎えるのだった。


【第55話:完】

 収穫: 漏電トラブルの解決、肩ロースの煮豚、マイぬか床の設立。

 知識更新: トラッキング現象は異世界の魔道具でも起こり得る。そして、ぬか床の匂いは神様にも不評(最初は)。

 現在の気分: 早くこのぬか床で、現地のキュウリやカブを漬けてみたい。

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